第2話 幽霊聖女、初めて屋敷の外に出る

 翌朝、レティーシャは馬のいななきと車輪の音で目を覚ました。


 窓から外を見れば空はまだ宵が明けたばかりの薄紫色。

 伯爵邸から出たことがないレティーシャは一般常識に疎い自覚があったが、それでも貴族家を訪ねるのには早すぎる時間だと分かった。


(ご当主様が心配なのでしょうね)


 アレックスは国王が王命をだすほど信頼している者。

 魔物と闘う術のないレティーシャは先の魔物の暴走を体を張って防いだアレックスに感謝しており、その恩返しとして出来ることをしようと誓っていた。


 レティーシャは昨夜ラシャータの侍女に渡されてたラシャータのワンピースに着替え、簡単に身支度を整えた。

 伯爵夫妻はこっそりラシャータを連れて、昨夜のうちに伯爵位を王より賜った初代スフィア伯爵の墓にアレックスの治癒祈願にいくという名目で王都を出て領地の奥にある山荘に向かっている。


(ご当主様が死んだら直ちに伯爵家に戻れと言われたけれど……助けることができたら、どうしたらいいのでしょう)


 ラシャータとして公爵夫人を務めるなどまずできない。


(それについては何も考えていらっしゃらないのでしょうね……皆様、行き当たりばったりを力づくで解決しようとする性格だから)


「ドモ、いる?」

『当たり前だろ、家守りの精霊である僕がここ以外どこに行くっていうのさ』


 暖炉の下から煤のように出てきた煙が固まって黒猫の形になった。

 ドモはレティーシャが一人になるのを心配した乳母が契約した精霊で、この小屋を悪意から守ってくれていた。


(それは有難いのですが、きちんと掃除してきれいに使わないと叱るのですよね)


「それでは、お嫁にいってきますね」

『おいおい、買い物みたいなノリで嫁にいくな。あと、ウィンスロープ公爵邸にそんな格好で行くのか?』


「大丈夫ですよ、ラシャータ様のワンピースだから私が偽物だとバレたりしません」

『……それを本気で言っているんだからな』


 ドモの言っている意味が分からずレティーシャは首を傾げる。


『まあ、いいや。言ったところで何にもならないし。それよりも昨日言ったけれど、ここはお前の家じゃなくなるから、僕との契約は終わりになる』


 レティーシャはドモと乳母がどんな契約をしたか仔細は知らない。


「すぐに戻ってくるかもしれませんが?」

『それでもそういう契約だ。精霊は契約を守らなくてはいけない』


 そう言われてしまうとレティーシャは何も言うことができなかった。


『貴重品はきちんと持っていけよ? まあ、あんなギラギラした伯爵邸が近くにあるこんなボロ小屋に好んで忍び込む盗人がいるとは思えないがな』


 ドモは口は悪いが甲斐甲斐しく世話をやく優しい精霊だ。


「ドモ、今までありがとうございました。ご縁があったらまた契約してください」

『そういう聞き分けのよいところが好きだぞ、じゃあな』


 そう言うとドモは消えた。

 涙を流す間もないあっさりした別れに、ドモらしいとレティーシャは笑った。


『さっさと行け、あまり待たせるのは失礼だ』


 最後の最後まで甲斐甲斐しい。



 ***



「は、初めまして、ラ、ラシャータ様。ウィンスロープ騎士団のレダと申します」

「よろしくお願いします、レダ卿。無理をいって騎士様を裏口で待たせてしまって申し訳ありません」


 レティーシャが謝罪するとレダの口がカパーッと開いた。


 少し間の抜けた表情だが、レティーシャはレダを美しい女性だと思った。

 ウィンスロープ騎士団にはこんな素敵な女性の騎士もいるらしい。


「ラシャータ様、ですよね?」

「はい。ラシャータ・フォン・スフィアと申します」


 本当ならここでカーテシーをするべきかもしれなかったが、できないのでレティーシャは笑顔で誤魔化すことにした。


「……とりあえず行きましょう。お荷物はそちらで……本当にそれだけですか?」

「はい」


 ラシャータのワンピースと一緒に届けられた中古の鞄には必要な荷物が入っている。

 ドモに言われた貴重品もしっかり入っている。


「……お持ちします」

「いえ、自分で持ちます」


 貴重品は肌身離さず。

 レティーシャは鞄を胸の前に抱えてギュッと握った。


「……そうですか。それでは出発します。馬車にお乗りください」


 レダの手を借りてレティーシャは馬車の前にあるステップを上り、三段あるうちの二段昇ったところで足が止まる。

 隣を見るとさっきまで頭一つ分大きかったレダの高く結ばれた髪がよく見えた。


「……怖いです」

「え!?」


「あの、馬車ってこんなに高いのですか? それともこの馬車が特別なのですか?」

「いや、別に、普通かと……ラシャータ様、その、お手を……」


 離れようとしたレダの手をレティーシャは命綱のようにぎゅっと握る。

 離してはいけない、離したらもっと怖くなるとレティーシャは思った。


「あの……」

「このまま手を繋いでいていただけませんか?」


「い、いえ、私は自分の馬に……」

「馬も一緒でいいですから馬車に乗ってください、お願いします」


 レダの手を両手でぎゅうっとレティーシャは力の限り握る。


「と、とりあえず最後まで昇って……「きゃああっ」……ラシャータ様、少し不作法をしますがお許しください」

「え?」


 レティーシャが首を傾げるとレダは大きく息を吸いこんだ。


「せんぱーい!!ちょっと助けてくださーーい!!」

「まあ、大きな声」

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