第121話 牛タンと南蛮味噌

■仙台市真央区 繁華街


 高層ビルが立ち並ぶ一角。

 先日の迷宮災害・・・・によって被害を受けたため、あちこちから工事の音が聞こえてくるが、被害のなかった店舗も多い。宵の口を過ぎた繁華街は仕事終わりの勤め人の姿で賑わっている。

 そんな雑踏の中、街並みを物珍しげに見上げる着物の男――第三十一代渡辺綱がいた。


「むう、これが二百年後の日ノ本……いや、異界の日本・・か」


 ともすれば女と見紛う美貌に、道行く人々が思わず見惚れる。

 声をかけようとする者もいるが、隣に筋肉をこねて作ったような大男――クロガネがいることに気がつくと退散する。


「江戸時代にゃ、こういうビルはなさそうだもんなあ」


 互いに異世界人・・・・であるいことが判明した後、ツナはこちらの世界に連れて行ってくれと頼んできたのだ。ツナの仕事が迷宮改方あらためがたということも知らされた。

 現代で例えるなら、警察の迷宮課のようなものらしい。配信企画的に問題はないのかとアカリに目顔で尋ねると、問題はないと言う。

 そんなわけで、一行は現代・・に戻ってきていたのだ。


「そりゃ江戸時代にビルはないでしょ……って言いたいけど、異世界だもんねえ」

「<アイナルアラロ>にもこんな高い建物はないでござるなあ」


 もちろん、ソラとオクも同行している。

 道中、バスや電車にいちいち驚くツナへの説明役をこなしていたのはもっぱらソラだった。そういった会話の中で、ツナの暮らす江戸時代・・・・は西暦1600年頃にダンジョンが発生しており、8年前にダンジョンが生まれた現代・・とは異なる歴史を辿っていることが判明している。


 そういった説明や情報交換はアカリの方がよほど上手そうなのだが、撮影に集中してほとんど口を挟んでこない。いま現在も配信中で、通行人の顔が写り込まないようリアルタイムでピントと画角を調整する地味な神業を披露している。


 ダンジョン配信はその性質上、同業者の視聴も多い。

 そのため【どういうカメラワークだよ】【俺なら編集してもこうはならんw】などの称賛がちらほら書き込まれるが、わざわざそんなコメントを拾ったりはしない。配信の主役はあくまで演者。カメラマンはその素材の活かすための黒子というのがアカリの信条だ。


「ま、見るだけじゃ面白くねえだろ。ぼちぼち牛タンでも食おうぜ」

「ぎゅうたん? 何だそれは?」

「あー、牛の舌だな。生ビールに合うんだよ」

「そんなものまで食うのか……。華やかに見えても庶民の生活は苦しいのだな」


 クロガネはクロガネで、すっかり観光案内気分だ。

 自分が思う仙台のよいところを味わってもらおうと無邪気にあちこちへ連れ回している。仙台駅内にある伊達政宗の騎馬像などもしっかり見せていた。


 ソラは「こんなのでいいのかな?」と思うが、そもそも異世界人の案内など勝手がわかる者はいない。そして、なんだかんだと仙台の街に一番詳しいのはクロガネだ。クロガネに代わって案内を引き受けられる者もいなかったのである。


