第四夜

 結局、寝ようとなった頃には、もう夜中を過ぎていた。

 うちにはベッド以外に寝る場所がなかったのだが、冬用の掛け布団があれば寝床ねどこになるだろう。

 そう考えて、掛け布団を持ってリビングに向かった。


「ヨウ君はベッドを使えよ。俺はあっちで寝るから」

「あっちって?」

「そっちのリビングで寝ようと思って」


 私が答えると、ヨウは不思議そうな顔をする。


「一緒に寝ないの?」

「え?」


 別に一緒に寝るのが嫌な訳ではないが、さっきの一件もあったので、隣で寝るのは少しはばかられた。


「人を殺した後で、少し怖いんだ」


 ヨウに言われて、そんな事を言っていた事を思い出す。


「いつまで、そんな嘘をついてるつもりだ?」

「嘘じゃないよ」


 私は付き合いきれないと、相手にせずリビングの床で横になり、掛け布団にくるまった。

 しかし、ヨウはわざわざ私の所まで来て掛け布団を引きがす。


「寝かせてくれよ」


 私は、個展が終わって気が抜けていた上に、遅くまで打ち上げをしていた事もあり、早く寝てしまいたかった。


「一緒に寝てよ」


 さっきとは違い寂しい子供のような顔をしていて、誘って来るつもりはないように思えた。

 だからと言って、このまま一緒に寝る気にはなれない。


「ダメだ。それに、中学生なら一人で寝れるだろう?」


 それに、ヨウが答える。


「中学生じゃないよ」

「え? 小学生?」

「まさか。でも、そう言ったら一緒に寝てくれるなら、それでもいいや」


 中学生でなく、小学生でもないなら、ヨウは高校生なのだろうか。


「なら、尚の事、一人で眠れる歳だろう」

「じゃあ、いいよ。勝手にここで寝るから」


 ヨウはそう言って、布団の中に潜り込んで来た。


「寝かせてくれよ」


 私の言葉に、ヨウはすがるような眼差しでこちらを見る。


「お願い。もう襲ったりしないから」

「子供の言うようなセリフじゃないだろ」


 先程、襲おうとしたのだから、そう言う言葉が出て来るのもうなずけるが、ここで何かあったとしたら、疑われるのは間違いなく私の方だ。

 しかし、私はすぐにでも寝たかったから、しぶしぶヨウの要求を受け入れた。


「分かったよ」


 私は根負けして、ヨウと一緒にベッドで寝る事にした。


「おやすみ」


 私は電気を消すと、ヨウに背を向けてベッドに横になる。

 しかし、襲わないと言った筈なのに、ヨウは私の背中に抱きついて来た。


「何してるんだ?」

「寂しいから」

「ひっついていいとは言ってないぞ」

「これ以上は、何もしないから」


 どうせ、明日には帰らせるのだからと、今日くらいは甘やかす事にした。


「仕方ないな」


 私が後ろ向きのまま告げると、ヨウは微かな声で「ありがとう」と言った。


 ヨウがどういう暮らしをして来たのか、Tシャツについていた染みは何なのか、聞きたい事は山程あったが、どうせ朝にはいなくなるのだから聞く必要もないだろう。


「朝になったら帰るんだぞ。送って行くから」


 私が告げると、ヨウは私の背中に更にきつく抱きついて来た。


「帰る所なんてないよ」


 表情は分からないが、その声は今にも泣きそうに聞こえた。


「このまま、夜が明けなければいいのに」


 ヨウに帰る場所がなかったとしても、いつまでもここに置いておく訳にはいかない。

 しかし、今は告げず、このまま寝る事にして、手元のリモコンで照明を消す。


「おやすみ」

「おやすみ」


 そして、そのまま眠りに落ちた。


 しかし、空が白み掛けた頃、背中がやけに熱い事に気付いて目が覚めた。

 私は、違和感を覚えて、体ごとヨウの方を振り返る。

 ヨウの額に手を当ててみると驚くほど熱く、服も汗でじっとりと濡れていた。

 暖かいとは言え、雨に降られて、びしょびしょになるほど濡れていたのだから、風邪をひいてもおかしくはない。

 私はベッドから抜け出して、引き出しから体温計を出すと、ヨウの脇に挟んだ。

 しばらくして「ピピッ」という電子音が鳴り、体温計を取り出すと、三十九度六分も熱があった。

 想像以上に熱が高い。


「ええと」


 病人の看病など、今まで一度もした事がなかったから、どしたらいいのかよく分からない。

 とりあえず、体を拭いてから服を着替えさせ、保冷剤を頭の下に敷くと、洗濯機に脱がした服を投げ込んだ。


 私は、ふと思いついて、先程、洗濯機に入れたばかりのTシャツを引っ張り出した。

 しみじみと見るが、Tシャツはやはり赤く染まっている。

 試しに嗅いでみると、少し鉄のような匂いがした。

 これが、本当にヨウが殺して来たという相手の血だと言うのなら、重要な証拠になるに違いない。


「やっぱり、血……なのか?」


 本当に血だと言うなら、これはヨウの父親の血と言う事になる。


「まさか……」


 私は、頭に浮かんだ考えを否定した。

 しかし、それでも嘘だと言う確信が持てない。


「どうしたものか」


 私はTシャツを持ったまま考える。

 ヨウの言っている事が嘘ならいいが、もし本当なら、見つからないように処分する方がいいだろう。

 私は考えてから、洗濯が終わったら、日のあたる窓辺に吊るして乾かすのがいいのではないかと思った。

 そして、後は小さく刻んで、燃えるゴミで捨てればいいだろう。

 私は取り敢えず、Tシャツを揉み洗いしてから、洗濯機に放り込んだ。


 そんな事を考えていたら、寝室から声が聞こえた気がして、ヨウが起きたのかと思って見に行った。

 しかし、ヨウは目を閉じて、ベッドに横になったままだった。

「やめて……」


 寝言を言いながら、何かに抗うように空をかく。


「嘘……」


 ヨウの涙がほほを伝った。


「殺し……た……に……。なぜ……」


 途切れ途切れに言った言葉が気にはなったが、今はそんな事はどうでも良い。

 私は、ヨウが何かにすがるように伸ばした手を握りしめた。


「大丈夫。ここにいるから」


 私の声に、ヨウが僅かに目を開ける。


「誰?」

笹川ささがわだよ。覚えてるかい?」

「笹川……さん?」

「そうだよ」

「良かった……」


 ヨウは安心したように言うと、穏やかな顔で再び眠りについた。

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