第26話


キーボードを叩いて、首を傾げる。

タタターンと軽快な音が何度か響いた。それをしばらく繰り返してから、城田は椅子を回転させ、ザクロを振り返った。

肩をすくめてお手上げの仕草をする。


「ダメですね、森川明子は実力派女優として今引っ張りだこですよー。アポを取ろうにも1ヶ月はかかります」


森川明子。

ひなたと同年代で活躍している女優。皮肉なことにひなたが自殺してから仕事の量は増えている。

検索したスマホの画面には、ひなたとは少し違うタイプの女性が載っていた。

ひなたより大人びて見える顔立ちに、強気な笑顔を浮かべている。中性的というより、お局などが似合いそうな顔だ。

清楚系のひなたとは毛色が違う。

ザクロは腕を組んで壁に預けていた背中を離した。


「1ヶ月は待てません」

「ザクロさーん!」


城田の背もたれを掴んでくるりと一回転。もう一度パソコンに向かわせる。

城田のパソコン画面に浮かんでいる文字列を隣から覗き込むようにして見た。

どうやって調べたのか、明子のスケジュールが出ている。カレンダーを埋め尽くす印に、ザクロは顔をしかめた。


「大体、昔の話を聞くだけなんだから、アポ取るのもおかしくないですか?」

「つっても、森川明子との伝手なんて、弱小のうちにはないぞ」


ザクロはデスクに座り、机の上に置いてある袋菓子を頬張る永田を振り返る。

明子の事務所に「琥珀と舞村について話を聞きたいから協力してくれ」なんて言って、会わせてくれるだろうか。

自分だったら突っぱねる。

永田は手についたお菓子の粉を舐め取るように指を頬張りながら言った。


「それこそ、琥珀に連絡してもらうのが一番だと思うけどな」


ピタリとザクロは動きを止めた。

永田がはぁーとわざとらしく声を出す。


「黙りか」


ザクロはもう一度腕を組んだ。


「それが一番早いのはわかるんですが」


明子と直接会ったことがあるのは琥珀だけ。

ひなたたちが出演したライブは、以前の事務所で手掛けたものだ。

モノリスと明子が間接的に関わったことさえない。

永田は袋に手を突っ込むと指先に三角形のそれを被せて、振ってから食べた。


「芸能界は基本、縦社会だ。森川のお世話になった誰かに繋がれば」

「もしくは、お世話になりたい、ですかね」


うまい連携プレイ。城田が永田の後をつなぐ。

元から繋がっている誰かを使うか、明子が繋がりたい誰かを使うか。

ザクロは頭の中に何人かの候補をピックアップした。海外進出したい女優は多いし、ハリウッド女優と会って話したい人間はいくらかいる。

だが、ザクロは一度、髪の毛耳にかけた。


「今は舞台、でしたっけ?」

「そうですよ」


城田がスケジュールの載った画面を指差す。

あと二週間は公演期間のようだ。その間に見つけられるか。

ザクロは小さく頷いて見せる。


「当たってみます」

「おー、頑張れ」


ザクロの言葉に、永田はにっと笑うと、ティッシュペーパーでおざなりに指先を拭いた。

それから、高級そうな紙袋を机の上に上げる。ザクロはデスクに近づくと、中身を確認した。


「もう一つは、問題なく取れたぞ」

「ありがとうございます」

「菓子折り持って挨拶なんて、結婚でも申し出る気か?」


拭いた手をそのまま顎の下に置き、ニマニマした笑顔を貼り付ける。

袋の中身はきちんと熨斗までついた和菓子だった。

包装に間違いがないか確認してから、底がつくまでそっと袋の中に戻す。

永田を見ずにザクロは言った。


「本来なら社長の仕事なんですから、反省して下さい」

「はいはい」


永田の態度は変わらない。ザクロはため息を吐いた。

それもそうだ。本来ならばしなくてもよい挨拶なのだから。


「松永キヨさんに会いに行きます」


ザクロは宣言するように永田に告げた。



琥珀が一人暮らしをするまで過ごした家は、琥珀と正反対の純和風なものだった。

中から出てきた琥珀の祖母、松永キヨも一部の隙もなく着物を着こなしている。

唄の師匠とはこういう姿がスタンダードなのか、琥珀には分からなかった。


「初めまして、琥珀さんの付き人をさせていただいている西園寺と申します。この度は挨拶が遅くなり、失礼しました」


準備してきたお菓子を袋から取り出し机の上に置く。

久しぶりの格式張ったやり取りに手に汗が滲む。ハンカチを握ることで誤魔化した。

キヨはお菓子を受け取ると脇に置き、にこやかに笑う。


「まぁまぁ、ご丁寧に。琥珀さんの事務所が変わったのは何度かありましたが、挨拶に来られた方は初めてです」


優しい言葉だったが、この挨拶が異例のものだと言外に伝えてきていた。

さすが、察しが良い。

ザクロは真綿にくるまれた気分を味わう。きつくはないものの、圧迫感を感じる。

