西暦2059年4月14日(月) 13:00

 4月14日(月)、13時を過ぎた頃。

 いのりが車椅子でスタジオの配信者用個室に向かうと、そこには待ち合わせをしていた善幸が待っていた。

 もぐもぐとエクレアを食べている。


「ごめんね~」


「ああ、いや……別にいいぞ、仕事優先で」


 善幸の言葉の裏側には、つい最近までまるで無かったVliverの仕事に対する敬意が滲み出ていた。


「え~せんせ~を優先したい~」


「優先するな」


「歩いてるだけで優先してもらえる歩行者が居るような時代なんだぜ、ミスター~」


「歩行者優先を特権みたいに言うんじゃないぞ」


 えへへ、と笑ういのりの横で、善幸は手首の機械端末を操作した。ハンドベルト型PCから空間ディスプレイが出現し、善幸が電脳空間にトレーニング用のフィールドを構築していく。


 個人に普及するデバイスは、"より大きくより高性能に"という志向ではなく、『性能はそのまま複数の機械を統合してより小型化して』という方向性を持っている。

 この時代のデバイスであれば掌に乗るサイズどころか、人差し指に乗るサイズのデバイスであってもメモリ200GBストレージ10TBといった性能を当たり前に保有しているもので、周囲の安全が確保できているのであればどんな場所からでも意識を移すフルダイブが可能である。


 善幸ならば、かつて所属していたチームで贈られた剣型ネックレス式フルダイブコンピューター。ハンドメイドのハイエンドスペックPCである。

 いのりならば、数年前のハイエンドなれど今は型落ちなインカム型デバイス。旧式でもまだ現役で寿命が来る気配も無いのは、流石に元ハイエンドといったところか。


「なんかさ~、一緒にログインする時とか、試合に行く前とか、専用の掛け声が欲しいよね~。西中バレー部ぅ~、ふぁいっ! みたいなの~」


「要るか?」


「せんせ~は団体戦でやってたんじゃないの~? 動画で見たよ~、世界大会団体戦で掛け声でいっちばんおっきな声出してたせんせ~」


「……まあ、あの時の俺はリーダーでもなんでもない新入りメンバーだったしな……」


「せんせ~、何か考えて~。かっこいい英語のやつ作って~。Vliverごとの専用の挨拶みたいに、たぶんそういう専用ワードがあると後で効いてくるよ~」


「ん……まあ、そうか、そういうのもあるのか」


 トレーニング用の設定を組みつつ、善幸はパパっと適当なフレーズを提案した。


さあ、遊ぼうかLet's hang out.くらいでいいんじゃないか。適度に緩くて、適度に気合いが入る、Vliverの試合前の掛け声って感じだ。他にそれっぽいのだとたとえば……」


「それで!」


「そ、即決……早いな」


「いいじゃんいいじゃん~」


 フィールドの設定を完了し、善幸の剣十字と、いのりのインカムがにわかに輝く。


「「さあ、遊ぼうかLet's hang out.」」


 YOSHIと伊井野いのりが転送されたフィールドには、魚が跳ねる美しい川、川沿いの果樹園、果樹園の中に広がる広い空き地という風景が広がっていた。


 いのりは懐かしさが胸一杯に広がって、懐かしさが安心感をくれて、それが染み渡るように自分をリラックスさせていくのを感じた。


 伊井野いのりのリスナーなら誰でも知っている。

 伊井野いのりのリスナーでない者は知らない。

 彼女にとって、川沿いの果樹園はとびっきり幼い頃に一度だけ家族に連れて行ってもらった思い出の場所。

 雑談の途中で「果樹園はいいよ~」と定期的に言っているくらいには、いのりはこの風景を愛している。


 だと、すれば。

 善幸は教え子達を教えるにあたって、ちゃんと教え子達の『予習』をして来たということだ。


 いのりの全配信を見れるような時間はなかったはず。

 おそらくいのりの配信切り抜き動画をいくつか見て、その中の1つにあったいのりが果樹園を好きだと語っている動画を参考にしたのだろう。


 それは、単にいのりの可能性を引き出す手段なのかもしれない。

 あるいは、いのりがやりやすい場を合理的に作っただけなのかもしれない。

 ともすれば、深い意味も無くたまたま目についたものを使っただけかもしれない。

 善幸がどういう考えて練習のフィールドをこうしたのか、善幸以外の誰にも分かるはずはない。


 ただ、いのりは、そこに善幸の"よい心"が含まれているのだと、何の根拠も無く信じていた。


「どうした」


「わかってるくせに~」


「……練習と指導を始めるぞ」


「は~い」


 他人の細かい所作をよく見ている善幸は、その時いのりの指先が何かの操作をしているのを見落とさなかった。


「何をしてる?」


「平日午後に練習してもリスナーさん達は来られないから~、配信はしないで練習の風景を8視点くらいで録画しておいて~、運営さんに提出するのさ~。そしたら運営さんが30分くらいに切り詰め・切り出しして、字幕・テロップ・解説付けたりちょっと効果音付けたりして、面白おかしくして公式アカウントで投稿してくれる感じ~。名付けて、『今日から君も上級者! YOSHIとへっぽこVliverシリーズ』!」


