シェルオパールと白昼夢
帷子
シェルオパールと白昼夢
この思い出は、何時のことだったか。
「貝殻は長い年月を経ると、宝石になることがあるんだよ」
神社の拝殿に腰掛けたその人は、俺のことを見つめてそう言った。
「そうなんですか?」
「ああ、オパールという宝石になる。まぁ、正確には貝殻自身が宝石になる訳では無いが…」
そう言うと彼女は、どこからか白い貝殻を取りだした。左手に乗せたその貝殻にもう片方の手を重ね、それを隠す。
「よく見ておけよ」
彼女がぎゅっと手に力を込めたあと、そっと手を開く。するとそこには、虹色に輝く貝殻の宝石があった。
「すごい!どうやったの!?」
「ふふ、それはな―――」
「…四年、いや五年か」
彼女と会わないようになってから早数年。俺は、いつかあの人が話してくれたシェルオパールの話がずっと頭に残っていて、その影響から化石や宝石が好きになった。今となっては、将来その研究の道に進みたいと思うほどだ。
こんなに好きになるものに出会えたのも、あの人のおかげだ。もう一度会うことがあったら、お礼を言いたいとずっと思っている。
…まぁ、俺はあの人の名前すら知らないのだけれど。
彼女に出会ったのは、小学三年生だったはずだ。かけ始めた眼鏡に慣れなくて、すごく邪魔だったのを覚えているから。
あの頃夏休みの間は、両親が仕事で家を開けるため、祖父の家に預けられていた。当時まだわんぱく少年だった俺は、よく祖父の家の裏山で、虫取りをしたり木登りをしたりして過ごしていたものだ。特に山を探検している時に見つけた神社はお気に入りで、よくそこに入り浸っていた。そしてその日も、俺はその神社の濡れ縁で涼みながら、祖父が水筒に入れてくれた麦茶を飲んでいた。
その時、彼女に出会ったのだ。
「なにをしている?」
鈴を転がすような澄んだ声にはっとして、声の主の方を見る。
腰にかかるほどの綺麗な黒髪に、真っ白のワンピース。年はよく分からなかった。子どもにも大人にも見える人だった。
物音も気配もなく唐突に現れた彼女に、少し警戒しつつもこう答える。
「暑かったから、休んでた…です」
「ふふっ、そうか」
するとその人は、なぜか俺の隣に腰を下ろした。
「だれですか?」
彼女が、右手で自身のことをぱたぱたと仰ぎながらこう答える。
「この辺りに住んでいる者だ」
「…あやしい人には気をつけろって父さんが」
「怪しい者じゃない。この辺に住んでる、ただの綺麗なお姉さんだよ」
そんな返答と不思議な話し方も相まって、その時点で怪しさ満点だったのだが。まぁ、彼女との出会いはそんなものだった。
最初は警戒していたものの、彼女と話しているうちにそれは薄れていった。むしろ、彼女が纏う風のように自由な雰囲気に、俺は自然と彼女に懐いていた。
そして彼女はとても博識で、色々なことに精通していた。植物はどうやって生きているのか、どのようにして宝石は出来るのか、神や幽霊は存在するのか。俺が空想的な質問をしても、「そんな非科学的なものは存在しない」と言いつつも、丁寧に説明してくれて。そういう類の話が面白くて、俺はその人に、明日も来てくれるかと尋ねた。
「え?まぁ…それぐらいならいいが」
それから毎年その神社に行くと、彼女は必ずいた。中学生になって、仕事の間ももう一人で家で待てるよね、と親に言われて祖父の家に連れていかれなくなるまでは、毎年会うのを楽しみにしていたものだ。
あれから時は流れて、俺は高二になった。なぜ今こんなことを思い出しているかというと、昨日祖父が亡くなって、葬儀のために久しぶりに祖父の家に行くことになったからだ。そして今もまた、炎署の厳しい八月の夏だった。
葬儀を終えてから、俺は親戚の集まりをこっそり抜け出して、裏山に向かった。彼女に会えるかどうかなんて分からないのに、気づいたら足があの神社へと向かっていた。
額に垂れてくる汗を腕で拭って、ほとんど整備されていない山道を歩く。着替えるのが面倒だったからって、制服のまま来るんじゃなかったな…。
なんてことを考えていると。
「やぁ少年」
懐かしい声がすぐ後ろから聞こえて、俺はばっと後ろを振り向いた。
「お、驚かせないでくださいよ…」
いつの間にか、俺の真後ろにあの人がいた。癖のない長い黒髪に、真っ白のワンピース。俺の思い出となんの相違もない彼女の姿があった。
「なんだ、随分よそよそしいな。久しぶりの再会だというのに」
