第3話 灯
伝道者 ~エヴァンジェリスト~
灯
なぜ死を恐れるのですか。まだ死を経験した人はいないではありませんか。
ロシアの諺
この家を出る。
そう決意した一人の青年がいた。
生まれてからずっと、同じ景色しか見て来なかった。
小さい頃は、両親の言っていることが全てだと思っていたし、信じていた。
だが、きっかけは何の変哲もない、埃の被った一冊の書物だった。
そこに記されていた英雄たちの名は、実在していたのかも分からないものばかり。
それでも、青年のとっては夢でもあり、希望でもあった。
しかし、両親だけではなく、この国に住む者たちは皆、その名を信じてはいないし、口にしただけで嫌な顔をされる。
自分は変わっていると、言われた。
青年からしてみれば、周りの大人たちの方が変わっていると感じた。
同じ人間が死んでいく、殺している、必死に生きている姿を見て、どうして笑っていられるのだろうと。
不思議でならないが、それも決して言ってはならないこと。
「なにを読んでるの?」
「ティラミス!勝手に部屋に入ってくるなよ!」
「何よ!エドワードだって、私の部屋に勝手に入ってくるじゃない!女性だっていうのに!失礼しちゃうわ!」
「うるせぇな。てか、お前女だったんだな」
「なんですってー!?」
キ―キ―と喚いているのは、青年、エドワードの幼馴染とも言える、ティラミス。
エドワードの両親とティラミスの両親は仲が良く、頻繁に互いの家で食事をしているのだ。
小さい頃から変わり者と言われていたエドワードだが、ティラミスの両親はそこはあまり気にしていなかったようだ。
やがては結婚、なんて言葉もちらほら聞こえてきている。
ティラミスは令嬢らしく、宝石をちりばめた綺麗なドレスに身を包み、髪の毛も豪華に着飾っていた。
変な髪型、とは言えないが。
「ねえ、それ何の本なの?」
「・・・お前みたいな馬鹿には読めない本だよ」
「私の方が博識よ!」
「だからお前はつまんねぇ奴なんだよ」
「?どういうことよ?」
エドワードが座っているベッドに寄り、本を覗きこもうとするティラミスだが、エドワードに睨まれてしまった。
他人のベッドに上がり込むと、ティラミスはエドワードに胸をつけるように背後からもう一度覗き込む。
ちなみに、この胸をつけるという行為は、ティラミスは意図的にしているが、エドワードは全く気にしていない。
だから余計にティラミスはグイグイと寄せる。
「ちょっと!これ、読んじゃいけない本じゃないの!?」
「そんなこと書いてない」
「書いてないけど!お母様たちに言われてるじゃない!この国の歴史以外の本は読んじゃいけないって!ちょっと貸しなさいよ!」
「耳元で喚くな!うるっせーな!」
ついにカチン、ときたのか、エドワードはティラミスを軽く払った。
我儘に育てられたからかは知らないが、こういうとき、ティラミスはすぐに頬を膨らませて見せる。
まるでフグみたいだ。
自分では可愛い表情だと思っているらしいが、全く可愛くはない。
きっと世間一般的には、綺麗な顔をしているのだろうが、そんなものには興味なかった。
なぜなら、今エドワードの心を支配しているのは、まだ見ぬ知らない世界なのだから。
「あら?」
そんなとき、ティラミスは気付いてしまった。
ベッドの下に、隠すように準備してある荷物に。
「なに?これ」
「触んな!」
言う事を聞かないティラミスは、さっさと荷物を開けてしまう。
その中身を見て、さらに発狂してしまった。
「ちょっと!まさかエドワード、ここを抜け出す気じゃないでしょうね!?」
「・・・・・・」
荷物の中には、洋服やタオル、保存食などが沢山入っていた。
以前この部屋に来たときにもそれがあったのかは分からないが、エドワードの思考を察するに、逃げ出す気だったのだろう。
ティラミスはエドワードの手から、本を取りあげた。
「おい!何すんだよ!」
「こんなものがあるからいけないのよ!!!エドワードは私と結婚するんだからね!この国で一緒に暮らすんだから!」
窓を開けて、そこから本を捨てようとしたティラミスの手の本を掴み、エドワードは急いで窓を閉める。
