第27話 ぜんそく
心の不調は、体の不調にもつながる。
峻と山に行き始めてからよくなっていた病気がまた悪化し、佐久は自室に敷いた布団で横になっていた。
入院するほどでなかったのが不幸中の幸いだった。
病院というのは本当に気が滅入る。
ただ機械的に診察していつもと変わらない薬を出すだけの主治医。
院長の娘である佐久に表でへつらい、裏で悪口を言う嫌味な看護師。
彼女たちがナースステーションでどんな話をしているか、立ち聞きしてよく知っていた。
『院長の娘で病弱って、マジウケない?』
『わかる~。医学部で何の勉強してたんだってハナシ』
『上手な子づくりの仕方?』
『『『ギャハハ』』』
彼女たちのことを父親に言っても、外面は良く他の医師たちの評判が悪くなかったせいか取り合ってもらえなかった。
記憶の中の笑い声を、布団を頭からかぶって必死に打ち消そうとする。
そうするとまた発作が始まった。咳が止まらない。頭がガンガンして、足がふらつ
く。
吾妻がお粥を持ってきてくれたものの、一口飲み込んですぐに吐いてしまった。
「……峻と一緒に食べた山菜は美味しかった」
三人で行った霧去山。
四人で行った四賀山。
霧去山で撮ったヤマツツジの写真や、四賀山で撮った山菜の写真を見ながら記憶を思い返していく。
高校に入ってからは楽しい思い出ばかりだったのに、なぜこんなことになってしまったのだろう。
涙が頬を伝い、枕を濡らした。
入学式を欠席してしまったのに、初日からやらかしてしまったのに望月がフォローしてくれた。
親切に言ってくれたのにひどい言葉を浴びせてしまった小梅とも友達になれた。
峻は、病院と本と限られた人間関係しか知らなかった自分に新しい世界を見せてくれた。
それに彼と出会ってから、ずっと体調は良かった。楽しいことをみんなでやる、そんな経験は初めてで。
医者は運動を勧めるがどうすれば続けられるかまでは教えてくれない。
運動の医学的価値は語れても、運動の楽しさは教えてくれない。
パソコンと検査数値と薬の名前しか見ていないあの女より、峻の方がずっと自分の体のためになった。
父親は自分の病気を治してくれなかったし、そもそも専門が違うから詳しく診られ
ない。
担当の女医は人間的に嫌いだ。
「……峻が、私の主治医だったらよかったのに」
ありえないことと知りながら、佐久はそう願った。
夜が更け、市街地の端からイソヒヨドリの声が聞こえ始める頃。
呼吸がさらに苦しくなり、少しでも息をしやすいように佐久はベッドの上で四つん這いになる。
こうすると気道が広がってわずかに楽になるのだ。それでも、喉の奥から呼吸のたびにヒューヒューと音がする。
医師の娘なのに病気に生まれた自分の身体を恨みながら、佐久はひたすら息をした。
全身を使って必死に息をしても、肺に取り込める空気はごくわずか。
それを何百何千回と繰り返すので、たちまちのうちに全身から汗が吹き出る。
だが一度発作が始まったら最後、収まるのをひたすら待つしかない。
薬で完全に発作がなくなるわけではない。
佐久は布団を握り締めて、幼いころは死ぬかもしれないとさえ思った苦しさに必死に耐える。
意識を失えれば楽なのにと、何度思ったことか。
カーテンの隙間から白い光が差し込み始める頃、やっと発作が治まってくる。布団は
既に汗でびしょぬれだった。
佐久はそのまま力尽きるように眠りにつく。
着信を表示するスマホのランプが横目に見えたが、手に取る気力すらなかった。
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