 クロガネに連れられるまま、一行は焼肉屋に入る。

 興行の打ち上げでしばしば利用しており、県外からの客をもてなすときにクロガネがよく利用する店でもあった。


「ここの南蛮味噌は手作りでな。それだけでも白メシが何杯でも食えるんだ」


 入店するなり、メニューも見ずに注文をしていく。

 クロガネ、ツナ、アカリの前にはジョッキの生ビール。ソラとオクの前にはコーラが並んだ。

 ちなみに南蛮味噌とは青唐辛子の味噌漬けだ。仙台で牛タンを頼むとほとんどの店でついてくる薬味である。


「それじゃ、改めて乾杯だ! やっぱ最初はこれじゃねえとな!」


 ジョッキが打ち合わされ、クロガネがあっという間にジョッキを飲み干す。

 ツナは恐る恐る口をつけ、ぐびりと喉を鳴らした。


「ふうむ……しゅわしゅわとこう……不思議な味だな。しかし、香りはよい」

「おっ、わかるか? これは仙台の地ビールでな。普通よりも倍もホップを使ってるんだってよ」


 ホップはビールの原材料のひとつで、独特の苦味と香りをつける。

 そもそもビールを初めて飲むツナに違いを聞いたところでわかるはずもないのだが、クロガネの意識からそういうことはすっぱり抜け落ちていた。


 そして、さっそく牛タンの皿が運ばれてくる。

 クロガネの指ほどもある分厚さだ。


「あ、そういえば江戸時代の人ってお肉食べないんだっけ?」


 ソラが素朴な疑問を口にする。

 仏教の影響で江戸時代の人は肉食をしなかったと何かで聞いた記憶があったのだ。


「いや、薬食くすりぐいと言ってな。よほど信心深いものなら別だが、猪や鹿、兎などは食べるぞ。兎は神君家康公も好んだ縁起物だ」

「へえ、そうだったんだ。牛肉は食べないの?」

「食らう者はいるそうだが、拙者は食したことはない」

「なんで? おいしいのに」

「なぜと聞かれると困るが……」


 少なくとも、市井に牛肉を出す店などない。

 改めて尋ねられると、牛の肉を食べない理由はよくわからなかった。


「ま、なんでもいいから食ってみろって。めちゃくちゃうめえぞ」


 クロガネはにこにこと牛タンを焼いている。

 格子に入れられた隠し包丁がむっちりと開き、肉汁が溢れてたまらない匂いをさせていた。


「これにその南蛮味噌をつけて食うんだ。ここのはそんなに辛くねえから、たっぷりがいいぞ」


 クロガネが南蛮味噌を山盛りに載せて食べるのをツナも真似をする。

 熱々の肉がほどよい弾力で歯を押し返し、噛むほどに旨みの塊のような汁が流れ出てくる。若干の獣臭さはあるが、南蛮味噌の香りと辛味がそれを爽やかに中和する。

 そして、その状態でビールを流し込むと――


「美味い……!!」


 ツナの切れ長な瞳がかっと見開かれた。

 クロガネが取り皿に乗せる牛タンを、間髪入れずに口に放り込んでいく。


「へへ、気に入ってくれたみてえだな」

「ううむ、牛の舌がこれほどの美味とは。それにこれはかなり滋養がつきそうだ」

「おう、牛タンは高タンパクだからな。体作りにもいい食材だ」

「なるほど、食事にまで気を配って鍛えているからこそのその身体と言うわけか」


 ツナの視線は、クロガネの隆々たる筋肉に向けられていた。

 渡辺綱わたなべのつなを襲名するほど武芸を修めた身であるが、体質的に・・・・筋肉がつきづらいのだ。柔法に重きを置く源次綱・・・流であるが、力があって困ることなどない。


「あたしももっとウエイトつけたいんだよねえ」


 ソラもそんなことをつぶやきながら、ツナに負けない勢いで肉を食べている。

 男女で比べれば、どうしても女の方が筋肉をつけづらい。しかし、アトラス猪之崎との一戦を通じて根本的なパワー不足を感じたのだ。


 思い返せば、比良坂レジャーランド跡ダンジョンでの戦いでも技の威力が増していたように感じる。パワーアンクルで水増しした体重によって生み出されたものだが、これが自前の筋肉となればそれ以上に威力は跳ね上がるだろう。


「ソラ殿は、なぜそんなに強くなりたいのだ?」

「だって、やるからには一番になりたいじゃん。それに『最強を継ぐ者』の娘だしね!」

「最強……か。なるほど……」


 ソラの邪気のない言葉に、ツナは思わず考え込んでしまう。

 自分なりに強さを極めようと鍛錬は重ねてきた。しかし、果たして最強を目指してきたのか。己の生まれ・・・・・に言い訳をしているところはなかったか。


「あれ? な、なんかあたし変なこと言っちゃった?」


 突然深刻な表情になったツナに、ソラが慌てた様子で尋ねる。

 しかし、ツナはゆっくりと頭を振る。


「いや、改めて己の未熟を悟っただけだ。ソラ殿に負けぬよう拙者も精進せねばな」

「それならあとでスパーしようよ! あ、練習試合って意味ね。ツナさんの技、猪之崎さんに似てるところがあるんだよね!」

「おお、それは拙者も望むところ。るちゃ・・・なる兵法、気になっておったのだ。それから、猪之崎という御仁は?」

「ええっとねえ、めちゃくちゃ強い人がいて――」

「妖怪だ、妖怪。まともにやり合ったら勝負にすらならねえ。いまはまだ、だがな」

「なんと、クロガネ殿がそこまで言うのか」

「それがしもダンジョン最強を目指すでござるよ!」

「へえ、面白れえ。じゃあ、オクは俺とスパーだな」

「えっ、師匠はちょっと……」

「なんだあ? 俺じゃ不足だっていうのか?」


 そんな具合に、酒と肴が進んでいく。

 ひとしきり盛り上がり、締めのデザートが届く頃だった。

 卓上に置かれたクロガネのスマートフォンが震え、一件のメッセージが表示された。


【……ゴリガネさん、ごめん。童子切安綱どうじぎりやすつな、政府に取り上げられた】


 メッセージの送信主は白銀しろがねメル。

 迷宮氾濫の際にダンジョンで共に戦った、トップアイドルグループ五行娘娘ウーシンニャンニャンのひとりだった。

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