第21話 クロガネとソラの事情

「おかえりー……って、ちょっ、クロさんどうしたの!?」


 帰宅したクロガネを迎えたのは、ソラの驚く声だった。

 驚くのも無理はない。クロガネは包帯で全身ぐるぐる巻きになっていたのだ。


「マスクマンじゃなくてミイラ男になってるじゃん」

「深手はねえから大丈夫だ。次の興行にゃちゃんと間に合う」

「クロさんがそう言うんなら大丈夫なんだろうけど、あんまり無理はしないでね」


 エプロン姿のソラが肩をすくめる。

 クロガネは小鼻をひくつかせ、玄関まで漂う刺激的な香りに気がついた。


「おっ、今日はカレーか。ちょうど腹減ってたんだ。おい、アンタも食ってくだろ?」

「えっと、お邪魔でなければ。今日の振り返りや今後の話もしたいですし」


 クロガネの巨体の後ろから眼鏡をかけた女がちょこんと顔を出す。

 この人が例のカメラマンか、とソラは挨拶をする。


「たくさん作ってあるので大丈夫ですよ。はじめまして、風祭ソラです」

「はじめまして、水鏡みかがみアカリと申します。それではお邪魔させていただきますね」

「あ、靴は履いたままでいいぞ」


 ソラが先導し、3人は食堂に移動した。 

 4人がけのテーブルが4つ並んだ広い空間に、カレーの香りが満ちている。


「外から見たときも思いましたけど、ずいぶん広いおうちなんですね」


 アカリがきょろきょろしながら口を開く。

 天井も高く開放感があり、面積以上に広々と感じられた。


「道場兼住居だからな。道場生が増えても困らんように、建てるときにはデカく作ったんだ」

「えっ、ここってコースケさんの持ち家なんですか?」 

「正確には会社の持ちもんだな。そういう意味じゃ、6割がソラのもんで、残りが俺ってことになる」


 どういうことだろう、とアカリは首を傾げる。


「ちょっと、変な言い方しないでよ。えっと、この建物は株式会社WKプロレスリングの持ち物なんですよ。で、亡くなったお父さんとクロさんが資金を出し合って設立してて、株の持分割合が6対4。あたしが株を相続したから、6割はあたしのもの――っていうのがクロさんの言いたいことです」

「あっ、それは立ち入ったことを聞いてしまって……」

「いいんですいいんです。もう10年も前のことだし、話を振ったのはクロさんだし」


 ソラがにらむと、クロガネは包帯の上からぼりぼりと頭をかいた。


「そんなことよりご飯にしましょ。すぐに支度するので待っててくださいね。ほら、クロさんも手伝って」

「おう。アンタはそこに座っててくんな」


 クロガネが引いた椅子に、アカリは腰を掛ける。

 てっきりクロガネとソラは親子だと思っていたのだ。

 現に、食事の支度をする二人の様子は仲の良い親子にしか見えない。


 ……巨漢のクロガネと、ともすればモデルかアイドルのように見えるソラとで、見た目は似ても似つかないが。


「なんでクロさんと一緒に暮らしてるのか、気になりますよね?」

「あっ、ええっと、はい」


 食事の支度を続けながら、ソラが話しかける。

 年下の少女に見透かされたようで、アカリは少し気恥ずかしくなる。


「私のお父さん――風祭鷹司たかしと、クロさんがここを立ち上げたのがだいたい十年前なんですけど、旗揚げ直後にお父さんが亡くなっちゃって。お母さんはもっと小さい頃になくなってたし、身寄りのない私をクロさんが引き取ってくれたんです」

「へえ、コースケさんって見た目に似合わず優しいんですね」

「そんなんじゃねえよ。あと、見た目がどうこうは余計だ」


 クロガネがぶっきら棒に言い放つ。


「あの試合のセコンドに付いてたのは俺だからな。鷹司さんの死には、俺にも責任がある」

「だーかーらー、それやめてって。リング禍なんだから、誰のせいでもないって」 

「そうは言ってもな――」

「それ以上言ったら怒るからね」

「むう」


 クロガネは黙って大鍋を運ぶと、テーブルの中央に置いた。

 鍋敷きの上でどすんと重い音を立てる。


「うちのお父さん、旗揚げの記念試合であのアトラス猪之崎いのざきと闘ったんですよ」

「アトラス猪之崎いのざきって、あの超日プロレスリングの会長の?」


 アトラス猪之崎いのざきの名は、プロレスに疎いアカリでも知っていた。

 日本最大のプロレス団体の代表にして、自称<世界最強の男>。経営者としても敏腕で、ショー要素を重視した演出や異種格闘技戦で興行をテコ入れする一方、パチンコ、トレーディングカードゲーム、ダンジョン配信など異業種にも積極的に参入している。そのおかげで、プロレス斜陽の現代にあっても超日プロレスリングの人気だけは衰えていない。


「そうです、あの猪之崎いのざきです! 独立の餞別せんべつってことで特別試合が組まれて。結果は引き分けだったんですけど、すごい試合で――」


 ソラが若干興奮しながら試合の様子を話しはじめる。

 その熱の入り様は、今まさに目の前で試合が行われているかのようだ。


「おい、ソラ。カレーが冷めるぞ」

「あっ、いけない。つい夢中になっちゃって。ええっと、その試合の次の日に倒れて、それでそのまま亡くなっちゃったって話です」

「それは――」


 ――ご愁傷様でした、と続けようとして言葉に詰まる。

 亡父の最後の試合を語るソラの瞳は幼い子供のように輝いていて、悲しみだとか、恨みだとか、そういう負の感情をまったく感じなかったからだ。お悔やみの言葉を伝えるには、あまりにも不相応な表情だった。


「えへへ、変ですよね。自分のお父さんが死んだ話をしてるのに。でも、お父さんは最後に最高の試合ができて嬉しかったと思うんですよ。勝てなかったのだけは心残りだと思いますけど。だからあたしは、いつかお父さんの遺志を継いでアトラス猪之崎いのざきに勝つことが夢なんです!」


 両手の拳を握りしめて語るソラに、アカリは思わず圧倒されてしまう。

 クロガネが発するものとはまた別種のオーラのようなものを感じていた。


「はいはい、それはわかったからよ。たっぷり食って肉をつけねえとあの妖怪親父にはかなわねえぞ」

「あっ、クロさん勝手によそわないでよ! カレーはご飯とルーのバランスが命なんだから!」

「わーった、わーった。これは俺の分な。お客さんとソラの分には手を出さねえよ」

「もう、お肉ばっかり狙って取るんだから」

「狙ってねえよ。たまたまだ、たまたま」


 そんな他愛のないやり取りをしながら、ソラがカレーをよそる。

 全員の配膳が済んだところでようやく食事開始だ。

 一口食べて、アカリは違和感をおぼえる。

 かなりの甘口なのだ。まるで幼児向けの味付けである。


「甘いでしょ?」


 イタズラっ子のような表情で、ソラが微笑む。


「物足りなかったらこれ使ってください。クロさん、子供舌なんで辛いものが食べられないんですよ」

「うるせえ、辛えもんだけはダメなんだよ。タイやらメキシコやらに修行に行ったときは何でもかんでも辛いから気が滅入ったぜ……」


 ソラから受け取った一味唐辛子を振りかけるアカリを、クロガネが気味が悪そうに見ている。

 あの荒れ狂う怪獣のように大暴れをしたクロガネがこんな表情もするのかと、アカリは思わずクスリと笑ってしまった。

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