第8話 ずっとずっと…… その1
その薄暗さと静けさは海底のようだった。
信号すら消えた暗黒の町には動く者も音もない。
足元に落ちているいくつもの貝殻を踏まないように注意しながら、珪斗は珊瑚の後に続いて歩く。
廃団地の屋上で最後の――二十八箇所目のクラックを閉じた。
同時に世界は闇に覆われた。
その時にすべての生物も貝殻に姿を変えた――らしい。
珪斗は考える。
今、自分が無事なのは珊瑚とケーブルでつながっているからなのだろう、と。
進行方向には夜のスタジアムのように光が空に向かって広がっている一画がある。
確かあそこは――市役所?
いや、違う。
珪斗は気付く。
光っているのが市役所ではなく、そのとなりにある和岳原古墳であることに。
「虎目があたしに言った言葉は聞こえてたデス?」
珊瑚が不意に問い掛けた。
「うん」
珪斗は思い出す。
“十四秒後”――“砂漠で”――“クジラが”――“手袋を”――“育てた”。
それはどこか真珠が珊瑚に告げた言葉にも似ていた。
ということは?
ふとよぎった疑問を口にしてみる。
「あれもパスコード?」
珊瑚が前を見たまま歩きながらくすりと笑う。
「さすが珪斗デス。正解なのデス」
「でも、なんの?」
虎目によるとパスコードは“いつ”“どこで”“誰が”“なにを”“どうした”の組み合わせで生成されるという。
真珠のパスコードは珪斗の部屋から持ち出した妄想ノートを圧縮したものを“解凍”する鍵だった。
ならば虎目が珊瑚に告げたパスコードはなんの鍵だ?
そんなことを思う珪斗に珊瑚が答える。
「あれは……あたしの記憶を復元するパスコードなのデス」
「記憶?」
「そうなのデス。そのパスコードを聞くことでロックされてた記憶が復元されて……それですべてを理解したのデス」
そして、立ち止まり、ぐるりと身体をターンさせて周囲を見渡す。
「この町は禍々様の棲んでる世界と重なって存在しているのデス。なので大昔からつながらないように結界を張ってきた歴史があるのデス」
そんな話を知るわけもない珪斗がつぶやく。
「初耳だ」
珊瑚が歩き出す。
「でも、時間が経つと結界が経年脆化、つまり、崩れやすくなってくるのデス」
初めて聞く言葉だが何となく理解する。
小学生の頃、物干し台に放置されていた色あせた洗濯ばさみは、長い時間日光に晒されたことでこどもの力ですらも容易に割ることができた。
珊瑚が言う“経年脆化”もそんな感じなのだろう。
「そうなると一気に世界の境界をぶち破って禍々様が爆発的にこっちの世界へ飛びだしてくるのデス。すると、こっちの世界はもちろん壊滅するのデス。それを防ぐためには定期的に結界をリセット――再生する必要があるのデス」
珊瑚の口調はそれまで珪斗が聞いたものとは違って落ち着き払い、どこか厳かな響きすら感じられた。
適当な相づちすら許されないような空気に珪斗は黙って聞くしかない。
「そんな結界を構成しているのは禍々様のエネルギーなのデス。そして、新たな結界を張り直すにはこれまで珪斗が狙撃してきたのとは桁違いのエネルギーを持つ超巨大禍々様が必要なのデス」
そう言って、珊瑚は光が溢れているような古墳の方角に目をやる。
「なので、その超巨大禍々様からエネルギーを採取するために、一旦、こっちの世界へ超巨大禍々様の一部を露出させる必要があるのデス」
その目線と表情から、珪斗は古墳の方角にその超巨大禍々様が召喚されるらしいことを理解する。
「とはいえ、超巨大禍々様のエネルギーはすさまじいので、一部だけを露出させることは難しいのデス。そのために超巨大禍々様を召喚する前に禍々様たちのエネルギーを少しずつ消費させておく必要があるのデス。いわばガス抜きというヤツなのデス。わかるデス?」
珪斗は正直に答える。
「わ、わからない」
珊瑚は“えーと”とつぶやき、空を仰ぐ。
そして、改めて解説する。
「限界まで空気を張った風船を針でつつけば破裂するデス。でも、事前にあるていど空気を抜いておいた風船ならつついても破裂せずにしぼむだけなのデス。これはわかるデス?」
「わかる」
これなら珪斗でも容易にイメージできる。
「風船の中が禍々様の世界であり、風船に入っている空気が禍々様のエネルギーであり“針でつつく”というのが超巨大禍々様を召喚する行為なのデス。そこで“超巨大禍々様を閉じ込めた風船”を想像してほしいのデス」
「うん……思い浮かべた」
珪斗の思い浮かべた風船の中で巨大なタコが足をくねくねと躍らせている。
「なんの準備もせずに超巨大禍々様を召喚するというのは、超巨大禍々様を閉じ込めた風船に限界まで空気を張った状態で針を突き立てるという行為なのデス。その結果、風船は破裂して超巨大禍々様は一気に風船の外――つまり、こっちの世界へ飛び出してくることになるのデス」
珪斗は言われた通りのビジュアルをアニメのように脳内で再現する。
「うん。大変だ」
「でも、事前に風船の空気をあるていど抜いておけば、針でつついても破裂はせずにその針穴から超巨大禍々様の一部だけをこっちの世界に露出させることができるのデス」
珪斗の頭の中で、しぼんだ風船の表面に開いた穴からタコの足が覗いている。
なるほど、これで安全にエネルギーを採取できるわけか。
そのエネルギーで結界を張り直す、と。
そこまで納得した時、不意にある人物を連想した。
「もしかして、その“空気”を事前に抜いていたのって……」
珊瑚が珪斗に微笑む。
「そうなのデス。それが虎目――と彩美――の仕事だったのデス。あのふたりがこの一帯にある結界の薄い部分二十八箇所から少しずつ“空気”を抜いていたのデス」
ここでようやく珪斗は理解する。
「だから、虎目さんは僕たちを“敵対者”と呼びながら放置してきたんだ。だから、一度、開封したクラックを僕たちが閉じても問題なかったんだ。だから、僕たちの封緘作業が止まった時に様子を見に来たんだ。そして、僕と珊瑚が和解するように協力してくれたんだ」
珪斗はパズルが解けたこどものように興奮気味にひとりごちる。
「つまりはそういうことなのデス」
そう言って笑う珊瑚はどこか寂しげだった。
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