珊瑚と僕――傷だらけ思春期物語――

百年無色

第1話 珪斗と管郎 その1

 誰が決めたのか知らないが、湖山珪斗こやまけいとのクラス内公式ランキングは全三十二人中三十二位――すなわち最下位であった。


 その日、最後の授業が始まってすぐのことだった。

 珪斗は机の中から取り出したべこべこに変形したペンケースに入っているはずのシャーペンがないことに気付いた。

 “どうせ誰かのイヤガラセに決まっている、ならばジタバタするのも癪だよな”と平静を装い、ノートを取る振りをしながら授業をやり過ごすことにする。

 珪斗自身はあんまり真面目に授業を受けるタイプではないのだ、困ったことに。

 あっという間に授業は進み、終了五分前になったその時、となりの志田が舌打ちを漏らした。

 とりあえず無視していると、珪斗の足元になにかが転がってきた。

 それは珪斗のペンケースから消えたシャーペンだった。

 座ったままでイスをずらし、上体をかがめて手を伸ばす。

 手に取ると同時に志田がにやにやとささやいた。

「悪ぃな。それ、オレんだ」

 珪斗は手の中のシャーペンを見る。

 一部がちぎれたゴムグリップは使い慣れた自分のシャーペンにまちがいない。

 しかし、志田が畳みかける。

「ちがうって言いたいなら証拠出せよ。あ?」

 言いながら珪斗の手からシャーペンをひったくる。

 珪斗が反論しているわけでもないのに投げてきた“ちがうって言いたいなら証拠出せよ”という言葉が、このシャーペンが珪斗のものであることを語っている。

 ああ、やっぱりこいつだったか――珪斗は思う。

 せっかくのイヤガラセ行為に対してちっとも慌てず騒がない珪斗の様子が面白くないゆえに、わざわざ足元に転がしたのだろう。

 そうやって慌てず騒がない性格になったのは、飽きるほど連日にわたってイヤガラセを続けてきた志田自身のせいなのだが。

「そこ、聞いてるのか」

 不意に飛んできた教師の声に珪斗と志田は同時に目を向ける。

 歩み寄って来た教師がまず目を落としたのは珪斗の机上に広げた白紙のノート。

「なにやってんだ。やる気あるのか」

 丸めた教科書で珪斗の頭を叩く。

 すぱーんと爽快な音がして教室中が爆笑する。

 少し前までの珪斗なら、動転して紅潮する自身の頬を感じながらなにも考えられなくなったところだろうが、これも慣れてしまえばなんということはない。

 ふと上げた視界では自分より前の席に座っている生徒たちがそれぞれ顔を向け、あるいは上体をひねって珪斗を見ている、笑っている。

 そんな中――周囲の喧噪から切り取られたようにじっと黒板を見ている最前列の女生徒がいる。

 普段からあらゆるものごとに対して無関心・無感情・無表情なことで知られているクラスで唯一の眼鏡女子、上浜瑞乃かみはまみずの

 日頃は珪斗の存在を黙殺しておきながら、失敗したり怒られたりした時だけ関心を示す他の連中よりも、いかなる状況下でも無関心を貫く彼女はたいしたものだ――今の珪斗にはそんなことを考える余裕まであった。

 ……それがいいことか悪いことかはわからないが。

 授業の終了を告げるチャイムが鳴った。

 しかし、教師は機嫌がよろしくなかったらしく、珪斗の側頭部を丸めた教科書でぐりぐりと突っつきながら言う。

「オマエによって授業が中断された。真面目に聞いてる者に申し訳ないと思わないのか?」

「は?」

 珪斗がその意味を理解するよりも早く声を荒らげる。

「立て。そして、みんなと私に謝れっ」

 そして、教室を見渡す。

「それができるまで、この授業は終わらんっ」

 ここ、和岳高校の日課は一日の最終である六時間目が終わればそのまま終礼となる。

 すなわち“この授業が終わらない”ということは“この教室に拘束され続けること”に他ならない。

 一斉に教室中から珪斗に罵声が飛ぶ。

 それまで嘲笑わらっていた全員が鬼の形相でぶち切れている。

「いい加減にしろよこのバカ」

「早くグランドに行かないと二年生に殺されるだろ」

 一気に殺伐とする教室だが、そんな中でも瑞乃だけは相変わらず珪斗に背を向けたまま正面の黒板を眺めている。

 今の教室で騒いでないのは彼女と僕だけだろう、彼女はどんな表情をしているのだろう――ああ、そんなことを考えている場合じゃなかった。

 我に帰った珪斗はずずーとイスを鳴らしながら立ち上がり、教師へと頭を下げた。

「申し訳ありませんでした」

 続けて四方を見渡しそれぞれの方向に頭を下げる。

 罵声が嘲笑に戻った。

「それでいいんだ、うん」

 教師は満足げに教卓に帰っていく。

 その背をぼんやりと見送る珪斗に志田がつぶやいた。

「ばーか」

 ちなみに志田のクラス内公式ランキングは堂々の二位。

 勉強は人並みだが運動能力に秀でた推薦入学生であり、同性の友人も多く、さらに女子人気も高い。

 なんでこんなヤツがと思う珪斗だが、実際にそうなのだからしょうがない。

 “自分にとってイヤなヤツ”が“他の連中から見てもイヤなヤツとは限らない”のが世の常なのである。

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