第1-6回


 ニッコサンガの町を、スタックス支部長に付き添いながら、すたすたと歩いていく。

空はすっかり暗くなっており、人の行き交いもここに来た時より、うんと減っていた。

役所を離れてから三所の別れ道を曲がっていき、しばらく歩き続けたところで、彼の足がある場所を前にして動かなくなる。



 看板を掲げている、この少し大きな建物。

 ここが彼の言っていた、支部、なんだろうか。



そう思いながら、上の方へと目を向けてみる。

真っ暗な空には小さな光がぽつぽつと点在し、建物はぐんと大きく夜空に伸びていた。


「おーい。私だ、遅くなってごめん!開けてくれー」


 そう言いながら、彼は扉を軽く叩いている。


「はい?ああ、おかえりなさい。随分ずいぶん遅かったですね」


 扉の向こうからは、穏やかな雰囲気に包まれた女の人が出てきた。


「いや、ははは・・・・・・。まあ、中に入りなさい」


 彼にうながされ、俺も建物の中へと足を踏み入れてみる。


「えっ・・・・・・?あの、そちらの方は?」


 彼女は不思議そうに、俺の顔を一瞥いちべつしてから、彼に尋ねていた。


「お・・・・・・自分、アールって言います。スタックスさんに助けていただきました。はじめまして・・・・・・」

「いや、帰り道にカイサイを過ぎようとした時にね、グランさんが呼んでいるって事で。それから手助けしてみたら、彼が記憶喪失きおくそうしつだって言うものだから。それで、ついさっきまで役所で色々手続きをしていたんだよ」


