何も知らず
おくとりょう
そんなつもりはなかった
除菌クリーナーが無くなりそうなので、買い物に行くことにした。外は見るからに夏らしい青空。絶対暑い。嫌だけどしょうがない。
玄関の扉を開けると、蒸し返すような熱気。もうそれだけで、外に出る気が失せそうになる。ため息をひとつついて一歩踏み出した。
「あっつ……」
遠くでセミが鳴き喚く声が聴こえる。肌を照りつける白い日射し。少しでも暑さを避けようと、陰の多い狭い路地選んで歩く。落書きだらけの薄暗い路地。日射しがない分、涼しい気がした。ただ風もなく、分厚い羽毛布団のような空気が肌にまとわりつく。何だかほんのり生臭いような気もして、スーパーへ向かう足を早めた。
冷房がキンキンに効いた店内。
「ハァーッ」
生き返ったような心地がして思わず声が出た。天国、というより外が地獄だと思う。灼熱地獄。ホッと息をつきながら、買い物かごをとると、異様に帽子を深く被った人が目の前を横切った。鼻をくすぐるほんのり甘い香り。
俺は途端と嫌な気持ちになった。天国も地獄も大差はない。
首無しの伝説。彼らの逸話は意外と世界各地にある。有名どころなら、アイルランドのデュラハン、日本のろくろ首、いや、生首だけなら中国の飛頭蛮か。ほかに、マレー半島の吸血鬼、ペナンガランもそうらしい。いずれも妖精だの妖怪だの神話や作り話の存在だった。
……だったはずなのが、最近は現実にも、白昼堂々と首なしで歩き回っているヤツらがいる。昔からいたのかもしれないが、近頃は本当によく見るようになった。
彼らは一見、人と変わらない。が、身体がバラバラになっても死なない遺伝性の体質らしい。彼らは首を含めた関節部分がとれやすく、首のないまま歩いているのもよく見かける。
ハッキリ言って、同じ人間には思えない。頭もなしにどうやって歩けるというのか。
彼らが堂々と出歩くようになってから、街中に人間の部位が転がっていることが増えた。取れても痛みはなく、すぐには気づかないことが多いらしい。おかげで少し治安が悪くなった気がする。実際、俺も他人の死体にずいぶん慣れてしまった。いや、彼らの落とした身体は死体ではないのだったか。
とにかく、俺はあいつらが嫌いだ。大嫌いだ。人間じゃないくせに、どうして人間のように振る舞っているのか。
視界に入っているのも耐えられなくて、目当ての除菌シートをカゴ入れ、さっさとレジに向かった。すると、先に並んでいたご老人が妙に大きな帽子を深く被っていて、俺は思わず目をぎゅっと閉じた。
「――っ」
俺の視線に気づいたのかその老人は俺に向かって軽く頭を下げた。つばの広い帽子が不安定に揺れる。頭がないのだろう。……あぁ、頭がないなら、『頭を下げた』というより、『上体を傾けた』という方が正しいか。
何とも気持ち悪くなった俺は、見なかったことにして、目をそらす。こんな店はとっとと出たかった。
外の日射しは冷えた身体にはちょうどよかった。買い物袋をぶらぶら揺らしながら、路地へ向かうと、突然フルフェイスのヘルメットを被った自転車が飛び出してきた。
何だかもう限界だった。夏の暑さにもうんざりだった。
気づくと俺は、側に落ちていた棒でヘルメットを力いっぱい殴りつけていた。それはポーンとボールみたいに飛んで行った。
後ろで自転車の倒れる音が大げさに響いた。だけど、奴らはこれくらいじゃ死なない。タイヤの回る音を聴きながら、振り返ることなく、ヘルメットを拾った。中には驚いた目をした頭が残っていたので、それを抱えて家に帰った。
玄関扉を開けると、生ぬるい風とともに、カチカチ歯の鳴る音がした。居間に並んだ生首たちだ。俺は道で拾った生首を集めて、ストレスの解消に痛めつけていた。どうせ本人たちからすれば、要らないもので、誰も片付けやしないのだ。ごみ拾いがてら、サンドバッグにするぐらいいいだろう。奴らに直接暴力を振るったのは、さっきが初めてだったが、それだって別にいいと思う。だって、普段からこれだけごみ拾いをしている上に、奴らはこれぐらいじゃ死なないのだから。
歯を剥き出しにする生首たちを軽く殴って、戦利品の置き場をあける。ヘルメットに手を突っ込むと、生暖かい液体が肌をつたった。
……おかしい。奴らから取れた部位には傷口なんてないはずなのに。恐る恐る手を見ると、真っ赤な汁がべったりついていて、錆の香りが鼻腔を刺した。奴らの血は甘いのに。
ガンッと大きな音を立てて、ヘルメットが床に落ちる。驚いた生首たちの騒ぐ声を聴きながら、空回りする自転車のタイヤの音を思い出していた。
何も知らず おくとりょう @n8osoeuta
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