2-3
黒木は隣に歩くと、嫌な記憶を過去に捨てた。隣のガラスケースには一つの棺桶が鎮座していた。彼女のために用意してた特製の棺桶。黒塗りの棺桶が光に当たり、ほのかに照らされていた。
「似合っているね」
と、慈しみの目を黒木はした。
いずれ棺桶に彼女が入ることになる。だが、その前に自分はどうするか、と深く考えたことはなかった。彼女のための全ての物を用意してあげるだけで、黒木は心から満たされた。今でも枝のように細い腕の彼女が、これ以上苦しむのは見られなかった。出来ればどこまでも支えてあげたかった。しかし、それでも悩みはどうしてもあった。黒木は両手をガラスに付けた。
「僕は、正しいことをしているのかな?」
分からない、と黒木は心の中で答えた。分かる訳もない、と首を横に振った。言葉に表せないモヤモヤが喉の奥にあった。それがあるだけで人として喜ぶべきなのか。狩人として失格だと泣くべきなのか。黒木は目頭を押さえると、視線を逸した。今の状態で彼女の聖なる物を見れる気がしなかった。
黒木は廊下を先に進むと、機械に毛布を渡してから、差し出された剣を手に取った。軽く振り、感覚を確かめた。程良い重さだった。近付いて見れば刃こぼれもなく、しっかりと手入れされていた。切り甲斐があるようで、自分の腕を切り付けないようにその衝動を抑えた。痛みは黒木が一番嫌うことだった。
首を絞められるのはあの日だけで良かった。余程そのようなことが好きでない限りは。黒木は視線を前に動かした。裸体が飾られていた。両手を手錠で拘束され、天井に吊るされていた。首から下の胴体には、黒木が持つ物と同じ剣が無数に突き刺さっていた。竹槍が仕込まれた罠を、何度も意図的に踏んだ後のようだった。
体は剣の重さで下に強い力で引っ張られていた。手首からぶどうを潰しているように、肉が切れる音がした。後少しで体の部分が千切れ、繋がっているのが不思議だった。顔は入念に焼かれていた。顔は爛れ、部分によれば骨が見えた。
「やぁ、元気そうだね」
と、にんまりと口角を上げた。
隙間から見えた犬歯が光に輝いた。黒木は剣を再度振ってみると、そのまま吊るされた物に向かって投げた。重い音を立てながら、剣は顔に深く突き刺さった。振り返ることなく、黒木はその場を後にした。
廊下を進み、階段を上がると家の一階に辿り着いた。背伸びを一度すると、黒木は新鮮な空気を吸った。体から仄かに残り香がし、黒木は安心した。デッキに出ると黒木は椅子に座った。辺りは気付けば暗くなりつつあった。微かに肌が冷えるようだった。背もたれに倒れると、緑の匂いが漂ってきた。折角の濃厚の匂いが消えるようで、黒木はつまらなかった。だが、同時に森の中で行ったパーティーの景色を思い出した。地下にいる動かぬ物よりも、生き生きとしている物の方が楽しいのだった。狩り甲斐と仕留め甲斐があった。
「また楽しい遊びでもしたいな」
誰もいない空間に黒木は呟いた。その遊びに勝る遊戯は他にどこにもなかった。ただ一つにつき、一度しか楽しめないのが悩ましかった。いつまでも楽しませてくれたら、黒木が飽きることはなかった。美味しいとしてもいずれ舌が超えてしまうのではないか。あるかも分からない未来について、黒木は脳内で一考した。だが、すぐに一蹴して終わった。
そのようなことを無駄に考えて、逆に味を落とすのは良くなかった。黒木は脳内で狩っている時の景色を想像しながら、外での時間を楽しんだ。その肉を自分の力で手に入れるから美味しいのだった。そして、その最期を思い出しながら食べると、味は更に濃厚になった。必死に最期まで足掻いた物の味が不味い訳がなかった。唾を飲み込むと、自然と鼻歌を歌っていた。黒木はポケットの懐中時計を手で握った。手にそっと持てる大きさで、落ち着くことが出来た。
「もう時間か」
そう呟くと、黒木は懐中時計を取り出した。蓋は壊れていなかったが、時計盤のガラスにヒビが入っていた。動くことのない時計盤。それでも黒木は感覚で夕飯が近いことが分かった。時間を理解するのは大切なことだった。そして、それは何を持っていない状態で出来る方が良かった。使い慣れている物が必ずしも、いつも隣にある訳ではなかった。それはナイフでもそうだった。何もなくても出来るとしても、補佐に持っているのだった。道具は便利だからだった。
立ち上がると、黒木は彼女がいる二階に向かった。小さくなりながらも、気持ち良さそうに眠っている彼女を眺めた。彼女の頬に優しくキスをすると、黒木は彼女を優しく包み込んだ。穢れた心ではなく、ただ純粋に彼女がいつまでもこの腕の中にいて欲しかった。一通り彼女を感じると、黒木は壁に畳まれた車椅子を開いてベッドの隣に付けた。彼女を優しく抱き抱えると、黒木は車椅子に彼女を乗せた。彼女が前向きに倒れそうになったので、黒木は紐で優しく括った。彼女が安定したのを見ると、エレベーターで下の階に降りた。エレベーターの扉が開くと食欲を唆る匂いがした。黒木は彼女の頭を撫でると、テーブルの開いている場所に車椅子を付けた。彼女の片方の手を取ると、そっとテーブルの上に乗せた。黒木は隣の椅子に座った。
「いただきます」
