死が二人を分かつまで

天瀬智

第1話

 放課後の美術室で、私はひとり、キャンバスに向かって絵を描いている。


 全寮制で中高一貫の女子校――いわゆるお嬢様学校に通う私は、高校から受験組で、クラスでの立ち位置も低い。

 元々、目立たない性格だったし、人付き合いも苦手だったから、それは別に構わない。

 ただ、何に対しても受験組だからと言われるのは、腹が立つ。

 だから、私はその鬱屈した気持ちを、所属している美術部で部員がたったひとりであることをいいことに、キャンバスに吐露していった。


 暗い絵が多いと言われるけれど、今の私が描いているのは、違う。

 その絵を完成させるために、放課後の部活動禁止が報じられても、私はこっそり美術室に忍び込み、カーテンを閉めて、電気を一部だけつけて作業に没頭していた。


 だから、ガラッ――と年季の入ったドアが鳴らす開けずらそうな音に、私は心臓を鷲掴みにされたような衝撃で筆を落としてしまった。

 それを拾おうと屈んだ私の耳に、その声は聴こえた。


「あなた、ひとり?」


 筆を掴み、屈んだ体を戻す。

 開いたドアに手をかけるようにして、ひとりの女性が立っていた。

 私は、その容姿に、今度は口から心臓が飛び出すくらいの驚愕に見舞われた。


 長くてまっすぐな、白い髪。

 日の光を知らない、真っ白な肌。

 とっくに廃止になった、夏用の白いワンピースのセーラー服。


 その姿に、学校で流れている噂が頭を過ぎる。


 ――また、貧血で倒れた子がいるって。

 ――首とか腕におっきな絆創膏を貼って。

 ――倒れた子も口を閉ざしてるし。

 ――みんな、放課後に発見されてるの。

 ――白い女の幽霊を見たって子もいるって。

 ――瞳が紅くて、すごく昔の制服を着てたらしいよ。

 ――あれは幽霊じゃなくて、


「放課後の……吸血鬼」


 思わず口にしたその噂の君が、妖艶に微笑む。


「その呼び名は、私のこと?」


 美術室に入ってきた噂の君が、机の間を抜け、後ろでキャンバスに向かって座る私に近づいてくる。

 そこに至って私は、自分が描いていたものを見られるわけにはいかないと焦った。

 だけど、隠せるものなんてなくて、結局なにも行動することができず、近づいて来る噂の君を見つめることしかできなかった。


「こんな時間まで残って、何を描いてたの?」


 その問いに、私は答えられなかった。

 だって、この絵が、答えなのだから。


「へぇ~」


 覗き込む噂の君が、嬉しそうに、楽しそうに、笑む。

 顔を傾けた際に零れる白髪に、目が釘付けになる。

 老化による白化とは違う、まるでつくられたかのような真白。


「これ――」


 くるりと首をまわし、私を見つめる。

 その紅い瞳が、私を捉えて離さない。

 まるで人非ざるその存在に、私は動悸が激しくなり、座っていても倒れてしまいそうなほどに動揺していた。


「私だよね」


 キャンバスに描かれた人物は、目の前で笑む噂の君だった。


「どうして私を知ってるの?」

「それは……」


 噂の君が、時代遅れのように長いスカートと一緒に脚を抱きかかえこむようにしてしゃがみ込む。

 見下ろされるのではなく、見上げられていることが、まるで乞われているように感じて、私は口を開いていた。


「ここの窓から見える一階下の渡り廊下を歩いているところを見て……」

「ああ、そうだったのね。それは、盲点だったわ」


 理由が分かったことで納得したのか、噂の君が立ち上がる。


「それで、どうしてあなたは、私を描いてくれているの?」


 その理由を口にしたら、どう思われるだろうか。


「そもそも、今は放課後の部活動が禁止されているはずなのに、そんな禁忌を犯してまで、どうして私を描いてくれるの?」

「それは……」

「もしかして、期待してた?」

「――ッ!」

 まるで心を見透かされたかのような言葉に、呼吸が荒くなる。


「落ち着いて。咎めていないわ。むしろ、嬉しさすら感じてるの」

「でも……」

「あなたも気づいているのでしょう?」


 噂の君が立ち上がり、私の肩に手を置き、後ろに回り込む。

 そして、耳元で囁くのだ。


「貧血で倒れた子たちの原因が、私にあるって」


 まるで稚拙な噂だった。

 そのはずだった。

 吸血鬼がでるなんて。

 あまりにも馬鹿馬鹿しくて、だからこそ好奇心を抑えられなくて、そんな噂が広まったのだろう。

 だけど、ここにいる子たちはみんな女子で、全寮制という封鎖的な環境は、そういった噂を驚くほどの速さであっという間に伝播――いや、感染させる。

 単なる噂なのに、いざ自分が放課後にひとりになると、背後に誰かいるんじゃないかと錯覚する。

 内気で内向的な子ほど、そういった感覚に陥りやすく、一種のパニック状態に陥ってしまい、倒れたのだ。

 放課後という、夜を迎える独特の雰囲気も、それを助長させたのだろう。

 日が沈み、夜がくる時間帯は、まさに吸血鬼の時間。

 だけど、それはあくまで噂どまりだった。

 そのはずが、ひとりの女子生徒が白い幽霊を見たと吹聴して回ったことを端に発し、そこから白髪の旧制服を見にまとった女性の吸血鬼像が流布していったのだ。

 そして、私も、その姿を見たひとりだった。


「あなたは、私が何者か、分かる?」


 緊張で強張る体をなんとか動かし、首を振る。


「怖くない?」

「す、少しだけ……」

「でも、すごく怯えてる。こんなに震えてるもの」

「そ、それは……」

「言えない? いまあなたが抱いている感情は何?」

「わ、私は、ただ……」


 言えない。

 この気持ちを言ってはいけない。

 渡り廊下を歩くその姿に、私は――


「教えて」


 両肩に手を置かれ、唇が耳たぶに触れるんじゃないかってほど近くで囁かれた言葉に、それに乗って吹き込まれる吐息に、私は頭が真っ白になって、


「み、見惚れてしまっていたんです」


 噂の君が黙り込む。

 振り向きたい気持ちと、振り向けない気持ち。

 振り向いたらきっと、間近でその顔を見ることになり、そんなことをしたら、私はきっと正気でいられなくなる。

 あまりにも綺麗なその顔、どこか憂いたあのとき見た表情が、私を魅了し、捉えて離さない。

 キャンバスに描いている間、ずっと問いかけていた。


 どうしてそんな哀しい顔をするのですか?

 何があなたをそんな表情に落とし入れるのですか?

 

 だけど、キャンバスに描かれた噂の君は答えない。


「それはつまり――」


 しばらくして、噂の君が言葉を発した。

 その声だけで、体が痺れしまう。


「私を好き、ってことでいいのかな?」

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