笑顔を口角にだけ残したまま、キヨがザクロを見つめた。


「何をお話にいらしたんですか?」

「手厳しいお言葉ですね、ただのご挨拶です」


琥珀にも言わずにここに来た。表面上は事務所からの挨拶でなければならない。

だが、のんびりとしている暇もない。

こほんと咳払いをしてから、ザクロは本題を切り出す。


「琥珀さんに脅迫状が届いています」

「まぁ」


目が見開かれる。驚いていても上品さは崩さない。

同じ仕草に、琥珀との血の繋がりを感じた。


「その鍵となるのが琥珀さんの演技だと、わたしは思っています」

「演技? 歌ではなく?」


訝しげにキヨが眉をひそめた。その手は膝の上から動いていない。

ザクロは「ええ」と深く頷いた。

琥珀は気づいていなかった。ひなたが苦笑した理由。

ザクロは、それを下手だったからだとは考えていない。

歌手が好きなシーンのモノマネをしたのだ。下手で当然だろう。

ましてや、ひなたは人当たりの良い性格のようだ。喜びこそすれ、苦笑は出にくいではないか。

だとすれば。


「あの子は、誰かの前で芝居をしたんですか?」


キヨの言葉にザクロは再び頷いた。


「ライブの余興の、さらに休憩の間の話です」

「それは、なんてこと」


キヨが口元に手を添える。

白い指先は血の気が引いているようにも見えた。すぐに手はまた膝の上に戻される。強く握られているようだった。

まっすぐにこちらを見る瞳は、仄暗い炎が見えた。


「誰か、辞めたか……死にましたか?」


ザクロは息を呑んだ。

やはり、そういうことなのか。


「ご明察、恐れ入ります」


ザクロはすぐさま頭を下げて、呼吸を整えてから、ゆっくりと頭を上げた。

キヨは小さく頭を横にふる。


「演技で脅迫状に関係することなんて、限られますでしょう」


だが、その2つをすぐに繋げることは難しい。

それこそ、ずっとその可能性を考えていなければ。

キヨは諦めと後悔が混じったような声で言った。


「だから、あれほど片手間に演じるなと言ったのです」

「では、やはり、琥珀さんは」


琥珀が言われたという「演技をするなら命がけでやりなさい」

その言葉は2つの意味に取れる。

琥珀が思ったように、命がけでやらないと演技が大成しないという意味。

もう一つは、命がけでやっていることにしないと周りから恨まれるという意味。

つまり、琥珀には演技の才能があった。しかも、周りから恨まれる可能性があるほど。

ザクロの問いかけに、キヨは小さく頷いて、静かに話し出す。


「あの子は、わたくしの欲が生み出した怪物です」


ザクロを見つめていた視線が、琥珀との過去を思い出すように部屋の隅へとそらされる。


「なんでも、卒なくこなしましたよ。特に歌と芝居は、親に似たのか、光るものがあった」

「小さい内からですか?」


キヨは視線を戻すと、机の上で湯気を消した湯呑に手をつける。

飲まずに手のひらで包み込みながら、その中を見つめた。


「こういう世界では小さな頃から芸能を叩き込まれます。だから技術に然程の差はつきません」


一口、キヨが緑茶を口に含む。

上品な所作は琥珀を見ていても感じたものだ。

つられるようにザクロも出されたお茶に口をつけた。


「違うのは、華だけ」


そう言い切ったキヨはザクロを見てくる。

華。オーラ。芸能人に必要なもの、言い換えれば、才能に近い。

キヨはにっこりと笑った。


「あの子は、舞台の真ん中が誰よりも似合うでしょう?」


ザクロは「ええ」と頷いた。

琥珀は舞台の真ん中が誰よりも似合う存在だ。悔しいことに、何度見てもそう思わずにいられない。

そして、琥珀本人もそう思っている。


「強すぎる光は、淡い光を消し飛ばすもの。適当にやって他の人を潰すくらいなら、しないようにと忠告しました」


技術なら、どうにかなる。だが、華はどうにもならない。

キヨの言葉はある意味琥珀のことを思ってのものだった。

残念ながら琥珀には伝わっていないようだったが。いや、琥珀が自覚しないようにそうしたのかもしれない。

考え込むザクロに、キヨは中庭の方に視線を向ける。


「ただ」


同じように中庭をみたザクロの視界の中で、雀が一羽飛び立った。椿の枝が揺れる。


「この世界を選んだ時点で、遅かったのかもしれませんね」


キヨの横顔に、ザクロは首を振った。

遅かった、なんてことはない。

琥珀はすでに選んでいる。その道を進むのを助けると自分も決めた。


「琥珀さんは、素晴らしい歌手です」

「ありがとう」


ザクロはそれ以上、掛ける言葉を持っていなかった。

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