第六夜

 その日の夜、ヨウの熱がまたしても高くなった。

 体温計を脇に挟むと、熱は三十九度二分もある。

 いくらなんでも、二日続けて高熱が出たなら、病院に連れて行かねばならないだろう。

 しかし、保険証も何もないし、どうしたらいいのか分からない。

 とりあえず、汗をかいたら服を着替えさせて、保冷剤が溶けたら新しいのに替える。

 私に出来る事はこのくらいしかないが、せめてもと思い、寝ないで様子を見る事にした。

 そして、私が保冷剤を替えようと冷蔵庫を開けようとしていると、ヨウが声をかけて来た。


「ずっと、見ててくれたの?」


 私は、ヨウがふらついているのを見て駆け寄った。


「寝とかないと、ダメじゃないか」

「ちょっと、トイレに起きただけ」

「ああ」


 昨夜はトイレにも行かずに寝ていたが、起きるという事は少し元気になったのだろう。


「じゃあ、俺は少し休んでおくから」

「無理して起きてなくても大丈夫だよ。優しくされたら、勘違いしてしまうから」


 ヨウは、そう言って苦笑した。

 私は、そのままトイレに行くのを見送ろうとして、ヨウが手に着替えを持っている事に気付く。


「もしかして、シャワーを浴びる気じゃないよな?」

「恥ずかしいから、トイレで着替えるだけだよ」


 そう答えたが、恐らく嘘だろう。


「熱があるのに、シャワーを浴びたらダメだろ」

「違うって」


 ヨウは笑って告げると、バスルームに消えた。

 シャワーを浴びるのは分かり切っているが、どうせ止めても無駄だろう。

 しばらく耳を澄ましていると、案の定シャワーの音が聞こえて来て、やはりなと思った。


「熱が上がっても知らないぞ」


 ヨウに声をかけるが、恐らく、水音にかき消されて聞こえてはいないだろう。

 確かに、二日も風呂に入ってない上に、汗をかいているのだから、シャワーを浴びたい気持ちも分からなくはない。

 しかし、そんな事をすれば熱が上がるのは目に見えている。


 私が、ぼんやり考えていると、ヨウがバスルームから出て来た。


「さっぱりした」


 ヨウは、濡れた頭にタオルを乗せていた、


「言う事を聞かないなら、熱があっても追い出すぞ」

「え?」


 私が告げると、ヨウは驚いた顔をしたが、こんな状況では追い出されても文句は言えないだろう。

 しかし、私は何故なぜか怒る気にはなれなかった。


「追い出すの?」


 けれど、ヨウは私の心の中など分かる筈もなく、言葉のままに受けとったらしい。


「次、言う事を聞かなかったら、追い出すからな」

「ごめんなさい。もうしないよ」


 ヨウはわざとのように悪い態度をとるのに、叱ると素直に謝る。

 自分でもおかしいと思うのだが、ヨウが私の気を引こうとしているような気がして、何故か可愛いいと思ってしまった。

 どうして突き放せないのかと考えて、私は昔の自分とヨウを重ね合わせているのではないかと気付いた。


 両親は、私が高校生の頃に離婚している。

 そして、私は母に引き取られた。

 いつの頃からか、母は男を家に連れて来るようになった。

 母は、一人の相手と長く続かないらしく、ころころと男を変えた。

 暴力的な男もいれば、優しい男もいて、母の相手次第で私の生活が変わった。

 私は、嫌な男が居座っている時は、何度も家出をした。

 母が男と寝るのを見たのも、一度や二度ではない。

 思春期の子供にその影響は大きく、恐らく、私は母の所為せいで女性不信になったのではないかと思う。


 状況は大きく異なるだろうが、その時の私も、家にいる場所がないと言う事では、ヨウと変わりはないだろう。

 しかし、私は頭を振って、その考えを追い払った。


「起きたなら、何か食べるか?」

「いいの?」


 ヨウが、恐る恐ると言った様子で尋ねて来る。


「いいもなにも、食べなきゃ風邪も治らないだろ」

「そう……だよね」


 ヨウの寂しそうな表情が、私の胸をうった。

 あの時の母も多分、寂しかったのだろうと、今なら思える。

 けれど、だからと言って許す気にはなれないし、そもそも、もうこの世にいないのだから許しようもない。


「うどんで、いいだろ?」


 私は、冷凍庫からうどんを取り出し、レンジにかける。


笹川ささがわさんは、どうするの?」

「カップ麺でも食べとくよ」


 私はそう言って、湯沸かしポットの電源を入れた。

 それを見て、ヨウが私に問いかける。


「食事、作ろうか?」

「作れるのか?」

「うん。いつも作ってたから」


 ヨウはそう言うと、返事も待たずに冷蔵庫をあさり始める。

 ここ数日は、ヨウの看病に追われて料理をする事もなかったが、私も食費を浮かす為に、自炊をしていたので、食材などは買い込んである。


「好きに使っていい?」


 尋ねる声が少し辛そうに聞こえて、熱のある子供に料理を任せる訳にはいかないと気付く。


「何もしなくていいから。食事したら、とっとと横になって寝てろ」

「料理、自信あるから大丈夫だよ」


 ヨウは私が断ったのは、料理が下手だと疑っているからだと思ったのだろう。

 しかし、当然そんな理由ではない。


「病人に料理させる程、俺は冷たい人間じゃないんだよ」

「あ、ごめんなさい」


 ヨウは謝ると、冷蔵庫のドアを開けたまま動きを止めた。


「冷蔵庫、閉めて」

「あっ!」


 ヨウは、慌ててドアを閉めると、決まり悪そうに、冷蔵庫にもたれかかった。


 それから、しばらくすると「チン」と音がして、私は出来たうどんを机に運ぶ。


「じゃあ、先に食べといて」

「ありがとう」


 私は、ヨウにうどんを渡すと、自分のカップ麺に湯を注いだ。

 そして、二人で立ったまま、うどんとラーメンをすすった。

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