ティラミスの叫び声が聞こえたのだろうか、使用人達が数人、エドワードの部屋にやってきた。
「いかがなさいましたか!?」
「ティラミス様!?どうしました!?」
「ああ、何でもない。下がってくれ」
「しかし、ティラミス様が・・・」
「・・・ただの痴話喧嘩だ」
「さようですか。失礼しました」
上手く使用人に嘘を吐くと、エドワードはティラミスをベッドに座らせた。
未だに嗚咽交じりに泣いているティラミスに、エドワードは多少の面倒臭さを感じていた。
昔からそうだ。
エドワードは自由を求めているだけなのに、いつもそれを回りに邪魔される。
ティラミスもその一人に過ぎないからだ。
自分のことを心配しているのかもしれないが、余計なお世話だと思っていた。
「幾ら泣いたって、俺は止めねーよ」
「っく・・・だって・・・私と、結婚・・」
「しねーって言ってんだろ。別の野郎としろよ。ほら、あの、なんだっけ?一番裕福なとこのジ・・・ジ・・・」
「ディル―」
「そうそうソレ」
「やだ」
「やだじゃねーよ。じゃあ、あいつ。えっと、なんだっけ?ワイン?」
「ワイモン」
「それ」
「やだ」
「めんどくせー女だな!」
「何よ!だからエドワードが結婚してくれればいいんじゃない!私、ずっと、ずっと・・・エドワードのこと・・・!!」
「わかったからさっさと帰れ」
あーあー、と大きいため息を聞かせるように、エドワードは額に手をあてた。
ぐすぐすと泣きながら、ティラミスは部屋を出て行こうとする。
これでやっと静かになると、エドワードは再び本を読もうとした。
だが、くるりと踵を返して、ティラミスはエドワードの頬に軽くキスをすると、今度は大人しく帰って行った。
エドワードはキスされた頬を枕でごしごし拭く。
家に帰っていったティラミスは、どうしてもエドワードを手放すことをしたくないと、心を鬼にすることにした。
「お父様、お母様、お話があります」
ガシャン・・・
「しばらくはここで大人しくしてなさい」
「・・・・・・」
「睨んでも無駄よ。エドワード、あなたはもう少し賢い子だと思ってたわ。ママはとっても寂しいわ」
「・・・・・・」
冷たく閉じられた扉。
エドワードは、家の地下室にある牢屋に閉じ込められてしまった。
殺されなかったのは、きっとエドワード以外の子が生まれる保障がないから。
母親は子が出来にくい身体だと前に聞いたことがある。
家を守る為だけに、自分も生かされているんだ。
本も荷物も、今頃綺麗さっぱりにされてしまっていることだろう。
「はあ・・・」
きっと、あいつが言ったんだ。
だからと言って、全部を責めることは出来ないが。
コツコツ・・・
聞こえてきた牢屋への階段を下りてくる靴音。
「・・・見物料とるぞ」
「ふざけてる場合じゃないでしょ」
「よくもまあ、そんなこと言えるよな?どうせお前が告げ口したんだろ」
「・・・だって」
ティラミスが、密告していた。
どうしてもエドワードが欲しくて。
どうしてもエドワードと結婚したくて。
ただ、エドワードと一緒にいたいと願っただけだった。
「お願いだから、国を出るなんてこと考えないで。そうすればすぐにここからも出られるわ!ねえ、エドワード!お願い!」
「・・・・・・」
しばらくティラミスはそこに佇んでいたが、迎えに来た使用人によって、去って行った。
こうして一人でゆっくりしていられるのも久しぶりだと、エドワードは天井を仰いだ。
牢屋とはいえども、しっかりと家具は揃えられている。
ベッドもあるしシャワールームも備えられている。
正直、ここで不便はない。
ただ一つ言うとなれば、窓が高い位置にあるため、外が見られないということくらいだ。
エドワードはその牢屋で半年もの間過ごし、心を入れ替え、牢屋から出ることになった。
その時にはすでに、ティラミスとの結婚話が進んでいて、挙式はいつだとか、そんなことで盛り上がっていた。
「おかえりなさい!エドワード!」
「・・・・・・何してんの」
「何って、花嫁修業に決まってるじゃない!見て見て!可愛いでしょー!」
なぜかキッチンにはティラミスがいて、花嫁修業と言いながら、ドレスをヒラヒラさせてクルクル回っていた。