「……なるほど」


「1分くらいのショート動画も作る予定なんだって~」


 練習を丸々録画し、いい感じに編集して30分程度の動画にして提供する。

 手頃な長さの動画を好むリスナーは、ここから入ってくる。


 面白かった掛け合いや、短くまとまった教訓の伝授、小技の指導などを1分程度のショート動画として抽出してSNSや動画サイトに投稿する。

 サクッと見れる短い動画を好むリスナー、SNSの動画くらいなら見るというリスナーは、ここから入ってくる。


 そうすることで、広い範囲から新規が入ってくるルートを作っているのだ。

 長時間配信だけがVliverの華ではない。

 入り口を多くすれば、それだけ入ってくる人は増えるだろう。


「……面白い理で動いている世界だな」


 善幸は練習というものに何かを思ったことはない。

 学びを得ながらひたすら効率化していくもので、可能性を磨き上げる手段でしかないと思っていたからだ。


 しかしながら、おそらくVliverというものはプロなのだろう。


 練習の効果と成果に意味を見出すYOSHIと、練習を見ていて面白いコンテンツにすることに意味を見出すVliverでは、練習の意味そのものが違うのだ。

 YOSHIにとって練習とは本番の競技のための積み上げで、Vliverにとっては練習さえも人に見せる仕事の本番に他ならない。


 Vliverは練習の中での会話を、指導を、失敗を、成功を、そして努力と成長を、ごく自然に優良な見世物にしていく。

 未熟な人間が成長していく普遍的で人気のあるストーリーを、世界の頂点がそれを導くストーリーを、ノンフィクションで組み上げていく。


 『どうやって練習に観客を集める?』という観点から生まれるテクニックなど、YOSHIは考えたこともなかった。

 未熟な人間と世界の頂点が織りなすノンフィクションのストーリーを、様々な長さの動画で、様々なサイトで公開することで、それらを事前に見ていた人達が予備知識を得て、また善幸らがリアルタイムで配信を行う日に、より多くの人が集まる。

 そうして、これからの配信の価値を高めるのだ。


 その妥当性は、善幸にとってはやはり、異界の常識か何かに見える。


「自分で編集して出してるVliverも結構多いよ~」


「そうなのか」


 録画が始まり、特訓が始まった。

 Vliverの流儀で過程が撮られて宣伝材料となるという話は頭に入っているが、だとしてもやることは変わらない。

 貰った数時間で、叩き込めることを叩き込んでいくだけだ。最高効率で。


「これを見てくれ」


 善幸がストレージからデータを引き出し、瞬時に組み上げたスキルでいのりにも見える形で空間に表示する。


 それはいくつかのグラフであり、細かい項目ごとの数字のカウントであり、アクションごとの分析であり、まう・いのり・東郷に対する個別研究だった。


「これは昨日の合同練習で見られた特徴を俺が個人的な観点から重み付けをし、各種数値を統計にし、俺の個人的見解をメモとして書き加えた『伊井野いのりレポート』だ。これから練習する度にデータを追加し、随時更新する」


「わぁ~、愛がある~」


「愛か?」


「この厳しさと熱量は愛だよ~」


「そうか。愛か」


 いのりの冗談めかした言葉をさらりと流す善幸だが、配信外のいのりが日常的に言うタイプの冗談で、配信中のいのりが絶対に言わないタイプの冗談であることは、イマイチ察せてはいなかった。

 Vliverには固有のノリがあるが、配信中は言わないようにしているセリフもある。

 炎上を避けるために。


 肩が触れそうな距離で、並べられたデータを覗き込む2人の横で、澄んだ川がさらさらと流れて行っている。


「ここを見てくれ。状況変化に対する反応速度だ。俺が飛び上がった時の反応、俺がスキルを使った時の反応、俺が意表をついて動いた時の反応、誰かが何かの発言をしてそこに上手くボケたり上手くツッコんだりする反応速度を具体的に書き出している。まう、東郷、いのりの順に高い」