テーブル上には美味しそうな夕飯が並べられていた。目前には今日の主食の頭が置かれていた。綺麗な色が保たれた状態で、いつ齧り付いても美味しそうだった。自分の体が隣に並べられているとしても、その顔は何も気にしていないようだった。黒木は頭を自分の皿に置いた。ナイフとホークを手に取ると、黒木はテーブルに横たわる体を眺めた。
ただ眠っているようにも見えたが、体の胸が開かれていた。臓器は全て料理され、皿に盛り付けられていた。開いている部分に食材を詰めた状態で直火で焼いていた。黒木はナイフを入れると、一番美味しい部位を彼女の皿に用意した。小さく食べやすいサイズに切ると、手で彼女の口を抉じ開けた。力を込めないと彼女の体は動きにくくなっていた。黒木は彼女の口に肉を入れると、閉じさせた。
「美味しい?」
皺々の彼女が返事をすることはなかった。顎が外れそうなのを力技で直すと、黒木は彼女に笑いかけた。彼女を頷かせると鼻から入れた物が溢れ落ちた。彼女の服が汚れたのを見て、黒木は機械に彼女を綺麗にするよう頼んだ。以前のように顎が外れるのは、一度だけで良かった。彼女が回収されると、黒木は一人になった。背にもたれると黒木はカトラリーを持ち直した。頭の皿を少しだけ下げると、頬に切り込みを入れた。
頭は体を食べるまでは保管したが、後は使い道がないので体と共に食べるのだった。片方の頬を削ぎ落とす寸前で、黒木は口を近付けた。歯で頬の肉を噛み千切ると、咀嚼した。そのままもう片方の頬も味わった。唇に噛み付くと黒木は上と下の双方を裂いて食べた。頭は頬と唇を失い、見窄らしくなっていた。
「君を頂くよ」
黒木はナイフで目の周りに滑らせると、吸い付いて目を抜き取った。グミのような弾力があり、噛み潰すほど中の液が漏れた。弾力と目自体の味を楽しんだ後に、中の液と調和され、二度黒木は楽しむことが出来た。顔を上げれば、顔は目があった場所から涙を流していた。表情は口元が動かないため、読み取ることが出来なかった。
きっと幸せだろう。この上なく大切に美味しく頂かれるのだから、と黒木は一人で考えた。自分の口元を拭うと、おまけとばかりに鼻を落とした。目と頬と唇と鼻がない顔は、置物に一気に見えた。
手でナイフを回転させると、残りの皮と肉を剥いだ。顔を骨だけにするように、深くナイフを刺した。血が滴る前に肉片を口に運び、皮と共に咀嚼した。顔はパーツを切り取られるように、下の骨が見え始めた。食べれば食べるほど、骨が見えていくのは宝箱を開けているようだった。骨だけになると、黒木は鼻があった穴に舌を入れた。全てを味わわなければ、その物に失礼になるからだった。
頭を優しく撫でると、黒木は髪を抜いた。腕を伸ばすと髪の毛の付け根を口に含んだ。ゴワゴワした髪を口の中で舐めると、付け根に付着した部分を味わった。味のない髪とは違い、微かに風味を感じられた。生きていた時の味のようだった。
頭から髪の毛を抜き終わり、黒木は空いている皿に纏めた。皿の上に髪の毛の束が、静かに置かれていた。オリーブオイルを手に取ると、髪の毛にかけた。ついでに熱されたバターや唐辛子、ガーリック、胡椒をかけた。軽く混ぜて味を行き渡らせると、髪の毛パスタが出来上がった。
「丁度良い」
と、黒木は体から肉を削いで追加した。
フォークで髪の毛を巻くと、肉を刺した。そのまま口に入れると、美味しさの余りに唸った。
「やはり、最高だ」
その一言に黒木は尽きた。本場の料理のような味がし、それを自宅で味わえることが更に良かった。勇気を出してもう少し前から試していた方が良かった、と思うほどに。折角ならどの部位も、残らず味わうべきだった。兎とて無限にいる訳ではなく、汚く食べるつもりはなかった。その命に感謝を述べながら、「いただきます」の言葉を紡ぐのだった。
喉に感じる不愉快ことが、生きようと抵抗しているようだった。その心を折るように飲み込むと、心も身も満たされた。赤い液体が注がれたワイングラスを手に持つと、一気に喉に流した。髪のない頭にワイングラス傾けると、黒木は表面を舐めた。独特の匂いが合わさり、黒木は頬を赤くさせた。美味しさを言葉に表すのも、忘れるほどだった。フォークが進み、気付けば皿に何も残っていなかった。
肉の切り身を皿に置くと、臓器で出来た特製料理も盛り付けた。全てを一気に食べることは出来ないとしても、一口ずつぐらいは料理人のためにも味わいたかった。味見が終わっていない料理があれば、仕事中も気になって仕方がなくなるのだった。興味がある物ほど先に食べるべきだった。もし味わえずに終わればきっと後悔する。人肉をベースに栄養素が足りるように、様々な食材が混ぜられていた。人肉のためにしか舌がない黒木には分からなかったが、色んな物が入っているようだった。本当は人肉だけを食べたかったが、栄養不足で倒れるのは一度だけで良かった。無理矢理点滴を刺され、治るまで人肉を食べられないのは苦痛でしかなかった。人肉のない世界など考えられなかった。
フォークで大きな人肉の切り身を刺し、黒木は口に運んだ。顔とは違い、噛めば噛むほど肉汁が口を覆った。いつまでも噛み続けたい物だったが、すぐに口の中で溶けてしまう。肉を味わうために、何切れも口に消えていった。ツマミのように特製料理も食べながら、黒木はワインを水のように浴びた。食べ過ぎた黒木は腹を摩ると、一息付いた。
「ご馳走様」
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