第二夜

 私は、アパートに帰り着くと、玄関のドアを開けてヨウを招き入れた。


「どうぞ」


 しかし、ヨウはしばらくしても入る気配がない。

 やはり、知らない人の家に入るのは、ためらわれるのかと思っていると、ヨウが困ったように口を開く。


廊下ろうか、濡れるけどいいの?」

「そんなものは拭けばいいから、気にしなくてもいいよ」

「そう……」


 ヨウはそう言うと、靴と靴下を脱いで家の中に入った。

 やはり、ヨウは変な事を気にする子だ。


「入ってすぐの、右にあるドアがバスルームだから」


 私が告げると、ヨウは廊下をバスルームに向かって歩き、ドアを開けた。

 そこで、私は着替えもバスタオルも、何も用意もしていない事に気付く。


「服は後で洗うから、適当な所に脱いでおいてくれ。タオルと着替えは後で用意しておくよ」

「分かった」


 ヨウは振り向いて返事をすると、そのままバスルームに消えた。


 我が家のバスルームは、トイレと一緒になっているタイプの小さな物なので、収納スペースなどは何もない。

 私は、すぐに準備をすべく寝室に向かい、箪笥たんすの引き出しを開けて中をあさった。

 しかし、タオルは簡単に準備出来たが、着替えは何にしたら良いのか分からない。

 随分ずいぶんと小柄なので、私の服ではどれを着ても大きいだろう。

 それでも、少しはマシなものがないかと考え、タイトな感じのTシャツと、ウエストが調整出来るタイプのスウェットを用意する事にした。


「持って来たぞ」

「はい」


 私がノックをして声をかけると、ヨウは裸のままで戸を開けた。

 別にシャワーを浴びているのだから、裸なのは当然の事なのに何故か動揺してしまう。

 男と分かってはいても、ヨウは少女のような見た目をしている上に、何処どこ妖艶ようえんな魅力があるので、目のやり場に困ってしまうのだ。


「どうしたの?」


 ヨウは悪戯いたずらっぽく笑う。


「いや、別に。ただ、急に出て来たから驚いただけだよ。それより、着替え」


 適当に流して着替えを渡すが、ヨウは、私が動揺している事に気付いたらしい。


「まあ、そう言う事にしておくよ」


 ヨウは、そう言いながらタオルを受け取ると、頭を乾かし始める。

 私は、ばつが悪くなって、思わず目を逸らした。


「外にいるから」


 私は声をかけると、バスルームを出て、落ち着く為にと茶を飲んだ。

 そうしていると、ヨウが服を着て出て来る。

 やはり、ヨウには大きかったようで、ズボンに至っては、いっぱいまでしぼってもズレるようであった。


「お先にありがとう」

「いや」


 ヨウが挨拶をするのに適当に返すと、その辺を探して、フリーサイズのナイロンベルトを渡した。


「サイズ大きかったな。とりあえず、これで縛っておいて」

「ありがとう」


 ベルトを渡すと、ヨウは早速、腰に巻いた。

 私はそれを見届けると、バスルームのドアを開ける。

 それから、ふと思い出してヨウに声をかけた。


「あ。シャワー浴びて来るから、そっちの部屋で適当に座ってて」


 私が指さすと、ヨウは返事をして寝室に消えた。


 私の部屋は1DKで、リビングをアトリエにしているが、それでは場所が足りず、寝室にもキャンバスなどを置いているので、居住スペースはあまりない。

 寝室から文句を言う声が聞こえたが、私は気にせずシャワーを浴びる事にした。


 私は、シャワーを浴びながら考える。

 ヨウを初めて見た時、正直、変わった子だと思った。

 しかし、自分に関わるなとは言っていたが、何処か寂しそうに見えて、そのまま放っておく事が出来なかった。

 人を殺したと言った時には驚いたが、からかっているとしか思えない。

 しかし、それなら、服についた染みは何かという事になるが、それについては見当もつかなかった。


 私は、そこまで考えてシャワーを止めた。


「お待たせ」


 私がバスルームから出ると、寝室から声が聞こえる。


「おかえり?」


 何故なぜか疑問形で聞かれて、私は思わずおうむ返しに聞き返す。


「おかえり?」

「だって、なんて声をかけたらいいか分からなかったから」


 確かに、改めて言われると、何と言えばいいか分からない。

 私が考えていると、ヨウが話題を変えた。


「それより。この部屋、絵を描く道具がいっぱいあるけど、笹川ささがわさんって画家なの?」


 ヨウの質問に、私は何と答えたらいいか言葉に詰まった。

 確かに絵を描いてはいるが、それで食べている訳ではない。

 個展を開けるようにはなったが、やっと絵が数枚売れるようになったばかりだ。

 前に勤めていた会社は、お金がある程度貯まったので辞めてしまったが、画家になろうと思ったからではない。

 ただ、勤めていた会社が、出張も多く所謂いわゆるブラック企業で、絵を描く時間が全く取れなかったと言うだけだ。

 それに、しばらく休んだら、次の就職先を探すつもりでいる。

 こんな半端な状態では、とても画家とは名乗れない。


「まあ。画家の卵かな」


 私は苦笑すると、はぐらかすように答えた。


「へえ。じゃあ、笹川さんの絵を見せてよ」

「いや、今ここにはないから」


 実際、自信作は個展に送ってあるので、手元にあるのは、他人には見せられないような物がほとんどだ。

 けれど、絵のキャンバスは寝室にもあるのだから、見ようと思えばいくらでも見る事が出来る。

 その存在には、ヨウも気付いていたようではあったが、横目に見ただけでえて追求する事はなかった。


「じゃあ、今度見せてよ」

「ああ。返って来たらな」

「約束ね」

「ああ」


 私はそう答えたが、明日になればヨウも帰っているだろうから、見せる機会はないだろう。

 その事にホッとすると同時に、少し残念にも思った。

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