 彼は事の経緯を、俺の代わりに説明してくれた。

彼の話が終わってから、俺はもう一度彼女に一礼をする。

彼女も納得したように、こくこくとうなずいていた。


「そうだったんですね・・・・・・。今日は本当に、お疲れ様でした」

「いや、私はどうって事無いよ、彼の方がよっぽど大変さ。グランさんが引き揚げるまで、ずっと流されていたんだから」

「ええっ・・・・・・!?」


 スタックスさんの言葉に、彼女はぎょっとした表情を浮かべていた。

流されていた、という言葉が、とても信じられないとでも、言いたげに。


「いや、まあ・・・・・・。覚えていないから、自分でも何が何だか分かっていないんですけどね」


 湧いてくる恥ずかしさを誤魔化ごまかすように、後頭部に手を掛けながら、こくこくと頭を下げる。

少し間を空けてから、支部長がフッと口を開いた。


「そう言う事情もあるから、しばらくうちで預かる事にしたんだ。身寄りも無いし、グランさんに預かってもらうのも、申し訳ないからね」

「そうですか・・・・・・。えっと、じゃあしばらく、アールさんはここに泊まる・・・・・・って事ですよね?」


 彼の言葉に、彼女は一瞬まゆしかめる。



 ああ、そうだよな・・・・・・見ず知らずの人が縁も無いのに泊まるんだよな。

 外から見ても分かるくらいに高い建物だし・・・・・・。

 もしかしたら、留守番も兼ねて、彼女はここに住んでいるのかもしれないよな。



俺はここに来るまで、他にも人が居る事を全く想定していなかった。

彼女の反応に、つい申し訳ないという気持ちが込み上げてくる。


「すいません、ずっと迷惑をかけてしまって・・・・・・」


 何も出来ない俺は、そう言いながら頭を下げる他は無かった。


「ああ、いやそんな気にしないでくださいよ!私は大丈夫ですから!あの三階にある、療養室を使うんですよね?支部長」


 彼女は慌てた様子で、手を横に振り彼に話しかけている。


「うん、今は幸い空いている事だし、それならちょうどいいかなと思って。まあ、そりゃ怖いっちゃ怖いか・・・・・・」


 うんうん、と軽く頷いてから、うーんと小さくうなるスタックスさん。

 沈黙がしばらく部屋の中に流れてから、重苦しそうに彼が口を開く。


「宿、探してくるから。そこに・・・・・・」

「いえ!だ、大丈夫ですよ!その、アールさんの気持ちも考えずに、つい私も変な事言ったりして・・・・・・。本当に大丈夫ですから」


 俺の方を向きながら、話しかけていた彼の言葉をさえぎるように、彼女が言葉を発した。

やや強引に話しを遮られた彼は、ちょっと面食らったようで、一瞬言葉に詰まっている。

それから、また静寂がしばらく部屋に流れて───。

考えがまとまったように、彼は頬を緩ませてから、こくこくと頷きだす。


「分かった。ごめんね、急な話にこんな形で巻き込んでしまって」

「いえ!私なら大丈夫ですから!その、アールさん・・・・・・お気に触りましたよね?ごめんなさい」


 彼女も、俺の記憶喪失について随分気にかけてくれている様子だ。

初対面の相手に、そこまで気を遣ってくれるその姿勢に、より申し訳ない気持ちが強くなってくる。


「俺の方こそ、突然ですいません。色々、ご迷惑かけてしまって・・・・・・」



 気遣きづかってくれた、その気持ちに返事をしないと。



その一心で彼女に、そしてスタックスさんにもう一度深く礼をした。

申し訳なさそうに顔の前で手を振り、気にしないでと言う彼女。


「分かった。それじゃあ、あらためてこれから君に部屋を案内するから」


 小さく頷いてから、スタックスさんがまた口を開く。

そう言いながら向こうに見えている階段に向けて、歩こうとした時だった。


「あ。そういやアール君、お腹は空いているかな」


 ぴたりと足を止めて、振り返りながら俺にそう話しかけてくる。

その後にすぐ、彼女もぽんと会話を続けてきた。


「あ・・・・・・。でも、今はパンくらいしか出せないですよ。明日もあるので、そんなに今日は買い込んでいませんでしたので」


 そうか・・・・・・と彼女の言葉を受けるように、彼は小さくつぶやいている。

空が暗くなるまでここまで歩いて来たはずなのだが、そう聞かれてからも不思議な事に、お腹が空いた感じは全く無かった。

彼らを気遣って、という事とは関係無しに、何かを食べたいという意識が、今の自分の中には無かったのだ。


「あの、俺なら大丈夫です。全然お腹空いていません。疲れて、それどころじゃないのかも・・・・・・ははは」


 俺の言葉を聞いてから、二人は軽く顔を見合わせている。

その言葉に安心したかどうかは分からないが、ふっと頬を緩めて二人もほんのり笑っていた。


「分かった。じゃあ、これから案内するからついて来て。セッちゃん、また後で降りてくるから」

「分かりました。アールさん、今日はゆっくり休んでくださいね」

「二人とも、今日はありがとうございます。しばらく、お借りさせてもらいます」


 二人の言葉に、俺はもう一度感謝の気持ちを込めて頭を下げる。

うんうん、と軽く頷いてから、彼はすたすたと階段を登りだしていった。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 二階、三階と上がってすぐの手前にある扉の前で、彼はぴたりと立ち止まる。


「じゃあ、アール君。気にせずゆっくり、休んでくれていいからね」

「すいません、ありがとうございます」


 彼の言葉に、俺はまた感謝の気持ちを込めて礼を返す。

その扉を開けた彼は、どうぞ、と中へとうながしてくれた。

もう一度、ありがとうございます、と頭を下げながら、暗い部屋の中へと足を踏み入れていく。


「それじゃあ、おやすみ。また何かあったら、一番下まで降りて来てくれ。私はしばらくそこに居るから」

「ありがとうございます」


 彼は笑みを浮かべながら、暗がりの向こうへと消えていく。

ギシギシ、ギシと閉じられた扉を伝わってくる、階段を下っていく足音。



 せっかく好意的に、部屋を用意してもらったんだ。

 俺も、今日はここで休ませてもらおう。



そう思いながら、ぐるりと目を一周させていく。

部屋の中にはベッドがあり、それに机と、背もたれの無い丸椅子まるいすが二つある。

そして窓からは暗い空が見え、その空にはぽつぽつと、小さな光が綺麗きれいに輝いていた。

ベッドに腰掛けてからき物を脱ぎ、その上にざばんと仰向あおむけになってみる。

暗い中で見えるのは、たくさんの木目───。



 彼に案内してもらった城下町ニッコサンガ、そしてこの支部。

 初めて入る場所で、初めて横になる場所なのに・・・・・・。


 不思議と安らかな気持ちになってくる。

 まるで久しぶりに、我が家へ帰って来たような───そんな気持ち。



わっさわっさと、頭をベッドの上で揺さぶりながら、ゆっくりと穏やかな空気にひたっていく。



 この安らぎ───。

 体のしんから染み渡っていくような、このぬくもり。


 久しく、忘れていたような・・・・・・不思議な気持ち。

 ああ、ずっとこんな時間なら良いのに・・・・・・。



天井を見つめているうちに、温もりをまとった言葉が、ぽつりぽつりと浮かんでくる。

窓の方に顔を倒して見ると、変わらず小さな光が、きらきらとしていた。



 ありがとう、俺を受け入れてくれて────。



窓の向こうを、天井を、扉を眺めていくうちに、段々と目が重くなってくる。



 今日は、ありがとうございました・・・・・・。

 俺、力になりたいです・・・・・・。



ぽかぽかとした気持ちに包まれながら───。

静かな、安らぎの向こうへと、ゆっくりと沈んでいく事にした。




 -続-




 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




<後書き>

・もうしばらく、町でのパートが続きます。

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