第6話 世界の変化に刮目する ※アレックス視点

「旦那様、お食事です。口をあけてください」


 まだ寝た状態なので食事は自分でできず、食事は俺の乳母だった侍女長ソフィアの手を借りている。


 毎日三食すべてパン粥であるが、一時は死を覚悟し、長い間回復薬で栄養をとっていた身としては口で物を食べられるまで回復できたことが素直に嬉しい。


―――お前はまだ子どもだな。


 不意に亡き父の言葉を思い出す。

 当時はそう言って笑う父に反発したものだが、あれから数年経っても自分はまだ遠く父に及ばない。


 いま思えば魔物の討伐完了が確認される前から不調は感じていた。


 いつもより魔法の規模が小さかったこと、体が熱かったこと。


 落ち着いて思い出せば魔物の瘴気に汚染された魔素が体に溜まってきている兆候で、騎士科でも騎士団でも『大切なこと』として教わることだった。



 魔物の討伐が完了したと聞いた瞬間に体から力が抜け、地獄が始まった。


 体の中が焼ける猛烈な痛みは止まらず、痛みで意識を失い、痛みで意識が戻り、再び過ぎる痛みのせいで意識を失う。


 ひたすらこれの繰り返し。


 瘴気の影響で暴発する火の魔法で臓腑は爛れて流動食さえ受けいれられない体、高価な回復薬を点滴して死ぬのを防ぐ意味はあるのかと思い続けた。



 しかし、本当にあの女ラシャータがここまで俺を回復させたのか?


 通常ならば魔物の瘴気に汚染された魔素が体に溜まってきても瘴気酔いする程度で、しばらく不調が続くが数日で治るのが常だ。


 しかし今回は規模が大きかった。

 俺だって自分の魔力が体内で暴発するなんて思っていなかった。


 そんな未曾有の状態をあの女ラシャータが治せたとは、実際にこうして治りつつある立場で言うのもおかしいが、どうしても信じられなかった。

 


 これが聖女の力と言ってしまえば、それまでだろう。


 正直に言ってしまえば聖女の力は反則技に等しい、死んでさえいなければ助かるなどどんな必殺技なのかと騎士を率いる立場からしてみれば思ってしまう。


 そんな聖女の力を利用するには国王の許可がいる。

 婚約者の俺はもちろん、あの女ラシャータの父であるスフィア伯爵だって国王の許可がいると法律上では決まっている。


 しかしあの女ラシャータはそういう決まりを守る女ではなく、むかし騎士団の演習でケガしたときに要らんというのに勝手に聖女の力でケガを治されたことがある。


 あのとき、確かに深かったが上腕にできた数センチの切り傷を治すのにあの女ラシャータは一時間以上かかっていた。


 今回はその比ではない。

 

 しかもあの女ラシャータは右手と左手で違う魔法を展開していた。

 聖女の力は俺の魔素を使った魔法とは違うようだが、右手と左手で違うものを展開させることの難しさは同じだろう。


 魔法の並列起動は高等技術だ。

 俺も魔法の発動速度には自信があるが、器用さと集中力が必要な並列起動はあまり得意ではない。



 俺のあのケガを治す技術と長時間治療を継続できる豊富な魔力。


 十歳のときの測定結果は国に保管されているが、あの女ラシャータが国に申告している魔力量とは比べものにならないほど多かった。


 十歳を過ぎて魔力量が上がる例がないわけではないが、それには並外れた努力が必要であり、努力しても得られる魔力増加は一割増程度だ。


 過少申告?


 女性が恋人や夫に花をもたせるために過少申告する例はあるにはあるが、俺は即座にその可能性を否定する。


 あの自分が常に一番でなければ気がすまないあの女ラシャータがそんな真似をするとは思えないし、仮に俺に花を持たせようと思ったとしてもあの魔力量は少な過ぎる。



 わけが分からん。



 ***



「旦那様、定期報告を」

「分かった、グレイブ執事長以外は全員下がれ」


 寝たきりなので書類仕事はできないが、グレイブに口頭で報告を受けるのが日課になってきた。


 声に出すため、機密事項もあることを考慮して報告を受けるときはグレイブ以外を退室させており使用人たちは速やかに部屋を出ていく。


 あの女ラシャータもだ。



「図書室にいます。執事長、終わったら声をかけてください」

「畏まりました」


「レダ卿、行きましょう」


 それだけ言ってあの女ラシャータは静かに部屋を出ていった。


 姦しい、喧しいと感じたことは腐るほどあるが、静かなんて今まで一度も感じたことはなかったあの女ラシャータの佇まいに毎回驚かされる。



「目が覚めたら世界が変わっていたという話を実体験するとは思わなかった」

「わたくしもです、まあ私は寝込んではいないのですが」


 皮肉めいた声に俺はグレイブを見る。


「心配かけてすまなかった……と、もう何度も言っただろう?あと何年言い続ける気だ?」

「寿命の縮まる思いをさせたのですから、あと五十年は謝って頂かないと」


「お前、何年生きる気だ?」

「まあ、冗談はさておき。あの方には私も驚いております。この三カ月間、常に旦那様の傍に控えて、聖女の力で治療なさるだけでなく包帯を替えたり水を飲ませたり……じいは感激しました」


「この本はあの女が?」

「はい、旦那様が寝ていらっしゃる時間にお読みになっている本です」


 大衆小説、この国の歴史、生物の進化、医学、老後の貯え……老後の貯え?


