第16話
春先というのに、望月の額からは珠のような汗が流れる。
陸上部も顔負けの綺麗なフォームで風を切り、緑の香りが混じる空気の中を走る。
東から顔をのぞかせた朝日が、日曜日の霧ヶ峰市をまぶしく照らしていた。
いつもの公園で足を止め、木にもたれかかるように足を止める。
走っている時には暑いくらいだったのに、足を止めると山からの冷たい風が体を冷やしていった。
「……はい、タオル」
近くのベンチに座って読書をしていた佐久が、バックからタオルを差し出してくる。
霧去山に行った時とは違い、フレアーのロングスカートにトップスはニット。日本人形のような黒髪は緩くまとめられていた。
「私の日課に付き合ってくれて、ありがとね」
「……いい。私のためでもある」
休日の日課であるランニングを終えた望月は、公園で佐久と合流していた。
ジャージ姿の望月が汗を拭い、水分補給した後で佐久と共に公園を歩く。木々のまばらな林の中を縫うように舗装された道が走っており、望月のほかにもランニングや犬の散歩を行う人たちと時々すれ違った。
佐久が林の中の雑木や桜などを眺めていると、ふとツツジが目に入った。
霧去山にも生えていたが、山のそれより公園のものはかなり低い。道に沿って植えられたツツジは高さも一定に刈り揃えられ、綺麗ではあるがどこか窮屈そうにも感じた。
「佐久ちゃん?」
ジョギングしていた中年女性が足を止め、佐久に話しかけてくる。
「……金嶺さん」
「佐久、知り合い?」
「あら、榛名さんのところの望月ちゃんじゃない。ずいぶん大きくなって」
そう言われ、望月も思い出す。
確か佐久の家、妙高病院の看護師さんの一人だ。佐久のお見舞いに言った時、それ以外の用で病院に行った時、気さくに話しかけてくれたからよく覚えている。
「佐久ちゃんも、だいぶ元気になったみたいで。おばちゃん嬉しいわ~」
金嶺はそう言いながら、裏表のない笑顔を向けてくる。つられて佐久も笑った。
院長の娘ということで自分に気を使う不愉快な職員が多い中で、彼女は自然体で接してくれる。
「お散歩なの?」
金嶺はジョギングからウオーキングに切り替え、佐久たちと歩みを共にする。
いいと聞くでもなく、言うでもなく自然の流れでそうなっていた。ベテランの看護師ゆえか、人との接し方がとても自然だ。
「……うん。今度友達とハイキングに行くから。体力つけないと。病気も良くなってきたし」
「あらあらそうなの。がんばってね」
医療従事者として意見を言うわけでもなく、ただ佐久の話を聞いてくれる。考えに考えて、発作の恐怖におびえて、自分でも勉強したうえでの判断を尊重してくれることがこの上もなく嬉しい。
治せないのに自分の意見などろくに聞かない主治医とは大違いだ。
「誰と一緒に行くの?」
そう言われて、佐久は一瞬言葉に詰まった。
一緒に行くメンバーの顔を思い浮かべる。自分と似たところがあって、意外とたくましい一人の男子が思い浮かんだ。
だがそんな佐久の様子を見て、金嶺はそれ以上深入りせず話題をそらす。
「でも、珍しいわね。佐久ちゃん、今まで運動なんてしたがらなかったのに。そんな
に山に行くのが面白いのかしら」
「……それもあると思う。山の空気は病院の消毒液臭い空気を忘れさせてくれるから」
「……それに木々の香りも濃いし、スポーツと違って足を動かしてるだけでできる。だから余計なことを考えなくても済む」
この公園は勾配があって、平地の散歩よりも負荷が大きい。
息が上がるのに合わせてペースを落としながら、望月が口を開いた。
「それに、案内してくれる男子も頼もしいしね~」
こうはっきり言われると、どうしても意識してしまう。ただ望月とは付き合いが長いせいか、いじられても不快には感じなかった。
だから佐久は、正直な気持ちを告げる。
「……私もそう思う。料理の練習も頑張る」
朝日が青空に昇り始める。次に向かう山、四賀山が白く照らされているのが見えた。
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