緑の林檎

 ピンポーン――


 午後四時過ぎ。


 私の部屋にインターホンの音が鳴り響く。


 気持ちとしては、このまま布団に横になっていたかったが、無視するわけにはいかなかった。


 私は、ここ5日間、家から一歩も出ていない。そのため、ネット通販で食料品を調達していたのである。



 布団から起き上がった私は、モニターで訪問者を確認する。


……え?



「シオン……」


 モニターに映っていたのは、色白の3DCG美少女である。



 VRアイドルが私の部屋に訪問しに来た――はずはない。


 簡単なカラクリである。

 それはシオン本人ではなく、シオンの姿が描かれた団扇なのである。



「……莉亜、何の用?」


「……バレたか」


 インターホンのカメラを覆っていた団扇が下げられ、莉亜の顔がモニターに映される。

 少し釣り気味の目を大きく見開き、ベーッと舌を出している。まるで猫みたいだ。



「シオンが突然家にやってきたら、果乃が喜ぶと思ったんだけど」


「そんなサプライズ要らない」


 実際に、つい数日前に似たような体験をしたばかりだ。シオン本人ではなく、シオンの中の人……同じか。


 それは私をこの上なく喜ばせたのだが、その後――



「とにかく、果乃、部屋に上げて! 林檎を買ってきたからさ」


「林檎って、まるで病人扱い……」


 まあ、似たようなものか。



 莉亜が買ってきた林檎は、緑色のものだった。


 その理由はあえて訊くまでもないと思っていたが、莉亜の方から「私、ミマ推し意識高過ぎてヤバくない?」と、部屋に入って早々アピールしてきた。


 緑は、莉亜の推しメンであるミマのイメージカラーである。

 なお、莉亜は、髪の毛にも緑のインナーカラーを入れている。


 莉亜を部屋に迎え入れると、私はまた布団に横になる。



「うへえ、何このインスタントラーメンの山」


 莉亜の猫目が、キッチンに積まれていた私の「食料」を捉える。




「果乃、ちゃんと食べてるの?」


「大丈夫」


「栄養ある物仕送りしようか?」


「やめてよ。実家の母親じゃあるまいし」



 「まったくもう。お母さん、毎日来ちゃおうかしら」とか、そんな冗談を言いながら、莉亜は、私のエプロンを勝手に着用し始める。


 地雷系ファッションに目をつぶれば、本当の母親みたいだ。



「果乃、どうしたの? 最近姿を見なかったけど」


 包丁でクルクルと器用に林檎の皮を剥きながら、莉亜が、案の定尋ねてくる。



「ちょっと体調が悪くて」


「そうは見えないけど」


 莉亜は、林檎に集中しながらも、私の嘘を鋭く見破る。



「ちょっと病んでて……」


「シオンと何かあったの?」


 ファンが病む、といえば、推しと何かがあった、ということになるだろう。


 莉亜の言うところの「最近私の姿を見ない」というのは、「アイラッシュのライブや配信に来ない」という趣旨なのだから、当然、莉亜は、シオン関係でのトラブルを疑う。



「シオンとは別に何もないよ」


 仮に嘘発見器が装着されていたら、どのように反応しただろうか。

 少なくとも私の認識では、半分嘘で、半分本当だ。


 シオンと仲違いをしたわけではない。


 しかし、私の気を病ませた出来事は、シオンの中の人であるなずなとの出会いに起因していた。



「シオンが果乃のことを心配してたよ」


「え!?」


「はい。林檎」


 莉亜が、丁寧に角が取られた林檎を、私の枕元に置く。


 もはや病人のフリをしている場合ではないと思い、私は慌てて起き上がり、そそくさと布団を片付け始める。



「莉亜、それって配信?」


「何の話?」


「さっき言ってたじゃん。シオンが私のことを心配してたって」


「ああ。そうそう。ラジオ配信」


 アイラッシュのメンバーは、通常のアイドルのように、個々にSNSを行なっており、おそらく通常のアイドル以上に、配信に力を入れている。


 「顔出し」配信をすることもあるが、大抵は、「顔出し」は無しのラジオ配信である。


 ここは通常のアイドルとは違うところだが、VRアイドルが「顔出し」配信をするためには、機材が揃った事務所に行かなければならず、実物アイドルのように、簡単なメイクをした上で自分の部屋から配信、というわけにもいかない。


 他方、ラジオ配信であれば、シオンの場合にはボイスチェンジャーさえ使えば、いつでもどこでもできるわけだ。



 皐月の部屋で衝撃の光景を目の当たりにして以降、私は、意識的にアイラッシュを避けていた。


 この間、シオンがラジオ配信をしていることは、スマホに通知が来るため、気付いていた。


 しかし、「病んでいた」私は、あえて通知を無視していたのである。


 他方で、莉亜は、推しでもないシオンのラジオ配信を聴いていたということだろう。



「シオン、なんだか元気なさそうだったよ」


 それはそうだろう。なずなも、私同様、皐月の死体の第一発見者となってしまったのだから。


 皐月との関係性の深さを考えれば、当然、私よりも激しいショックを受けているはずである。


 実際に、死体を目の当たりにした時のなずなの取り乱しようは尋常ではなかった。



「私のことを心配してた、ってどういうこと?」


「だいぶ気にするねえ」


 それはそうである。


 結局、なずなとは連絡先を交換しなかった。その一線は越えてはならない気がしたのだ。


 皐月の件があって、果たしてなずなは私のことをどう思っているのだろうか。



 今まではそれを知るのが怖かった。


 しかし、莉亜の言うとおり「心配していた」のだとすると、少なくとも、私のことを不吉な「疫病神」と思い、金輪際避けたい、と思っているわけではないらしい。



 ならば、なずなの考えを聞いてみたいと思う。


 布団の代わりに二つ敷いた座布団のうちの一つに私が、もう一つに莉亜がちょこんと座る。



「私、シオンに『最近、かのを見ないね』ってコメントしたの」


 今のご時世、アイドルの配信は基本的にら双方向である。


 ファンが打った文章のコメントに対して、アイドルがその全て、もしくは一部を拾って、話を組み立てていくのだ。VRアイドルの配信も例外ではない。



「それでシオンは、莉亜のコメントに、どう返したの?」


「それはね――」


 ピコン――



 ちょうど良いところで莉亜の発言を遮ったのは、スマホの着信音である。


 莉亜がそれを無視できなかったのは、莉亜のスマホと私のスマホが同時に鳴ったからだ。


 すなわち、それはアイラッシュ関係の通知、ということになる。



 莉亜とほぼ同時にスマホの画面を見た私はハッとする。


 その様子を見て、莉亜はニヤリと笑う。



「ナイスタイミングだね。果乃、本人の口から聞けるチャンスだよ」


 スマホに表示された通知は、シオンのラジオ配信が始まったことを知らせるものだった。

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