第25話

部屋には張り詰めた糸のような空気が流れていた。

間違った言葉を口にすれば、空間そのものが壊れてしまいそうだ。 

ザクロは琥珀の様子を見ながらゆっくりと口を開く。


「琥珀さんが言っている人物は、舞村ひなたですか?」


ザクロの口から出た名前に、琥珀は一度眉根を寄せた。

泣く、と思ったら、表面にがらりと笑顔が張り付く。歌手としての琥珀だ。


「そこまで調べが付いてるのね」


一度天井を仰ぎ見るように顔を反らせた。

机の上に置いてある手には力が入ったままで、強く握り込まれている。

数秒後、ザクロを見た琥珀の顔には苦笑いが浮かんでいた。


「ひなたは……ほんと、輝いている女優だったわ」


こうやって、琥珀の口から同性の話を聞くのは初めてかもしれないと思った。

男の話は必要もあり、たくさん聞いた。そのどれもがろくな結末にならないのが、琥珀らしさだろう。

言葉を選びながら口にする琥珀をザクロはただ見つめた。


「キラキラしてて、演じるだけで雰囲気を変える。歌も上手いし、ダンスもできた。祖母が望んでいた女優は彼女みたいな人だったんでしょうね」


羨望。

自分がなれなかった、持てなかったものを持っている人間への憧れ。

それを琥珀の瞳の中に見て、ザクロは息が詰まった気分だった。そんな感情を彼女が持つと思っていなかったせいかもしれない。


「そんなに……素晴らしい人だったんですね」

「そう、モテてたけど男あしらいも上手で、恋人を大切にしてたわ」


ザクロは手を何度か握りしめた。それは琥珀が憧れるわけだ。

なれなかった祖母の完璧に近く、自分にできない男あしらいができ、さらに大切な恋人もいる。

いじめ?

そんな要素は欠片も見当たらない。


「ライブ中の、劇中劇だったんですよね?」


ひなたが琥珀のライブに出演したのは、ほんの僅かな時間だ。

確認するように口にしたザクロに、琥珀は一度動きを止めてから立ち上がる。

そのままTVラックの下にしゃがむと、勢いよく映像作品を探し出した。バタバタとプラスチックケースがぶつかる音が響く。


「あった……これよ」


膝の埃を払うような仕草をしつつ立ち上がる。琥珀の手の中にはDVDがあった。

タイトルは確認するまでもなく、話題になっていたもの。

ザクロの視線は琥珀の手元のケースと顔を何度か往復した。


「大丈夫ですか?」


ザクロはソファに腰を落とした琥珀に近寄る。

ソファに座らずに片膝をつけて、琥珀の顔を覗き込んだ。

パッケージを見つめていた虚ろな瞳が、少しだけ光を取り戻しザクロを見る。


「一緒に見て」


ポンポンと左隣を手で叩く琥珀に、ザクロは「分かりました」と頷き腰掛けた。

琥珀のように体を預けることはせず、背筋を伸ばしたまま両膝の上に手を置く。

一度ソファから体を起こすと、琥珀はリモコンのスイッチを押した。低い起動音が響き、セットされた円盤が回り始める。

音楽会社、琥珀のロゴと順序よく現れる間に琥珀はライブの説明を始めた。


「設定としては、コハクアイランドに三姉妹の泥棒が宝を盗みに来たってことね」


琥珀がリモコンを操り、メニューを開く。淀みない動作でひなたが出演しているシーンを選ぶ。

三姉妹の泥棒という単語に、ひなたの経歴に書かれていた作品を思い出す。


「ああ、ちょうど、ドラマがありましたもんね」

「そう、コラボ……演劇を取り入れたことなんて無かったから、新しいかなって受けたの」


なるほど、とザクロは頷いた。

あの作品もひなたが自殺したことで映画化がお蔵入りになっていた。作品の人気も高かったので、主演を変えて撮影することも考えられたのだが、ファンからの反発が強く結局流れたのだ。