「……というか、わたしが低いよね。ごめんね~、のんびり屋で~、足手まといで~……」


「いや、このくらいなら許容範囲だ。統計上、Cランクチームの平均値の少し下くらいはあるからな。まうと東郷が速いんだよ、気にするな」


「……うぅ~」


 いのりが申し訳無さそうに、かつ可愛らしく唸ると、果樹園の葉が風に揺れて擦れて笑ったような音を立てた。


「代わりに高かったのが、発想力だ。ここを見てくれ。俺が出した問題にあたるスキルセットに対して、3人が効果的なスキルを使う練習をしてたところの分析だ。『俺が想定してた正解を見せた回数』『俺が想定してた誤答を見せた回数』『俺が想定してなかった解答を見せた回数』で、まう、いのり、東郷で個別にカウントしてる」


「えっ……ってかさっきから思ってるけど~、細かく見てるんだね~、せんせ~」


「まあ、このくらいは最低限な。いのりは『俺が想定してなかった解答を見せた回数』が一番高い。まうの5倍近い数だ」


「? それ、何かいいこと~?」


「いいことだとも。それだけ俺の予想を外してきたわけだからな。戦場で俺がうっかり落とされる可能性が一番高い手合いだ」


 善幸が力強く頷くと、いのりは照れたように頬を掻いた。


「この数値の高さは、いのりのクリエイティブな能力の高さを示している。『新しい何かをパッと作るセンス』が高いとも言えるな。仲間としてはこんなに頼りになるものもそうそうない」


「えへへ~褒めすぎぃ~」


「実際、ちょっと感心するスキルの使い方や組み合わせも何度かあったしな。まったりした建築配信とかが多いんだろ、いのりは。となると周辺物質を利用して色んな手段が取れるビルド系スキルがいのり向きっていうのは、おそらく事実で……」


「あ、やっぱり配信見てくれてるんだ~、ありがと~」


「……まあ、人並みにな」


 にこにことしたいのりにそう言われると、善幸はなんとなく言葉にし難い気持ちに襲われる。


 たとえるなら、流行に乗るつもりが無かったのに、流行のものに衝動的に惹かれてしまった悩ましさとか。

 たとえるなら、知り合いの女の子に試合の応援に来てと言われて、行かねえと応えたのに、結局応援に行ってしまって、それが女の子にバレた後の気恥ずかしさとか。

 たとえるなら、皆が尊敬する大人気野球選手を応援していたら、振り返ってこちらを認知してくれて、こちらに手を振ってくれた時の湧き上がるような気持ちとか。

 たとえるなら、毎朝こっそり教室の掃除をしていたことがクラスの女の子にバレて、褒められたけども嬉しくはなく、"気付かれた"という居心地の悪さだけが残った時とか。


 そういったものが少量ずつ混ざったような、1つの言葉では表し難い感情。

 何にせよ、善幸にとっては知らない感情であったことは間違いがない。


「配信どのへんがよかった~? 聞かせて~!」


「いや、そういうのは、なんだ、分からん」


「あ、いいところ何もなかったんだ~……」


「そんなことは言ってない。どこが良くてどこが悪いのか判断する基準を俺は持っていないという話だ。だから落ち込む必要も無いし、君は君の配信を見に来ているリスナーの言葉を信じれば……」


「じょーだんでした~。配信見てくれてありがと~!」


「こいつ」


「わたしの配信見てくれるだけで大好きだよ~」


 まうも、いのりも、東郷も、YOSHIが知らないスタイルの生き方で生きていて、それがなんだか不思議と善幸の芯の部分を揺らがせる。


 いのりで言えば、このまったりとした雰囲気と、緩やかな会話の速度、素直に感情を表す表情、何でも許してくれそうな性格と、"体温も高そう"と何の理由もなく思わせる暖かな他人との接し方、そしてひとつまみのユーモア。

 そういったところに、YOSHIは揺らされる。


「まあ、だから、俺はいのりには前衛スキルビルドを勧めない。あれは反射神経に優れた奴が選ぶフィールドだ。ほどほどに距離を取って色んな工夫ができるスキルセットを組むのが良いと思う」


 知っているつもりだったが、知らなかった人。

 原作で見たことがあるだけで、まるで理解していなかった人。

 ゲーマーがRPGで出会う魅力的なキャラクターに対してそういう認知を持つように、こうして話すまで、YOSHIは『伊井野いのり』のことを何も知らなかったくせに、知ったつもりでいたのだ。


「う~そう言われるとスキルに迷う~困る~」


 そんな人を助けるために、原作などという紙の束でしか彼女のことを知らなかったYOSHIが、使ってやれるものもある。


「たとえば、こういうスキルセットはどうだ?」


 それこそが、原作知識。


 YOSHIはごく自然な流れで、原作で彼女が使っていたスキルセットと、原作で彼女が使っていた戦法を、そのまま述べた。






 原作知識というものがあった時、そして原作に登場するキャラクターを指導するべき時、人は何を選ぶのが正しいのだろうか。


 自分が考えた理想の育成?