まさか、もう一度会えるなんて。彼女とはもうあれきりだと思っていたから、思わぬ再会に少しだけ心が弾む。
だけどなぜか、久々に見た彼女の姿に違和感を感じた。…それがなぜなのかは分からないけれど。
「それにしても大きくなったな」
彼女が一歩近づいて、俺の顔を覗き込むように見上げる。黒目がちな大きな瞳も、幼い頃の記憶のままだった。
「もう私の背などとうに越している。最後に会ってから何年経った?」
「え、と…」
思わずその瞳に吸い込まれそうに、見惚れそうになってしまって、慌てて彼女から目を逸らした。
「ご、五年ですかね」
「もうそんなにか。それは大きくなるものだ。今は?」
「高二です。十七歳になりました」
「…十七か。時の流れは早いな」
そう言うと彼女は、俺の横を通り過ぎて神社へと向かって歩き始めた。
「この数年間なぜここへ来なかった?私は毎年欠かさず来ていたというのに」
「それは…すみません。親が、中学生になったんだからもう一人でも家で待てるだろって言って。それで今まで来れてなかったんですけど」
「今日は?」
「祖父の、葬儀で」
「そうか」
再会の挨拶は軽く済ませて、彼女を前に山道を歩く。道と言っても、ほとんど誰も歩かない獣道のようなもので、俺の記憶よりも更に茂みが生い茂っている。身長が伸びたこともあって、余計に通りづらくなっていた。
「うわっ!?」
すると突然足を滑らせて、危うく隣の急斜面へと転がり落ちそうになった。
「気をつけろよ。君、前もこの辺りから転がり落ちていっていただろう」
「あぁ、そんなこともありましたね」
雨が降った後だったのに、足元に注意せずに走って行ったものだから、この辺から足を滑らせて落ちたんだよな。
「でも確かあの後、気づいたら滑り落ちる前のところに戻ってたんですよね。なぜか怪我の一つもしてなかったし。あなたも『白昼夢でも見たのか?』って言ってたじゃないですか」
そう、足を滑らした後の記憶がないのだ。どうやって元の場所に戻ったのか、なぜ怪我をしていなかったのか。まぁ、無事だったからいいのだが。
「ふむ…そうだったかな?現実に起きた事と記憶が混濁しているようだ。全く、年なんてとるものではない」
「はぁ」
あなたはまだ十分若いのでは?と思いつつも、そんなことを言うと、この人はすぐ調子に乗ってからかってくるので、言わないでおくことにする。
そんなことを話していると、いつの間にかあの神社に着いていた。
「うわ」
ただ前の面影はなく、既にぼろぼろだった神社は倒壊して崩れてしまっていた。
「…これはもう、どうしようもないですね」
「そうだなぁ。ここの神ももう消えかけている」
そう言うと彼女は、おもむろに瓦礫の山をごそごそと弄りだし、中から御札のようなものを取りだしてきた。
「え、ちょ、何してるんですか。良いんですか、それ」
「もう終わらせてやった方がいいだろうよ」
いつの間にか彼女の手には、火のついたマッチが握られている。しかもそれを御札に近づけて、そのまま燃やしてしまった。じりじりと音を立てて、御札が灰になっていく。
「呪われますよ!?」
「まぁ黙って見ていろ」
すると全て灰になった後に、ぼわりと光のような煙のようななにかが出てきた。
「え、な、なんですかこれ…。ここの神様かなにかですか?だとしたらやばいですよ、完全に天罰下りますよ俺たち」
「そんな非科学的なもの、いる訳がないだろう。まぁ、それに近いものではあるが」
「え…?」
なぜこの人は、この謎の物体の存在が分かるのだろうか。以前から不思議な雰囲気のある人だったが、こんなものを見せられると余計に疑問が増える。
「もう行っていいぞ」
そう言って謎の物体に声をかける彼女のその瞳に、どこか寂しそうな色が滲む。そんな彼女の横顔をじっと見つめていたら、ふと、さっきの違和感の正体に気がついた。
そうだ、この人は『なにも変わっていない』んだ。
綺麗な髪の長さも、少し低めの身長も、陶器のような肌も、何もかもがそのままで。今までの年月を、まるで感じさせないような。
「あなたは、どういう存在なんですか?」
気づいたら口から質問が飛び出ていた。彼女がこの手の質問を避けたがっていたのは子供心にも分かっていたから、ずっと深く聞けずにいたけれど。つい口をついて出てしまった。
すると彼女はゆっくりと振り向いて、口元に少しだけ笑みを浮かべた。
「………さぁ、なんだと思う?」
「え?」
「自分でもよく分からないんだ。自分という存在が何なのか」