そう考えると、ひなたの死は多くのことに関連している。

トンと前のめり気味のまま考え込んでいたザクロの肩に琥珀が体重を預けてきた。

ハッとして考え込み下を見ていた視線を上げ、画面に集中することにする。


『ここが、大人気歌手が宝物を隠してる場所』

『歌手なわりにセキュリティが厳しいわね』

『歌が、鍵』


流れる声の邪魔にならない程度の声で琥珀が解説してくれる。

耳元で響く声に耳がムズムズした。


「三姉妹設定で、ひなたは次女の役。二番目に話したのが長女役で、森川明子。この二人は本当に仲が良くて、いつも一緒にいたわね」

「稽古中も?」


離れるべきか。一瞬考えて、琥珀の肩がわずかに震えているのに気づく。

そうなると、もうダメだ。

ザクロは胸中で深いため息を吐いた。

そっと支えるように体を寄せる。少しだけ熱が伝わる面積が増えた。


「三番目の子はアイドルで、無口キャラっていうか、話すとバレるから」

「なるほど」


少しだけ元気になった声にほっとする。

琥珀の指先がアイドルの子を示し、その声の単調っぷりにザクロは頷いた。

確かにこれなら話せば話すほど、演技の不味さがわかる。

ド下手というわけではない

前で演技するひなたが上手すぎる。食われてしまうのだ。


「上手いものですね」

「凄いでしょ?」


思わず褒めたザクロの言葉に琥珀は自分のことのように声を弾ませた。

舞台上ではどういう展開なのか、手下っぽい黒いタイツスーツを着た集団と乱闘になっている。


「アクションもこなして、演技も抜群……休憩中も気を抜かなかったわ」


ひたすら感心している様子に、ザクロは首を傾げた。少しだけ首をひねると琥珀の方を向く。


「それでも注意を?」


ザクロの言葉に琥珀は苦笑いを浮かべ、顔の前で小さく手を振った。


「私は演技には口を出さないわ。歌へのつなぎとか、盛り上げるための演出に口を出しただけ」


画面の中でひなたたちが演じる泥棒の前に、琥珀が現れラスボスのように歌いながら対峙している。

琥珀もひなたも、舞台の上の誰もが楽しそうにザクロには見えた。

ピッと音がして画面がメニューへと戻る。

琥珀は力が抜けたようにソファに体を沈めた。


「だけど、1回だけ……ふざけて、演じたの」

「ひなたさんの役?」


顔の上に手を置いているから琥珀の表情は見えなかった。

目元を隠すように右腕が乗せられている。

途切れ途切れの言葉は、今までで一番小さかった。

ザクロは画面に向けていた体を琥珀の方へ向ける。


「好きなシーンがあったのよ、ひなたしかいなかったし、見てみたいって言うから」

「どうでした?」


見えている口元が歪んだ。

ザクロは自分の心臓の音が大きくなった気がした。

琥珀は自嘲するように言った。


「酷かったんでしょうね。苦笑いを隠してお礼を言ってくれたわ」


腕が降ろされ、ソファから琥珀が体を起こす。

ザクロが避けなかったため、琥珀の香水がわかるほどの距離になった。

琥珀の顔を見る。嘘をついているようには見えなかった。


「それだけ?」

「そうよ」


琥珀はふぅと張り詰めていた息を吐いた。

特にいじめのネタになるようなエピソードもない。

琥珀の反応を見る限り、きつく当たったということもないだろう。


「だから、ひなたが自殺したときは驚いた。記事は相変わらず的はずれなものばかりだったけど」


荒々しく髪の毛をかき上げる。

ザクロも苦笑しつつ、同意した。この何もない話からあの記事を書けるならば、記者は小説家になったほうが良い。


「三角関係記事は面白かったですけど」

「娯楽性があるから、またムカツクのよね」


徐々に調子を取り戻す琥珀に、ザクロはもう一度確認した。


「じゃ、心当たりはないんですね?」

「恨まれる覚えはないけど……相手からしたら、ね」


琥珀の顔に苦いものが浮かぶ。

琥珀に覚えがなくても、相手側から見ればわからない。

本人もいないなら、残された者は考えるしかなくなるのだから。

言いづらそうに琥珀は「あー」と言葉を濁した。


「森川と会うのは今でも緊張するわ」

「敵意を?」


森川明子。

ひなたと仲が良かった人間。怒りを覚える可能性はある。

浮上した可能性に腕を組む。まずは本人の調査からしなければならないが、ザクロはもう一つ気になることがあった。


「まぁ、良い気分がする態度ではないわね」

「ちょっと探ってみます」

「森川は違うわよ、そういう性格じゃないわ」


ザクロの言葉に琥珀は慌てた様子で言葉を付け足した。

それを宥めるようにザクロはにっこりと作り笑いを浮かべる。


「お話しを聞くだけですから」


森川と、もう一人。

真実に近づくために話を聞かなければならない人がいた。

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