第4話 あいつどこ中だよ

 今日は新年度ということもあり、体力測定の時間だった。男女に分かれて体育館やグラウンドを使用して測定していく。


 二クラス合同で二時間を使用できることもあり、ほとんどの種目を一日で終わらせる予定だった。


 中肉中背の白馬峻は、体育教師の指示に素直に従いながら種目を次々に消化していく。


「どうだった?」


「オレの握力、六十だぜ!」


「いや、俺の五十メートル走、六秒代だったし」


 体育会系の男子のマウント合戦などどこ吹く風だ。短距離や反復横跳び、握力といった種目は平均点で話題に上るようなものではなかった。


 だが最後に行われた種目では違った。


 陸上のフォームとは違っているが、無駄のない走り。


 千五百メートルを走っても崩れないペース。グラウンドを駆ける中肉中背の姿は、後半に至って徐々にペースが落ちてきたクラスメイトを次々に抜かしていく。


 運動のそれほど得意でない彼が唯一活躍できる種目であり、無表情を貫きながらも

内心鼻高々だった。


 陸上部の楢川を抜かすことはできなかったが、結果としてクラス二位でありクラスメイトたちが目を丸くしていた。


「あいつどこ中だよ」


「確か白馬とか……」


 ゴールを駆け抜け、グラウンドの隅で息を整えていた彼に楢川が声をかけてきた。


「俺、楢川っていうんだけど」


「僕は白馬峻」


「知ってるって。クラスメイトだしな」


 楢川はそう言って、快活に笑った。


「今の走り見てた。陸上やってた俺が見ても、なかなかのものだった。そこで相談なんだけど、陸上部に入らないか?」


 百八十を超える長身に引き締まった手足。爽やかイケメンという言葉がぴったりな彼。


 もし白馬が乙女ならば落ちていただろう。


「ごめん、ちょっと……」


「見学だけでもしてみないか? 他に部活入ってないんだろ?それだけの早さがあれば即レギュラー入りできるぜ。もったいないし、部活入れば学校生活もっと楽しくなるぜ。俺が保証する」


 熱く語る楢川に対し、遠回しに断るだけでは駄目と悟った白馬は事情を話すことにした。


「僕、山登りが趣味で…… 休日はいつも登ってるんだ」


「登山? 陸上のトレーニングでも高地でやるのもあるが、やっぱ効果あるのか?」


「トレーニングで登る人もいるね。でもやっぱり町じゃ見られない景色を見られるのが良いな。オレンジ色のユリとか、真夏の雪とか。半日で全然別の世界に行けるのがすごくたまらなくて、」


「そ、そうか。魅力はよくわかったぜ」


 楢川が引いているのに気が付くと、白馬の表情が暗くなる。


 またやってしまった、と自己嫌悪した。空気を読むのは苦手で、会話が下手で。で

も同じ趣味に興味を持ってくれそうな人を見つけると嬉しさのあまり話しすぎて。


 だが楢川は気にしていない様子で会話を続ける。


「登山もいいが、陸上もいいぜ。タイムが上がるのを見るたびにおっしゃあ! って感じるしな。まあ、気が変わったらいつでも声をかけてくれよな」


 楢川はそのまま、その場を立ち去った。


「登山……」


「……望月。どうしたの? 次の測定、始まるよ?」


「あ、ごめんー。今行くー」


 グラウンドでは続けて女子の体力測定がはじまった。千メートル走やハンドボール投げなどが体育委員の号令で次々に行われていく。元バスケ部である望月は総合的に好成績を出し、友人の佐久は千メートル走を途中で棄権した。

 

 息を切らせ木陰で横になっている彼女に、氷川小梅という女子が心配そうに駆け寄ってくる。


 アッシュの髪をショートにしたオシャレな子で、綺麗にカールさせたまつ毛につぶらな瞳が印象的だ。


 体育用の芋ジャージさえ彼女が着るとそれなりに見える。


 走るたびに学年で覇を競う二つのふくらみが、ジャージの下で跳ねていた。


「妙高さん、マジでヤバそうじゃない?」


「……問題ない」


 佐久は体を起こすと体育座りになり、膝の間に顔をうずめてしまった。


 何も見えないように。外の世界の情報をできるだけ遮断できるように。


「きつかったら保健室行かん? ウチ、ついていくよ?」


「……いい」


 佐久は顔を膝にうずめたまま、返事をする。氷川には気づけなかったが声が軽く震えていた。だが彼女はそれを体調が悪いためと捉えてしまう。


「でも、めっちゃきつそう……」


「……いいったらいい!」

 

 佐久は差し伸べられた手を強く払う。突然の大声に周囲の視線が集まった。


 氷川は突然のことに、払われた手を抑え呆然としていた。


「どうしたのー?」


 千メートル走を終えたばかりにもかかわらず、望月が真っ先に駆け付けてきた。

手を抑える氷川と、悲し気に彼女をにらみつける佐久を見ながら軽く事情を聞く。


「なんだか急に怒り出してさー、マジでわけわからん」


「小梅さん、わかった。佐久は私が連れていくね」 


 すでにクラス女子の大半と名前呼びになっている望月が申し訳なさそうにそう言うと、小梅も怒りをおさめた。

 

 望月が手を差し伸べると、佐久はばつが悪そうに氷川から顔を背けながら体を起こす。保健室へ向かう足取りは肩を貸してもらっていても、おぼつかなかった。


「あんなことしちゃダメだよ。せっかく親切で言ってくれてるのに」


「……親切でも意地悪でも関係ない。同情されるのは嫌い。人と違うんだなって、みじめになるから」


 佐久は望月とすら顔を合わせようとせず、地面に視線を落としたままだった。艶やかな黒髪が望月のウエーブのかかった茶髪と絡み合い、そしてほどける。


 望月はそれ以上注意することをせず、ただ一言付け加えた。


「私から、フォローしておくね」

 

 佐久がその後教室へ戻ると、真っ先に他のクラスメイトと談笑していた小梅の方に向かった。


 アッシュの髪の少女はきまり悪そうに視線を逸らすが、佐久はかまわず頭を下げ

る。


「……さっきはごめん。気遣ってくれたのに」


「べ、別に気にしてないから。ウチも事情知らんくせに言い過ぎたかな、って思ったし」


 小梅はアッシュの髪をかき上げながら言った。ギャルっぽいのに爪は伸ばしておらず、それどころか手は少し荒れ気味だった。


 謝罪が受け入れられたことに佐久はほっとしていると、別グループと談笑していた望月が親指を立てていた。


「よかったね」


 声は聞こえなかったが、望月がそう言いたかったのが佐久にはわかる。


「お詫びに、今度ウチらとお茶せん?」


「いいねー。医者の娘って初めてやし、色々話とか聞きたいわ」


「……構わない」

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