そう呟いて、彼女はそっと目を伏せた。その姿はいつもより少しだけ幼く見えた。
「いつまで、このままなんだろうな。終わらせようと思えばいつだって…」
小さな声でなにか言っているが、よく聞き取れない。やはり俺が尋ねた質問で彼女を傷つけてしまったのだろうかと不安になって、申し訳ない気持ちになる。
彼女を元気づけたくて、しどろもどろになりながらなんとか喋った。
「あ、あの。良かったら、海行きませんか?」
「………海?」
彼女がふっと俺の方を見る。
「いつも山にしかいませんし…ここからちょっと歩いたところに、綺麗な入り江があるんですよ。良かったらどうですか?」
もともとこの神社に寄ったあとは海に行く予定だったのだ。まさか彼女に会えるなんて思っていなかったし、一人で海辺で彼女との思い出でもしんみりと振り返るか、と思っていたのだ。結局、彼女と出会えたおかげで行くのが遅くなってしまったけれど、今なら時間帯もいいしちょうど夕日も見れるだろう。
「…そうだな、そうしようか」
まだ少し声のトーンが暗い彼女が気にかかりつつも、彼女と共に、歩いて海へと向かった。
「ほう…これは」
「綺麗でしょう?地元の人でもそんなに知らないんですよ、ここ」
白い砂浜に、薄い青色の透き通る海。空の青と夕日の赤が滲むような空が、それを余計に綺麗に見せた。
その光景になんとなくセンチメンタルになって、昔のことを思い出す。
「…あなたがしてくれる話、好きだったんですよ。大人たちがよく分からないって言って答えてくれない質問に、ちゃんと応えてくれて、真面目に考えてくれて」
あの頃はちょうど、虫とか空とか恐竜とか、そんなものが好きだった時だった。だから、彼女の話を聞くのを楽しみに、毎日山に通っていたのを覚えている。
「ふふ、だが『お化けがいた!』と言うから行ってみたら、ただ木にボロ布が掛かっていただけだったのは、今になっても笑えるなぁ。そんな非科学的なもの、いるわけが無いだろうに…ふふふっ」
そう言って彼女は、意地悪そうに笑って俺を見る。
「やめてくださいよ、昔の話なんですから。あなただって『蛇がいるからどうにかしてくれ!』って俺に泣きついてきたことあったじゃないですか」
「そ、それはだな…」
「しかもそれ、ただの捨てられてたホースだったし」
「うぐっ…」
彼女がむっと口を閉じて押し黙る。
「ははっ!おあいこですね」
「………君、なかなか意地の悪い奴に育ったんだな」
「誰かさんに似ましてね」
元の調子を取り戻してきた彼女に安堵して、砂浜に腰を下ろす。
久しぶりの彼女との会話が楽しくて、ヤマメを釣りに川に行ったこととか、花火を見るために二人で夜に灯台に登ったこととか。そんな眩しい思い出が蘇ってきて、暫くの間はそんなことを話していた。
「あ、そういえば」
夕日も沈みかけてきた頃、彼女と再会してからずっと、話そうと思ってタイミングを見計らっていたことを、さも今思い出したかのように話し始めた。
「随分前に、シェルオパールをくれたじゃないですか。マジックみたいに、ぱっと貝殻をオパールに変えて…」
「あぁ、あれか」
「あれを今日、持ってきたんですよ」
一日中ずっと右のポケットに入っていた宝石を取り出す。すると彼女は驚いたように、俺の手のひらの上の宝石を見つめた。
「この数年間ずっと、それを持っていたのか?」
「だって、俺がこんなに石とか好きになったの、あなたがきっかけでしたから」
この後の言葉を言うかどうか少しだけ迷って、結局、彼女から目を逸らしてぼそぼそと言った。
「…それに。会えない間、何してるのかなってずっと気になってたんですよ。これ見る度にあなたのこと思い出したりして」
「そうか」
彼女は静かにそう呟いた後、暫く黙っていた。その沈黙が気まずくて、やっぱり言わなければ良かったかと思い直す。だってこの人なら、笑い飛ばして弄ってくるかと思っていたのに。
「ふはっ、そうかそうか!」
しかし突然、やはりと言うべきか、彼女が吹き出すように笑いだした。
「な、なんですか急に」
「いやなに、全くお前は愛いやつだと思ってな。そんなに私のことが好きなのか?」
そう言って、両手でわしわしわしと俺の頭を撫でくり回す。俺のことなんて、ただのガキとしか思っていないのだろう。
だけどこんな時にも、彼女との距離が近いことに鼓動が早くなって、彼女の指の細さにばかり意識がいってしまって。
「………まぁ、そうですね。好きですよ割と」
気づいたらそう言ってしまっていたことに、自分で驚いた。
