孤独な騎士はぬいぐるみに恋をする
颯風 こゆき
第1話 プロローグ
最後に見た風景を思い出せずにいる。
ただ、優しい声だけど、悲しそうに僕の名前を呼ぶ声と、僕を包んでくれる温もりだけは覚えていた。
僕の大切で愛しい人・・・どうか、あの人が悲しむ事なく、幸せでいますように・・・。
「ぐぇ・・」
奇妙な声と、足元にある異物感に青年は足を止め、視線を向ける。
そこには薄汚れたウサギのぬいぐるみが、青年の足に踏まれ、心なしか顔を歪めている。
青年は足をどけ、そのぬいぐるみを指で摘むと顔の前まで持ち上げ、ジロジロと見回す。
それは、30センチほどの小さめなぬいぐるみで、膨らみもなく萎れていた。
「・・・・気のせいか」
青年はそう言って、ぬいぐるみを放り投げようと摘んだまま、手を振り上げると手元からまた声が聞こえる。
「待って!待って下さい!」
青年は腕を下ろし、また顔の前までぬいぐるみを運ぶと、ぬいぐるみは手をパタパタと動かし、口を動かす。
「僕を捨てないでください!」
「・・・・なんだ?お前は?」
「決して怪しい者ではありません!」
ウサギのその言葉に、青年は眉を顰め、疑わしい視線を向ける。
「た、確かにこの姿で、言葉を話すのは気持ち悪いと思いますが、怪しい者じゃないんです」
姿はぬいぐるみなのに、口も体も動き、何故か涙まで流すその姿に、青年はますます疑いの目を向ける。
「・・・ならば、呪いの類か何かか?」
「ち、違います!多分、違います」
「多分とは?」
「僕もわからないんです。目が覚めたら青い空が見えて、眩しいと手を翳したら自分の手が変で、訳がわからないままパニックになってたら、貴方に踏まれたんです!」
「・・・・・」
「本当なんです!僕は本当は人間なんです!信じてください・・・」
両手を祈るように組みながら、涙を溢すぬいぐるみに青年はため息を吐く。
「人間ならば名はなんという?」
青年の問いに明るい表情になるウサギは名前を名乗ろうとして、一瞬固まる。
「な、名前は・・・ジュン・・・です。多分・・・」
「多分?さっきからそればっかりだな」
「ごめんなさい。思い出せないんです。名前はジュンで人間なのは何となくわかります。でも、どこから来て、どうしてこの姿なのか、思い出せないんです」
「・・・・やはり、捨てよう。こんな不吉な物に関わっている暇はない」
「待って!お願い、待って!これも、何かの縁です。お願いです。僕を捨てないで!」
必死に懇願しながら涙するウサギは、次第に嗚咽を漏らし始める。
「ぼっ・・・僕も不安なんです。ど、どうして、僕が・・・お願い、です。僕を、す、捨てないでください。こんな野原に捨てられたら、ぼ、僕は本当に死んでしまいます・・・」
途切れ途切れの声で懇願するウサギ。それを冷たい目で見つめる青年。
「ここは野原ではない。私の住む邸宅の庭だ」
「そ、そうなんですか?それなら、尚更、これも縁だと思って、僕を側に置いて下さいっ!きっと、ぬいぐるみだからお腹は減りません!ただ、ただ雨風が凌げる部屋に置いてください。お願いです・・・片隅でいいので・・・」
ウサギが鼻を啜りながら青年を見つめると、青年はまた大きなため息を吐く。
「・・・片隅でいいのか?」
「はい!構いません!」
「・・・仕方ない。だが、お前と馴れ合うつもりはないぞ。私にはそんな寛大な心は持ち合わせていない」
「何言ってるんですか!?こんな怪しい僕を拾ってくれるなんて、そんな心優しく寛大な人はいません!」
「・・・・そんなものじゃない」
「え・・・?」
「いいか?部屋でもし何かを見聞きしても、他所に言いふらさず、大人しくしておくんだぞ?私の事に関しても、一切、知らぬふりをしろ。それから、早く記憶を取り戻して出ていくんだ。わかったな?」
「はい!あ、あの・・・」
「なんだ?」
「お名前は聞いてもいいでしょうか?」
「・・・・ジェフリーだ」
「ジェフリーさん!わぁ、お姿と一緒でかっこいい名前だ!」
「・・・いらぬお世辞を言うんじゃない」
「お世辞じゃないです。ジェフリーさんは外見も名前もかっこいい!」
「・・・黙れ。捨てるぞ・・」
「はい・・・」
ジェフリーの喝にジュンは一瞬で黙り込み、摘まれたまま大人しくジェフリーに運ばれていく。
この縁がいつしか2人を固く結びつけるとは知らずに、2人は邸宅へと姿を消していった。
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