目を細めて、相変わらず馬鹿だな、と思いながら見つめていると、ティラミスは何を勘違いしたのか、頬を赤らめ始めた。
「そ、そんなに見ないでよ。可愛いからって!」
「よくお似合いですよ、ティラミス様」
「・・・俺、部屋行くから」
「えー!待ってよー!」
すでに花嫁気分なのか、ティラミスはエドワードの腕に自分の両手を絡め、まるで恋人のように身体を近づけてきた。
「ねえねえ、気付かない?」
「なにが?」
「もー!ちゃんと見てよ!」
「?なにを?」
「口!くぅーちッ!わかんない?」
こいつは何を言ってるんだろうと、エドワードは眉間にシワを寄せた。
唇を突き出し、何かを気付かせようとしてるティラミスに、適当に言ってみる。
「えっと、ああ、口内炎?」
「そんなわけないじゃない!新しいルージュにしたの!もう!にぶちん!」
「はあ?わかるわけねーじゃん」
色を変えただの言われたところで、いつもの色を覚えてないのだから、知る由もない。
部屋に入ると、エドワードはすぐにティラミスの腕を解き、ベッドに横になる。
随分と綺麗に色々撤去されてしまっていた。
「ねえねえ、式はいつがいい?」
「式?」
「私達の結婚式!来月あたりどう?」
「来月!?てか、マジでお前と結婚すんの?俺?」
「そうよ?もう大体の内容は決めておいたから!あとは、詳しい日取り!来月ならみんな出席できるらしいし!どう?」
「どうって・・・」
正直なところ、ティラミスを女として見たことはないから、結婚なんて考えたことがなかった。
だが、折角牢屋から出られた今、また変なところで目をつけられるわけにはいかない。
「・・・お前に任せるよ」
「本当!?」
「ああ」
「やったー!!!」
来月の挙式まで、エドワードは大人しく過ごすことにした。
「エドワード!式は来月で、場所は中央にある教会よ!」
ある夜、ティラミスがそう言いながら、寝ているエドワードの上に覆いかぶさってきた。
エドワードはシャワーを終えたばかりで、バスローブしか身につけていなかった。
一方のティラミスは、ネグリジェを着ている。
程良く膨れた胸も、女性らしいラインも肌質も、ティラミスはわざと見せるようにエドワードに寄りそう。
「ねえ」
「んー?」
「・・・キスしてよ」
「は?」
今までにも冗談っぽく言われたことは何度もあるが、今はそんな感じがない。
ティラミスにしてみれば、少しでもエドワードに触れていたいし、自分も触れて欲しかった。
「だって、私達、結婚するんだよ?キスくらいしてよ」
「・・・・・・」
天井を眺めながら、エドワードはふう、とため息を吐く。
そしてぐるっと身体を反転させると、ティラミスに覆いかぶさった。
すると、思いがけないエドワードの行動に、ティラミスはしばらく口を開けてぽかんとしており、徐々に顔を真っ赤に染める。
「え!?え、エド・・・」
「今更恥ずかしがるって、お前そんな純情だったのか?」
ティラミスには、悪いと思った。
興味がないならないで、ちゃんと最後まで突き離した方が良かったんだろう。
もっと良い奴を見つけて、そいつと一緒になれって、説得すべきだったんだろう。
でもエドワードは、ズルイことをした。
ティラミスの心を利用して、自分を守ることにした。
最低だと罵られても仕方ないことをしている。
来月の式まで、壊すわけにはいかなかった。
「もっと、してよ」
「なにを?」
「・・・キス」
人としてもクズなんだ。
けど出来ることなら、ティラミスとは友人としていたかった。
何よりも夢を見てしまったから、目の前のことなんて、どうでもよかったんだ。
式当日
「ようやくこの日が来ましたね」
「本当ね。あの放蕩息子も、やっと落ち着いてくれるといいんだけど」
「奥さま方、旦那様方、ティラミス様のご準備が整いました」
「あらあら」
純白ドレスに身を包んだティラミスは、どこからどうみても美しい女性だった。
「綺麗ね」
「ありがとう」
「本当に綺麗。今まで見てきた花嫁の中で、一番よ」
「ふふ」
国中の人々が、二人を祝福しようと式場へ足を運んでいた。
みんな見知った顔ばかりだからか、安心もするし、気恥かしい。
