第2話 封緘(ふうかん)者とは閉じる者、開封者とは開く者 その6

 珪斗は資材置き場と道路を区画する黄色と黒のロープをくぐると立ち止まり、続く珊瑚がくぐりやすいようにロープを上に引っ張りあげる。

 格闘技番組で見たセコンドみたいだ――そんなことを思う珪斗に、ロープをくぐった珊瑚が声を掛ける。

「珪斗、今日はありがとうデス。あたしを選んでくれて」

 珊瑚は改めて珪斗の手を握り、きらきらとした表情で見上げる。

 そんな珊瑚に珪斗は“やはり眩しい”と目を逸らせる。

「あ、ああ。うん」

「あたし、がんばるデス。絶対、珪斗にイヤな思いとかつらい思いとかさせないデス。一生懸命やるデス。よろしくお願いしますデス」

 そもそも女の子から“よろしくお願いします”と言われたり、頭を下げられたりした経験がない珪斗は、どう答えていいのかわからずオウム返しで答える。

「こ、こちらこそ。お願いします」

「でも、どうしてあたしを選んでくれたのデス?」

 思わぬ珊瑚の問い掛けに、一瞬答えに迷う。

 そして、思いついたまま返す。

「そ、それは、珊瑚の魅力、か、な」

 その言葉に珊瑚は頬を染めて身体をくねらせる。

「そんな正直に答えられると照れるデスぅ」

 珪斗が答えに迷ったのは“虎目ではなく珊瑚を選んだ理由”を正直に答えづらかったからに他ならない。

 あの時、珪斗は珊瑚の頭越しに見えた貝殻によって、それを拾い上げた光景を思い出していた。

 正確には拾い上げるためにふわりとしゃがみこんだ瞬間に見えた珊瑚――のパンツを。


 今から四箇月前のこと。

 一学期最後の日に教室の大掃除が行われた。

 ひとりの女生徒が椅子に載って黒板上の掲示物を剥がしていた。

 その彼女が油断して晒したパンツに気付いたのは、近くで黒板横の掲示物を剥がしていた珪斗とランキング四位の上位ランカーである三井のふたりだけだった。

「おーい、パンツ見えてるぞー」

 いかにも上位ランカーらしく気安くさわやかに声を掛ける三井にその女生徒は言った。

「三井は見ていいけど、湖山は見るなよな」

「あ、ああ。ごめん」

 珪斗はおとなしく背を向けた。

 それだけ最下位ランカーの珪斗にとって“女子のパンツ”とは他の同級生と比べてもはるかに遠い存在だったのだ。


 そんなことを思い出していることを知るはずもない珊瑚は屈託ない笑顔を向ける。

「じゃあまた明日にでも新しいクラックがわかったら連絡するデス」

 我に帰った珪斗は右手を上げる。

「ああ、お疲れさん」

 手を上げたのはあいさつのつもりだったが、珊瑚はその場で飛び跳ねて自身の手のひらをぱちんと合わせる。

 もちろん珪斗にとって生まれて初めての“女子とのハイタッチ”である。

「じゃ、ひとまずバイバイなのデス」

 珊瑚の姿が消えた。

 一瞬“どこへ行った?”と思った珪斗だが、すぐにプレートの存在を思い出す。

「ここ?」

 つぶやいてポケットから取り出したプレートの表面で珊瑚が手を振り、カーテンを閉じた。


 珪斗にはこれまでずっと家で書き続けてきたノートがある。

 その名も“怨嗟ノート”。

 その名の通り、同級生に対する怨嗟を絵と文で書き綴ったノートである。

 日没間近の住宅街を家に向かって歩きながら珪斗は思う。


 怨嗟ノートは、とりあえず今日で最終回にしよう。

 そして、明日からは新しいノートにしよう。

 “同級生への怨嗟”に代わる新たなテーマはもちろん“珊瑚に対する妄想”である。


 そんなどうしようもないことを考える珪斗は、資材置き場からずっと後をついてきている女生徒の存在に気付いていなかった。

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