第12話

結局僕はその場の圧力に耐えきれず、他の人とともに飲み会に行くこととなった。今回のような些細なことで社会の裏を見る。うちの会社は決してブラックと言われるたぐいのものじゃあない。それは休みや給料、制度などいわば「縛り」に関する面でだ。それでも、日常の中でさも当然のように行われる不条理。日本の空気を読む文化にかこつけた最も深奥の悪習。これが人を廃人へと導いていく滑走路なのではないか...

そんなことを考えながら帰る支度をしていると林がやってきた。

「お前が断ったときはヒヤヒヤしたわ。珍しいな、お前はいつも空気読んで真っ先に賛同するのに。」林は、他の人と違って榊原さんのことについて触れてこなかった。

「なんだか空気を読むのに疲れたんだ。なんでこんなことしてんだろって。」

林は顔をくしゃっとさせて「おまえ、相当参ってんな。『本当に体調悪かったから先帰らせました。』って言っといてやろうか。」といってくれた。本当に優しいやつだ。感謝する前に自分の汚いところが出て人のことを心配する余裕があるのは少し羨ましいと思ってしまった。最近はこんな考えですら自分の一部だと受け入れているが、認めてしまえばどこまでもどこまでも落ちて最終的にただ汚いだけの人間に成り下がってしまうのでもないかとも思って危惧している。

「いや、大丈夫だよ。それで興ざめするのも、アレだろ。」僕は、またいつものように旭川祐介を演じる。林はまだ、心配そうな顔をしていた。

店は会社から歩いてすぐの中林さんの行きつけの店になったらしい。店に入って清潔なおしぼりが運ばれてくると、みなめいめいに手を拭っている。会社から帰ったサラリーマンがスーツを脱ぐように、さっぱりと。僕もおしぼりの清潔なかおりのする冷たさを楽しんだ。汗と同じで会社の嫌なことも流してしまえば気持ちのいいものなのかもしれない。そしてメニューを開き、全員分の飲み物と少しのつまみを注文する。ポテトとからあげと枝豆と。本当は僕はお刺し身が食べたかった。みんなが食べないものを注文しても仕方がないし。また一人で出かけるときに注文すればいいし。

注文した品が出てくるまでが嫌だった。「今だけは無礼講だ!」という誰によってもたらされたかわからない声により、愚痴大会が始まった。今日あった嫌なことや理不尽なことをみんなでこぼしている。中林さんは親身になって愚痴を受け止めている優しい上司のような顔をしている。集中砲火が自分より上の人だからこんな顔ができるんだ。今日中林さんがいなかったらみんなの非難の矛先は彼に向くに決まっている。自分がいるところで、周りが一つずつ自分の悪口を言っていったらどんな顔をするだろう。自分で考えて出た笑いは、驚くほど虚ろだった。もしかしたら中林さん本人も自分がいなけりゃ自分の話をすることぐらいわかってるのかもな...

居酒屋だから品が出てくるのは早い。アルバイトらしき店員さんが細腕に何個もジョッキを載せた盆をぐらつかせながら持ってきた。酒が人の手によって回されて机の端にも行き届く。何往復目かわからない店員さんがつまみを持ってくると歓声が上がる。中林さんの店のチョイスを褒め称える声も混じっている。中林さんが音頭を取り、何に対してかわからない「カンパーイ」の大合唱が響く。渋々頼まされたチューハイを口に含む。まぁ、悪くはないかも。そして食事に手を伸ばそうとすると怒号が響いた。僕と同じように唐揚げに手を伸ばしていた社員に対してのものだった。

「何勝手に唐揚げにレモン絞ろうとしてんだ!」

なんだ、そんなこと?聞かないのも悪いけどそこまで言う事かなぁ。というか今は無礼講なんじゃないの?巻き込まれたくないのでまたチューハイを飲むふりをして横目で様子を見ていた。

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