これでやっとエドワードを自分のものに出来ると心躍らせていたティラミスと、変なことを考えないだろうとホッとしていたエドワードの両親。
「エドワードは?」
「もう準備が終わりまして、少し外の空気を吸ってくると申しておりました」
「そう。エドワードも無事に結婚出来て良かったわ。本当に、どうなるかと思ってましたもの。あんな変わり種」
「いやいや、エドワードくんはとても優秀な子だ。きっとティラミスを幸せにしてくれると、前前から思っていたからね」
「お父様ったら、恥ずかしいわ」
「そうよね。小さい頃から、ティラミスはエドワードくんのことしか見ていなかったものね」
「止めてよ、もう」
そんな和やかな雰囲気の中、似つかわしい音が聞こえてきた。
ドタドタ・・・・・・
「何事だ?騒々しいぞ」
「も、申し訳ございません!それが・・・」
「?何かしら?」
「エドワード様の姿が・・・!!!」
みな、一斉に探しだした。
ただ一人、ドレスを着たティラミスだけは、静かに椅子に腰かけた。
鏡に映った自分を見て、唇を噛みしめる。
「・・・・・・!!!!」
頭にささっていたティアラを外して、鏡に向かって投げつける。
こうなるかもしれないと、心のどこかでは分かっていた。
自分に触れていた手も、囁いていた声も、全ては嘘偽り、幻だったのか。
ティラミスは顔を両手で覆い、肩を震わせて泣いた。
式場はざわつき、なかなか始まらない式。
花嫁の体調不良ということで、式はキャンセルになった。
エドワードの姿が見えないことはすぐに噂になって広まり、エドワードの両親もティラミスの両親も、ひっそりと暮らすことになった。
ティラミスは窓の外から太陽を浴び、腫れた目を摩る。
「エドワード。あなたは、羽ばたいてしまったのね」
式場から上手く抜け出せたエドワードは、罪悪感がなかったわけではない。
両親にも、勿論ティラミスに迷惑をかけることは重々承知していた。
だが、自由には代えられなかった。
正装をして、緊張をほぐす為に外の空気を吸いたいと告げた。
外に出て、なんとも窮屈な服装をしていることに改めて思った。
「・・・出るなら今か」
結婚当日になって逃げないだろうと、きっと誰もが思っている。
それこそが、エドワードにとっての最後のチャンスでもあった。
「俺の自由は何処にあんだか」
高さは多少あったが、エドワードは飛び降りた。
ストン、と着地すると、蝶ネクタイを外して捨てた。
国のほとんどの人は式場に集まっていたためか、誰にも見つかることなく国から出られた。
初めて国から出て見ると、今まで自分が生きていた世界とは全く異なるものだった。
煌びやかな世界も、華やかな時間も、もうなにもその手にはない。
あるのは、前に進めるその足だけ。
「行くしかねえしな」
エドワードは、知っている。
キングダムと呼ばれていた自分の国は、国から一歩でも出てしまえば、もう追っても来ないことを。
外の世界を極端に恐れるあまり、動けないことを。
「はあ、はあ・・・」
どのくらいの時間、いや、日数、歩き続けていたのだろう。
汚れ一つなかった洋服もボロボロになってしまった。
砂だらけの足場は、とても歩き難い。
体力には多少の自信があったが、もう限界に近かった。
「喉・・・渇いた」
ゆっくりと倒れ、目をつむれば、もう二度と開けられないかもしれない。
ただ、疲れているだけなのだが、空腹もまた然り。
ザッザッ・・・
「?」
砂の音しかしていなかった場所に、何かを踏みしめる音が聞こえてきた。
こんな場所で人に会えるのだろうかと、エドワードは顔を上げて見る。
すると、そこにはラクダがいた。
ラクダから一人の女性が下りてくる。
「大丈夫ですか?」
「あ・・・」
「水をどうぞ」
女性が差し出してきた水筒を手に取ると、グビグビと勢いよく飲んだ。
「ありがとうございました」
「いいえ」
女性は綺麗な黒髪で、やんわりと微笑むその表情は、なんとも艶やかだ。
布を全身に纏っている女性は、ラクダの背から荷物を少し下ろした。
「良かったらこれもどうぞ」
「いいんですか?」
「ええ。もうすぐで家にも着くので」
