月光とロマン 6

「『氷上の白魚完全復活、4回転を武器にGPシリーズ制覇か』だって。ほんっとメディアってコロコロ手のひら返すよね~」

 大会を終えたわたしたちは、ホテルからほど近いレストランに居た。景湖曰く、「大会後は何食べても良い、ゼロキロカロリー」らしいので(ゼロキロカロリーはさすがに冗談だが。)大会前なら絶対に頼めないレアステーキを注文した。

「完全……なのかな、ショートがアレだったし」

「サマーカップのショートとオータムクラシックのフリー合わせて完全復活、フョードルへのギフトってことでいいんでない?」

 同じくレアステーキを頼んでいた景湖が、柔らかい赤身にナイフを入れながら答える。苦々しげに笑うわたしと対照的に、その表情はあっけらかんとしており呑気そのものだ。

「いい、のかなあ……」

「いいっていいって。現にオータムクラシックは優勝したんだし」

「まあ……そうですね……」

 ショート4位という結果から逆転の優勝。お陰で景湖からサイン入りのツーショットが貰えるし、GPシリーズに向けて自信がついたのだが。

「何暗い顔してんの。帰国したら舞ちゃんは大変なことになるよ? なんてったって日本女子フィギュアスケート選手で8年ぶりのクアッドジャンパーの誕生なんだから」

「ああ……」

 この度メディアが氷魚舞に関する話題の中で大きく取り上げたのは、優勝ということよりも4回転トウループについてだった。

 世界では女子スケーターでも4回転を跳ぶ選手が増えてきた中、日本はその波に乗り切れていなかった。そもそも近年は女子の主力選手が舞の他になかなか現れなかったのだ。元々女王として景湖が君臨していたのは15年も前の話。その後活躍した舞よりも上の世代の選手は軒並みプロに転向してしまった。

 舞よりも下の世代となるとまだ未発達で、事実上日本女子フィギュアスケートの威信は舞にかかっていると言っても過言ではない状況がここ3年くらいの話だ。

 そんな実質日本女子フィギュアスケーターを背負って立つ氷魚舞が公式大会で4回転を決めた。これは以前4回転を成功させた女子選手から実に8年振りの出来事であり、「前回から○年振り」という話題が大好きな日本メディアはただいまそれに食い付き中ということだ。

「にしても今大会は凄かったね。東武くんも優勝で男子女子共に日本人が制覇。こりゃあまたスケートブームが起こる日も近いかなあ~」

 ほくほくとした笑顔でステーキを頬張る景湖に、誰よりもスケートを愛しているんだな、と改めて実感する。

 東武は、晴月との間でも少し名が挙がった日本男子フィギュアスケート強化選手だ。わたしのふたつ上の先輩に当たり、卓越したスケートセンスと、線は細いが鍛えられた体幹から放たれる安定した4回転ジャンプが武器の人気スケーター。GPシリーズは過去に2度の優勝経験があり、初めて出たオリンピックでは銀メダルに輝いた。ルックスも良ければ知的な好青年という非の打ち所のない人物で、国内外問わずファンが多く、今日本で最も注目すべきスケーターだと言える。

「東武さんはファイナル連覇狙ってるって言ってましたね」

「まあそうだよねえ。次のオリンピックも視野に入れてるだろうし。世界初のクアッドアクセル成功者は東武か!? って記事もあるくらいだよ」

「それは言い過ぎ……でもなさそうですね。確かにそのストイックさもポテンシャルもありそう」

 近年、男子のフィギュアスケートはジャンプに重きを置いている傾向にある。どれだけ美しく、高難易度のジャンプが跳べるか。

 国民にとってもジャンプやスピンといったエレメンツはパフォーマンスとしても分かりやすいものであり、フィギュアスケートを見る上で非常に取っ付きやすい部分でもある。それを思えば、力強く派手な4回転ジャンプが多く見られる男子の方が注目度が高いことも理解出来る。

「ま、女子は女子、男子は男子ってことでさ。舞ちゃんはGPシリーズに集中すること。まずは初戦、中国杯!」

 アサインが出た時、それだけは無いだろという感想がこぼれた理由がこれだった。氷魚舞史上最大のトラウマの中国杯。ひとりぼっちで挑み、これ以上ない敗北を味わった大会。わたしはこのトラウマを、乗り越えなければならない。

「大丈夫」

 いつの間にか、わたしの手の上には景湖の美しい手が添えられていた。

「あたしは絶対に舞ちゃんのそばを離れないから」

 刹那、冷えかけていた指先に熱がともる。

「信じてますから」

 わたしはわたしを越えるために、突き進む。

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