 原作を超える強さへの教導?

 原作の成長イベントの先取り?

 原作でいずれ戦う強敵への対策の仕込み?


 YOSHIは、『最速効率で原作の強さへ到達させ時間の余裕を作る』『後は本人の個性に任せる』を至上とする。


「うわぁ~なんかしっくりくる~いのりちゃんずっとこれ使うぜ~」


「いや、自分なりにいじりたくなったらどんどんいじっていい。トータルで弱くなりそうだったり、勝てなくなりそうだったら、俺が修正する」


「え、いいの~? せんせ~が思った通りのスキルで思った通りの動きをする仲間の方がやりやすいんじゃないのかな~?」


「細かい部分は俺が合わせていけばいい。ポシビリティ・デュエルで真に強いのは1つの戦法にひたすら打ち込んだ奴じゃない。敵や環境に合わせて、自分の得意な戦法を柔軟に変化させていける奴だ」


「毎日固定の時間に30分の編集ゲームプレイ動画を投げてた人が、環境の変化に合わせてゲームプレイ生配信のスタイルに変化させたみたいな~?」


「……ピンと来ないが、まあそうなんだろう」


 YOSHIは教えたスキルセットを使いこなすのに必要な思考の構築、スタイルの確立、及び基本技術を教え、いのりを導いている。

 『原作でしていた試行錯誤の過程の練習を省いたせいで原作に無い弱点が生まれてしまった』などということになれば目も当てられない。


 あくまでこれは、1年分のショートカットでなければならないのだから。


「うお~なんか出来た~!」


「そうそう、その調子だ。イメージがちゃんとできてるな。スキルのイメージは五感を基点に構築される。見かけは視覚から、生まれる音は聴覚から、質感は触れた手触りの触覚から構築するんだ」


「なるほど~」


「たとえば毎日飼い犬を見て、足音や鳴き声を聞いて、事あるごとに撫でて毛並みを確かめている人は、スキルで犬を出すのが得意な個性を得るってわけなんだな」


「わたしも極めればチョコを自力で出して自分で食べる永久機関になれる……!?」


「いのりのビルド適性ならたぶん練習すれば1日かからないぞ、それができるまで」


「ほんとに!?」


「それやった奴は大抵死ぬほどチョコ食った挙句にチョコの味に飽きて『もう1年くらいはチョコ食べなくていいや』って言い出すけどな。1つのイメージ訓練で出せる味は1つしかねえからさ」


「……やめとく~」


「そうか」


 あれやこれやと教えていくと、あっという間に時間が溶けて、1時間、2時間、3時間と過ぎていく。


 しかし、時間は有限である。


 時間が無限であればどんなによかったか。


 野球選手も、Vliverも、ポシビリティ・デュエルの競技者も、無限に時間があればなんだってできる。


 けれどそうではないから、皆限られた時間をどう使うかで苦しんでいるのだ。


 18:00。

 真面目に指導を受けるいのりに、YOSHIは諭すように声をかける。


「ここまでにしておこう」


「え~まだ頑張れるよ~」


「21時から配信予定だろう、君は」


「……あ~~~」


「部屋に帰って飯食ってちゃんと休んどけ。今は『新しいことができるようになった』高揚感で疲労を感じてないだろうが、疲労はちゃんと蓄積してる。最悪、配信中に疲労のピークが来るぞ」


「あ~、ありそ~」


「配信も試合もちゃんとやっていくんだろう。片方を疎かにするな」


「そだね~……あ! せんせ~! 夜はお暇ですか~!?」


「夜? 何かやろうとはしていたが、特に予定があるわけじゃないが……」


「じゃあ~、じゃあ~!」


 いのりの問いかけの意図を、YOSHIはすぐに察することができなかった。




「せんせ~、わたしの『戦わない普通の配信』に、ゲストとして来てみない?」




 配信を知る者であれば、話を振られた時点でピンと来る話だったのだが。


「え……なんだ、機材運びとかすればいいのか」


「配信者として来てほしいんだよ~!?」


 YOSHIには、ピンと来ていなかった。

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