なずなは大胆である
「かのちゃん、会いたかったよ〜」
玄関ドアを開けるやいなや、黄色いワンピースを着たなずなが、私に飛び掛かるようにして抱きついてきた。
憂鬱な気分を一瞬で吹き飛ばす、幸福な感触。
「……なずなちゃんって帰国子女なの?」
「え? どうして? 違うけど」
「でも、こうやってすぐハグしてくるじゃん?」
「それはかのちゃんのことが好きだからだよ」
「好き」という言葉に、ぴょんと心臓が飛び跳ねる。
「私、誰彼構わず抱きついてるわけじゃないからね?」
可愛過ぎる。
仮に私が男だったら、勘違いして、このままなずなを布団に押し倒してしまうのかもしれない。
もっとも、なずながこのように気軽にハグしてくるのは、私が女だからに他ならない。
私が同性だから、なずなは警戒を解いているのだ。
なずなは大胆である。
玄関口での突然のハグもそうであるが、それだけではない。
そもそも、ファンの家に気軽にやってきてしまうことが、大胆極まりない。
昨日の配信で、シオンは「明日の朝、家行っても良い?」と、私に訊いてきた。
私は「良いよ〜」と返した。
第三者が見れば、このやりとりは、アイドルとファンとの間の、冗談の言い合いだろう。「愛してる」「オレもー」的な他愛もないコミュニケーションだ。
シオンは、実体のないVRアイドルなので、尚更である。
しかし、シオンの中の人であるなずなは、私の家がどこにあるかを知っている。
ゆえに、私は、半分はさすがに来ないだろうと思いつつも、残り半分でなずなが家に来ることを覚悟して、朝から張り切ってメイクをしていたのである。
結果、なずなは、午前十時ちょうどに私の家のチャイムを鳴らした。
昨日の配信の直後、莉亜は、私を、「この推されめ〜」と言って揶揄ったが、推しがわざわざ家を訪れてくるだなんて、「推され」であることは否めないかもしれない。
部屋にはすでに座布団が二つ敷いてある。
私は、昨日莉亜が座っていた座布団へと、なずなに案内する。
「かのちゃん、この前は巻き込んじゃってごめんね」
なずなが謝ったのは、ヒナノの中の人である皐月の件である。
私は、なずなに付き添いをお願いされて、中野にある皐月の家に行った。
私たちは、皐月を救うために、ベランダの窓を割り、皐月の部屋に入ったものの、時すでに遅しであった。
皐月は、カッターナイフで自らの手首を激しく傷付けてしまい、出血多量で絶命していたのである。
「かのちゃん、大丈夫だった?」
「うーん、まあ……」
「フラッシュバックとかしない?」
しない――と言えば嘘になる。
浴槽で倒れていた皐月の姿は脳裏に焼き付いている。
別のことを考えようとしても、ふとした拍子に、皐月の眠ったような死に顔が頭に浮かぶ。
とはいえ、それはなずなも同様だろう。
皐月の死体を目撃したなずなは、その場で嘔吐した。
そして、泣きじゃくりながら、すぐにお風呂場を離れたのである。
現在気丈でいられていることが不思議なくらいに、あの時のなずなは激しく取り乱していたのである。
「なずなちゃん、私は大丈夫だから」
「でも、ライブにも配信にも来なかったよね?」
「……まあ、それは、その、私はお豆腐メンタルで……」
「全然大丈夫じゃないじゃん」
側から見れば、重症の部類に入るのかもしれない。
アイラッシュのライブや配信もそうだし、大学も、一週間以上行けていない。
とはいえ、なずなの方が絶対に辛いはずなのだ。
それにも関わらず、なずなは、ライブや配信といった仕事を日々こなしている。
そのなずなの前で私が弱音を吐くわけにはいかないと思う。
「警察は? 警察には何か変なこと言われなかった?」
「……大丈夫」
なずなの通報によって、皐月の家に警察が臨場した。
そして、警察は、翌日、第一発見者である私となずなを中野警察署に呼び出し、取り調べを行った。
「事件性はないだろう」と、私を担当した取調官は言っていた。
その取調官の話によれば、皐月の死亡推定時刻は深夜三時頃。
ちょうど、私となずなが床についたタイミングである。
皐月は、自ら睡眠薬を飲んだ上で、風呂場に行き、リストカットをしたのだという。
痛みを和らげて確実に死ぬために、このような手段をとる自殺者は多いとのことだ。
そして、皐月の部屋からは、死亡推定時刻より前の一定時間、継続して悲鳴のような声が聞こえていた、と近隣住民が証言しているらしい。
そのことを裏付けるように、皐月の手首に新たに加わった傷はいくつもあり、そのうちのいくつかは、致命傷とならない、いわゆる「ためらい傷」だったとのことだ。
そして、何より、皐月の部屋は密室だった。
これは私となずなが誰よりも知っていることであるが、ドアにはチェーンロックが掛かっており、ベランダの窓には鍵が掛かっていた。
他の窓は全てはめ殺しだという。
私となずなからの聴取も経て、警察は、皐月の死を、自殺であると結論付けた。
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