「そちらの小説はいま人気の純愛小説、その第三巻でございます」


「あの卑猥な官能小説を実演しているようなあの女ラシャータが純愛小説……マジか」

「マジでございます」


 あの女ラシャータには貞淑さなど微塵もなく、彼女の性生活は聖女の称号が大号泣するに違いないほどの奔放さだ。


 あの女ラシャータの愛人たちが勝手に自慢してくるから知っているだけで、愛してもいないあの女ラシャータが己の体をどう使おうが別に構わないし、愛していない女のために立てる目くじらも持っていない。



「俺が寝ている間に誰かを連れ込んだり、庭の茂みにしけ込んだりは?」


「一切ありません。先ほども申した通り、旦那様が眠っていらっしゃる間はずっとそこのイスに座って本をお読みになっています」


 やはり俺が寝ている間に世界が変わったのか?

 それともあの女ラシャータだけ中身が何かに入れ替わったか……洗脳されたか?



「人間を洗脳する魔物がいましたよね?」


「いま俺もそう思った。ジェネラルタイプなら洗脳も使えるが、洗脳されるのは知能が低い動物だけだぞ」


「以前のあの方なら洗脳されても」


 主の婚約者、つまり未来の主を堂々とバカ扱いするグレイブに俺は苦笑してしまう。



「陛下の命令か破格の褒賞が殊の外きいたのだろう」

「陛下がワガママを許すからあんな方になったのですがね」


 あの女ラシャータは父親同様に自分の価値をよく分かっていたし、自分が聖女の力を使えることから父親以上に自由に振舞っている。


 そんなラシャータの二つ名は『悪女よりも悪女らしい聖女』。

 

 気に入らないと思えば、相手が誰でも傷めつける。

 それが使用人ならば容赦がないため辞める者があとを絶たず、伯爵邸は使用人の質が悪いため数でカバーしていると聞いている。


 逆に気に入った者は誰でも重用し、男の場合は簡単に褥を共にするため婚約者を寝取られたご令嬢を日々増産しているというから凄まじい。



「この国にとって大事なのは聖女であり、聖女の種にこだわりはないのだろう。実際に娼婦の胎からも聖女が産まれているわけだしな」


「旦那様が陛下も参加する貴族会議で『聖女の胎でどこの種が芽吹こうが一向に構いません』と言い切ったときは上から下への大騒ぎでしたね」


 グレイブはため息を吐く。

 

 しかし、申しわけないがそこは諦めてもらう。

 公爵家の血を継ぐことはケヴィンやオリヴィアに頑張ってもらうことにしている。



「陛下は旦那様ならあの方をコントロールできると思ったのでしょうね」

「十歳の子どもにそれを期待しないで欲しかったな」


 俺は一歳で婚約し、八歳でその婚約者を亡くし、少年の傷心などどこ吹く風で二年後にあの子の異母妹であるラシャータと婚約させられた。


 十歳のときだが、俺とラシャータの婚約を母が激怒していたことを覚えている。

 あの母ならば俺のこの決断を褒めてくれるに違いない。



「どんな女であれ聖女である限りは守らなければいけない。国を守るのが王家の槍の役目。俺個人の幸せな結婚というやつは諦めているんだから、小さなわがままは許してくれ」


「小さいですかねえ……」


「そんな声を出すな、十人や二十人くらい子を養育してもうちの金庫は揺るがないだろう?」



 冗談を言って話を終わりにする。

 正直言えばこの話は苦手だ、グレイブたちが俺の血を引く子どもを望んでくれているのが分かるからだ。


 俺だって子どもが欲しくないわけではなし、あの女ラシャータほどではないとしても身ぎれいではないことは理解しているのだが、誘われても全くその気にならないのだから仕方がない。



「理解ある愛人に子を産ませられればいいのだが、相手が聖女である以上は無理だな」

「あの方が生きていらっしゃれ……申しわけありません」


 グレイブの言葉は聞かなかったことにする。

 それはフレマン侯爵家の没落以上に口にしてはいけないこの国の禁忌。



 この国はかつて一人の母親と三歳の幼子を殺している。

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