だが少なくとも、会っていなかったからというだけで忘れられないくらいには好きなのだろう。これがただの親愛なのか、それとも恋に近いものなのかはまだよく分からないけれど。
まぁでも、来年からは一人でここに来てもいいかもな。…そうしたら、また会えるし。
彼女は俺の言ったことには何の狼狽えも見せずに、ただ嬉しそうに目を細めた。
「なら君は、私のことをずっと覚えていてくれたんだな。これからも、覚えていてくれるんだな」
「そりゃあ、まぁ…」
なんだか恥ずかしくなって、彼女から目を逸らす。日が沈む間、二人とも何も喋らずに、ただ海を眺めて波の音を聞いていた。
すると暫くして、彼女が俺の方を向いておもむろにこう提案してきた。
「そうだ、もう一度見せてやろうか。貝殻をシェルオパールに変えるやつ」
「今度こそは見破りますよ」
彼女が立ち上がって、砂浜から欠けていない白い貝殻を拾い上げて左手に乗せる。彼女の髪が潮風になびいてさらさらと揺れた。
「よく見ておけよ」
そう言って、貝殻に右手を重ねた。子供の頃は全く分からなかったけど、すり替える瞬間ぐらいは分かるだろう。そう思って、彼女の綺麗な手を見つめていた。
しかしその直後、目の前から彼女の姿が消えた。
「……………え?」
音もなく、唐突に視界に砂浜だけが広がって、立ち上がってばっと辺りを見渡す。しかし、どこにも彼女の姿はない。
ついさっきまで彼女が立っていたところには、彼女の履いていた案外可愛らしいサンダルが、海に向かって綺麗に並んで揃えられているだけだ。
そしてその左横には、先程まで彼女が握っていた貝殻が落ちている。それはシェルオパールになって、夕日を浴びて虹色に輝いていた。
「…っ」
彼女の名を呼ぼうとしても、呼べなかった。俺は結局、彼女の名前を聞けていない。名前すら、知らないのだ。
潮が満ちてきているのか、自分が立っているぎりぎりのところまで波が打ち寄せてくる。入江には、俺一人しかいない。聞こえてくるのは波の音だけだ。
…考えてみれば、俺は彼女のことを何も知らない。どこに住んでいるのか、なぜいつも神社にいたのか、今までどんな風に過ごしてきたのか。知っているのなんて、彼女は蛇が嫌いなことと、思っていたよりもいたずらっぽい、子どもっぽい所があることぐらいで。
すると何故かふと、あの日の会話の続きが再生された。
『すごい!どうやったの!?』
『ふふ、それはな、私は時を操ることができるからだ。今この瞬間に、この貝殻の時間を進めたのさ』
…時を、操る。
当時はそんなの嘘だと言って、全く信じていなかった。しかし、もし彼女が本当のことを言っていたのだとしたら、すごく納得のいくことがいくつも思い当たる。幼い頃、俺が足を滑らせて転落した時、なんの怪我もなく気づいたら元の位置に戻っていたこと。神社で見た謎の物体の存在を知っていたこと。まるで彼女が消える瞬間だけを切り取ったみたいに、俺の目の前からいなくなったこと。
もしかしたら彼女は神様かなにかで、本当に時間を操っていたのではないか。だとしたら、一瞬で貝殻を宝石に変えることだってできる。
そして、先程彼女が神社で言っていたことを思い返す。
『いつまで、このままなんだろうな。終わらせようと思えばいつだって…』
あの彼女の言葉と表情から察するに。彼女は、死に場所を探していたのではないのだろうか。
時間を操ることが出来るのなら、死ぬことだってないはずだ。きっと寿命なんてなくて、悠久の時を生きて。たった今自ら命を絶つ覚悟をして、一人で海に走り出して行って、そして、そのまま…。
―――なんてのは全部、ただの俺の妄想だろう。
だって有り得るはずがない、そんなもの。時間を操るとか、不死身とか、神様とか。そんな非科学的なものは存在しない。
だから幼い頃の夏の思い出も、先程触れられた彼女の体温も、今足元に輝いている宝石も、何もかも。妄想じゃなかったとしたら、夏が見せた白昼夢か何かなのだろう。
そう思わないとすごく悲しくなってしまいそうだったから、そういう事にしておく。
「………はは」
せめて名前だけでも聞いておくべきだったと自嘲して、彼女のサンダルと虹色のシェルオパールを拾い上げる。
絶対に泣いてやるもんかと思いながら、俺は日の沈みきった入り江を後にした。
シェルオパールと白昼夢 帷子 @tobari_0715
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