「こんなところに家、ですか?」
それは簡単に作られたサンドイッチ。
具も大したものではないが、今のエドワードにとっては御馳走でしかなかった。
「俺はエドワードって言います。ちょっと迷ってしまって」
「私はキュートと言います。今はこの近くにあるオアシスを拠点に旅をしています」
「オアシス・・・旅・・・」
「ええ」
本で読んだことはあるが、自分が今いる場所が砂漠なのだと、エドワードは知った。
キュートは胡坐をかいて座ると、木の実か何かを食べ始めた。
「それは?」
「名前はちょっと・・・ただ、栄養があるんだって、聞きました」
そう言って、キュートに少しばかり手渡された実を食べると、酸っぱい味がした。
「これから、どうするんですか?」
「これから?」
エドワードは、キュートに自分がここに来た詳しい経緯を話した。
本当は隠す心算だったのだが、キュートなら受け入れてくれると思ったのだ。
「そうだったんですか」
「本当に悪いことをしたと思ってます。でも、俺はあのままあそこで一生を終えるなんて嫌だった」
「不思議なもので、自分の手にあるうちには、その幸せには気付かないものです」
「へ?」
ふふ、と小さく笑ったキュートに、エドワードは心奪われた。
「あの・・・」
「はい?」
ゆっくりと立ち上がり、オアシスまでエドワードを連れて行く心算だったキュート。
だが、キュートの手を取って、エドワードはしばらくキュートを見つめた。
「俺と、一緒に旅してほしい」
「私で、いいんですか?」
「君が良い。俺はまだ旅ってのも良く分かってないし、砂漠のことも知らないけど、君と一緒にいたい」
「・・・・・・」
こんなに緊張したことなんて、きっと今までないだろう。
エドワードにとって、女性なんて人生で必要ないとさえ思っていた。
だが、一人になって心細くなったからか、一目惚れなのか、分からない。
それでも、キュートといると安心している自分がいる。
「私も、心強いです」
ふわり笑ったキュートを、気がついたら抱きしめていた。
「エドワードさん?」
「俺、多分君と比べたら世間知らずだと思う。でも、君を、キュートを幸せに出来るように頑張るから・・・」
「・・・私だって、まだ世界を全部知ってるわけじゃありません」
腕の中に収めたキュートは小さく、細い。
しかし声は真っ直ぐで、強い。
「これからです。これから広い世界を見て、色々考えていくのも、悪くないと思います」
砂漠の海を歩く、ラクダがいた。
その背中には一人の女がいた。
ラクダの鞍を引っ張るのは、一人の男。
二人は砂漠を進んでいく。
その後彼らがどこで生きて行くのか、誰にも分からない。
だが、二人は背中に希望を背負い、まだ見ぬ世界を目指していくのだ。
ドカーン・・・・・・
「み、見ろ・・・!」
「おい!みんな見ろ!」
何百年、何千年と壊されなかった強固な壁が、ついにこの日壊れた。
壊れたという表現は正確に言えば合っていないかもしれない。
壁に人が通れるくらいの穴が開いたのだ。
何も、昨日今日の出来事で穴が開いたわけではない。
それは、長い年月をかけて戦ってくれた騎士たちによるもの。
特に大きかったものとしては、少し前に起こった反乱である。
騎士の名は、確かデルトと言った。
その騎士一人で出来たことではなく、騎士たちの協力があってこそ、その攻撃も可能だったのだ。
騎士は後に捕まり、拷問を受けた後殺されてしまったのだが、突破口が見えたのもまた事実。
希望を捨てずに、今日までも少しずつダメージを与えてきた甲斐があったのだ。
「壁をもっと崩せーーー!!!」
「全員でここの壁を壊すんだ!」
徐々に広がっていく壁の穴は、一人、二人と通れる大きさにまでなる。
ついに壁に大きな穴が開き、横五メートルほど、縦二メートルほどの穴が生まれた。
「あいつらを捕まえて、殺してやるんだ!」
「先人たちのカタキを取るんだ!」
キングダムへと足を進めて行くと、小さな扉があり、そこを開ける。
鍵はかかっておらず、簡単に入れた。
「なんだ?誰もいないぞ?」
「どういうことだ?」
ザーザー、と流れている映像もすでに自分達の手によって壊したカメラが、砂嵐のみを映し出す。
