第8話
山裾から伸びる茜色の日が廊下を照らし、女子二人の影を作る。掛け声の止んだグラウンドも同じ色に染まっていた。
「でも珍しいね」
「……何が?」
「佐久が初対面の、しかも男子とあそこまで話せたのはじめて見たから」
「……自分でも、不思議なくらい。でも普通の男子とは違った雰囲気があったから、そのせいかも」
「あー、わかる。なんか達観してるっていうか、大人びた雰囲気あるよね」
「……いや、そういうのとも違う感じ。なんだか私と似てる感じがした。ものの見方とか、世間に対するスタンスとか」
「佐久と同じで、子供の頃は体が弱かったのかもね。だからそう感じたのかも」
「……いや、そんな感じはしなかった。なんとなくだけど……」
「まあ、お医者さんの娘の診断を信じますか」
「……からかわないで」
「でも喋らないタイプかと思ったら、いきなり山を熱く語りだしたのは驚いたなー。佐久は平然としてたけど」
「……知識を垂れ流しにするタイプは、慣れてる」
「知識を? えーと、 オタクっぽいってこと?」
佐久が何か考え込むようなそぶりをしたので、望月は慌てて付け加えた。
「あ、ごめん。悪い意味じゃなくて」
「……違う。あれはむしろ……」
「むしろ?」
「……いや、なんでもない」
「気になるな~、教えてよ~」
佐久の黒髪をわしゃわしゃとしながらも望月が気になっているのは、白馬の方だった。
皮肉にもつれなくされた時、望月は白馬に興味を持った。
自分に対しあんなつれない態度をとってきた男子は初めてで。邪険に扱われたその反応が新鮮で。
でもいつか必ず、ドギマギさせてやろう。白馬くんの赤面を見るのが楽しみだ。
人の気配がない家の明かりをつけ、買い物袋を床に置く。
靴を脱いでから今日料理する以外の食品を冷蔵庫にしまい、風呂の残り湯を使って一
度洗濯機を回す。
荷ほどきを終えたばかりで、段ボールの空き箱が玄関前に置きっぱなしになっていた。潰して今度の回収の日に出そう。
今日は父親が久しぶりに帰ってくる予定だ。彼の好物である魚の塩焼きをグリルで
調理しながら、白馬は帰りを待つ。
目の前で魚が取れる本土から遠く離れた離島とは比べるべくもないが、山に囲まれたここ霧ヶ峰市でもそこそこのものは手に入る。
やがて魚から香ばしい匂いがただよい、狭い台所に炊飯器の電子音が鳴り響いたころ玄関が開けられた。
「帰ったぞー」
白馬峻の父、白馬秋霜が帰宅した。
峻と違ってたくましい腕に太い体幹。太い眉毛の下で存在を主張する、どんぐりのような眼。山道で出会えば熊と勘違いするかもしれない。
履物であるブーツは土に汚れ、ワイシャツの上から羽織ったジャンパーからは草の香りがした。
父親の姿を見るたびに、白馬はいつも複雑な思いを抱える。
転校続きという環境に置かれ、離島やへき地への転勤に疲れた母親と別居するまでに至った仕事バカへの恨み。
反して、仕事に打ち込んできたことの尊敬の念。
玄関にどさりと置かれた黒いザックのファスナーの隙間からは、詰め込まれた分厚い専門書の数々が顔をのぞかせていた。
炊きあがったご飯を茶碗によそい、焼き魚に大根おろしを添えて乾燥ワカメの味噌汁という簡素な夕食を二人で囲む。
去年までは、この席に母親がいた。
「次の仕事はどこに行くの?」
「そうだな、」
父親が挙げた地名は、この霧ヶ峰市からそう離れていない場所だった。
「また、結構近いんだね……」
最近、こういうことが増えてきた気がする。以前は電車や船を乗り継いで二日かかる離島に仕事に行くことさえザラだった。
「そろそろ腰を落ち着けられればと思ってな。しばらくはこの霧ヶ峰市を拠点にして仕事をしようかと思っている」
「ほんと?」
白馬は思わず腰を浮かせた。
「ああ。そろそろ日本各地を飛び回るのも十分だろう。ここからなら過疎地へのアクセスがしやすいから仕事場へも行きやすい」
「なにより、母さんに実家にしばらく戻ると言われたのがだいぶ堪えてな」
その一言で親子の会話が途絶えた。
食器を動かす音、味噌汁をすする音だけがリビングに響く。
話題を切り替えるように白馬は口を開いた。
「そういえば、今度友達とハイキングに行くことになったんだけど」
そういうや、父親の目つきが変わり仕事の時と同じような態度になる。自分の知識が生かせる話題になるといつもこれだ。
「経験者か? 体力は? 年齢は?」
詰問するような口調で、必要な情報のみを聞き取ろうとする父親。
いくら言っても治らないこの癖だけは白馬は苦手だった。仕事が仕事だから無理もないが。
「そこそこ体力がある子が一人に体が弱い子が一人。僕と同年代」
言われたとおりに白馬は回答する。父親も登山をたしなむので、この程度の情報と言い方で問題ない。
「性別は?」
女の子、と言ったとたん父親は涙を流した。
「と、父さん?」
「息子もついに女子と遊ぶ年になったか。父さんは嬉しいぞ」
肩を震わせ、テーブル備え付けのティッシュで鼻水をすすり、袖で目をこする。
その演技くさいセリフと涙に白馬は鼻白む。
「もう、やめてよ」
「わかったわかった。真面目な話だ。初心者を同行させるときの注意事はな……」
色々と問題のある父親だが、山に関する知識だけは確かだった。
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