光の中で 18

 荘厳な音楽の中、わたしの首にメダルが掛けられる。金色に輝くソレを軽く掲げると、拍手とフラッシュがわたしを讃えてくれた。

 163.25。そう告げられた瞬間、全身の血が熱くなった。2年振りのファイナル進出。自己ベスト更新。色んな感情が一気に溢れて止まらなかった。

 コーチの許可無しに(しかも大口を叩いて)入れてしまった4回転フリップは認定はされたものの、加点がほぼ付かないようなギリギリのラインの出来になっただけに、ジャッジに多少の時間を要した。それ故に点数が出るまでは本当に不安で爆発寸前だった。あのドバドバ出ていたアドレナリンは一体どこへ消えたのか。演技前の態度からは考えられないくらいに小さくなっているわたしを見て、景湖は楽しそうにケラケラと笑っていた。無許可4回転フリップについてはお咎めなしとのことだった。

「認定されてなかったらどうなってたか知らないけどね」

 なんて、怖いことも言っていたが。

 表彰式後、手早く身支度を済ませると挨拶も早々に会場を後にした。この後会うべき人たちがいるからだった。

「お待たせ!」

「あ~舞~! 優勝おめでと~!」

「おめでとう。さすがは我が家の自慢の娘」

 両親はわたしをひと目見るや否や人目も気にせず腕を広げ、抱き締めた。懐かしい匂いに胸がキュッと締め付けられる。

 大会が終わったら時間を作って欲しいと頼んだのは両親の方からだった。両親は明日にも仕事が始まる為、今夜には地元に帰らなければならない。にしても駅前を待ち合わせ場所にしたのは間違いだったか。両親に抱き締められる成人女性の図というのはかなり目立つようで、道行く人々の視線が刺さって痛かった。

 両親の腕の中から抜け出し、改めて顔を合わせた。

「ありがとう。横断幕もありがとね。ちゃんと見えたよ。むしろ……目立ちすぎ?」

「ねーあれいいでしょう。一生懸命作ってよかったわ」

「お母さん、なまら張り切ってさ。凝りだしたら止まらなくて」

「それお父さんの方でない? 装飾にやたら力入れてさ」

「そうだっけ?」

 全くこの夫婦はいつまで経っても変わらない。変わらないでいて欲しい。

「あ、そうだ。これ」

 背負っていたリュックから長方形の箱を取り出して父に手渡した。何これと首を傾げる父に、開けてみてと促した。表情から察するに、母は中身の示しがついたらしい。

 白い息が空へと消える。いくら慣れていようが冬の夜は寒い。寒さを誤魔化すようにその場で足踏みした。

「うお、ホンモノだ」

 父は箱の中で光る金メダルをしげしげと眺め、そんなリアクションにわたしは母と顔を合わせて吹き出した。

「本物に決まってるしょ。さっき貰ってたの見てなかったの?」

「見てたけど……こうして手にすると重いもんだなあ。凄いなあ、舞は」

 その一言に全てが詰め込まれている気がして、鼻の奥がツンと痛んだ。わざとらしくないように鼻をすすり、笑顔を作る。

「それあげるよ。ふたりに」

「えっ。いいってそんな」

「いいの。わたしはこの先もっと沢山の金メダルを貰うつもりだから」

 両親はわたしの言葉でわたしの決心を汲み取ったらしい。今度は父と母が顔を見合わせる番だった。互いに頷き、微笑んだ。

「舞がそのつもりなら、“コレ”の改良もしなきゃいけないな。いっつも同じ味だと飽きるだろうし」

 そう言った父は、持っていた紙袋を手渡した。中身は______ケーキの箱。

「これ……」

「優勝のご褒美。昨日作ったから早めに食べてね」

 箱を持つ手に思わず力が入った。温かな感情が腹の奥底から込み上げる。わたしは愛されている。それを改めて実感し、噛み締めた。胸が痛いほど嬉しかった。

「でも……なして? わたしが優勝するとは分からないのに」

「そんなん舞が優勝するって信じてたからに決まってるしょや。親ってそんなもんよ」

「そうそう。でないと夜なべしてまで横断幕なんて作らん」

 この両親の元に産まれてきて本当に良かったと心から思った。腕を伸ばし、ふたりを抱き寄せる。もう周囲の視線など気にならない。

「……ありがとう。本当に」

 こちらこそありがとう。

 どちらかが呟いた言葉には涙色が滲んでいた。つられて目頭が熱くなり、とうとう目から涙がこぼれた。泣かないって決めていたのに。

「……さて! そろそろ行かなきゃね。景湖さんによろしく伝えといて」

 湿っぽくなってしまった空気を戻してくれたのは母だった。内心惜しみつつも、ふたりに回していた腕を下ろす。

「うん。伝えとく」

「また連絡するから。明後日帰って来るんでしょう? 食べたいものあったら送っといて」

「気を付けて帰って来なね」

「わかった。ありがとう」

 母が時計に目を落とす。また明後日会えるのだが、どうにも寂しい気持ちが拭えずにいた。あと一言、話したかった。じゃあ、と背中を向けた両親に「そういえば!」と声を掛けた。

「わたしの今日の演技どうだった?」

 間髪入れずに父が答えた。

「100点満点に決まってるしょや」

 コロコロと鈴の音のような笑い声が思わず漏れた。去りゆく両親の背中に向かって笑いながら言った。記憶よりもずっと小さくなってしまった背中に。

「フィギュアスケートは100点満点っていう採点方法じゃないんだよ!」

 ようやく終着駅が見えてきた。もっとも、わたしにとってははじまりでもあるのだが。

 GPファイナルで優勝する。いつしか立てた目標が、もう目の前まで迫っている。ここまで来たのだ。ようやく。

 泣いても笑っても本番は一度きりしか訪れない。夜明けはすぐそこにある。その夜明けを支配した者が、世界女王だ。

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