しばらく人がいた様子もなく、埃だらけ、家具も動物たちによって噛まれた後や、鳥は巣を作っていた。
「俺達は、戦わなくても良かったのか?」
「そんなことより、外の壁を開けるスイッチか何かがあるはずだ!」
思った以上に広かったキングダムの中を、男たちは捜索する。
「これか?」
映像を操作する機械の中に、一つのレバーを見つけた。
赤いそのレバーを引いてみると、ゴゴゴゴゴ、と大きな音を立てて、何かが動き出した音がした。
皆、なんだなんだと思いながら、キングダムを出て外の壁を見渡す。
すると、遠くから男が走ってきた。
「おーい!あっちの壁に出口が出てきたぞ!!!」
「本当か!?出られるぞ!!!」
一斉に、わーっと出口に向かって走りだした。
出口は一つではなく、四つあった。
それは四方に囲まれた場所だからこそで、それぞれの出口に人は集まった。
一つは海に繋がり、他三つは砂漠に繋がっていた。
海に飛びだす者もいれば、砂漠に向かって歩き出す者もいた。
そのまま壁の中で暮らすという者ももちろんいたが、ほとんどの人は壁の外へと出て行った。
そんな中、一人の男が壁の中へと入ってきた。
男は壁に吊るされていた屍を縛る縄を切断すると、土を掘って埋め出した。
「ありがとう」
「・・・・・・」
後ろから、一人の男が現れた。
男の背中には、青に燕のマントが蠢いていた。
「それ、俺の友人なんだ」
それからも黙々と屍を埋めて行く男。
「あんたは何処に行く?どこを目指す?」
「・・・・・・」
マントの男は、友人の墓の前に座り込み、立ち上がろうとしない。
「俺は、わかんなくなっちまった。あいつとは、幾らでも夢を見られた。ここを出て、二人で旅でもして、そんな夢を語り合ってた。けど、俺はもう一人だ。これから何を目指して生きて行けば良いのかわかんねぇ」
「・・・・・・」
座ったままの男を尻目に、壁の出口に向かって歩き出したもう一人の男。
「人生は、思っているだけでは長く、夢見ていると短い」
「え?」
「生まれながらに決まっているのは、名だけで十分だ。生きる道も信じて行く道も、いつだって変えられる。それでも迷うのなら、立ち止まって考えれば良い。死んだ奴は決して生き返らない。だが、死んだ奴の意志を受け継ぎ、生きて行くことは誰にでも出来る。まあ、生き急ぐ必要はない。お前はまだ若い。友人に酒でも注いで、一杯やってから歩けば良い」
そう言った男の右目は、緑色をしていた。
「あんた・・・」
去って行った男に、ただ頭を下げた。
手にしたものが何であろうと、ここにいては先に進めない。
逆の立場なら、きっとこう思うのだろう。
―未来に向かって進んでくれ、と。
「・・・そうだよな、デルト」
「そういえば、最近ボヌールの映像が流れてこないわね?」
「まあ、いいじゃないか。別の・・・ほら、似たような町なんて幾らでもあるんだから」
「私、あんなところに産まれなくて良かったわ」
「そうだね。同情さえするよ」
愚かな時代は巡りゆく。
一つの造形物が壊れたとしても、また新しいものを作る。
籠の中の鳥は、空を眺めながらも飛び立てないことを知る。
そしていつか、自分は飛べないのだと勘違いする。
だが、それでも羽根を動かす。
空に向かって飛び立つ日が必ず来ると、そう信じて生きて行くだけ。
ある騎士の意志を継いだ者たちは、戦う事を諦めない。
自由を手にした者は、これから先の希望を掴むため、旅に出る。
過去や未来を書き記す者がいることを知った少年は、彼の意志を継ぐために後を追う。
それぞれが見た時代を唄い、それぞれが見た世界を紡ぎ、それぞれが見た景色を憂う。
「ねえ、どうして泣いてるの?」
「泣いてないわよ。ちょっとね、思い出しただけ」
「何を?」
「昔、愛した人のことよ」
きっと、誰にも知られていない史実がある。
それを記すのが、彼の役目。
彼の名は、誰も知らない。
ただ、彼はいつのどの時代、どの世界にも姿を見せた。
まるで、自分の存在を示すかのように。
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