Side 佐々木夏菜子:愛のとても重い後輩

 10年前。日本にダンジョンが出現したとき。


 あたしは――佐々木夏菜子は、普通の女子中学生だった。

 東京の裕福な家に生まれて、両親も優しくて、毎日、友達と楽しく過ごして……。


 でも、ダンジョンがあたしの生活を変えてしまった。

 あふれるモンスターの出現で、首都東京は崩壊。大勢の人が死んだ。橋川――当時は清野進一さんと初めて会ったのも、そのときのことだ。


 最初のダンジョン出現のとき、あたしは学校から友達と一緒に帰るところだった。


 突然、あたしの目の前にゴブリンたちが現れて……。目の前で友達が凌辱されるところを見てしまった。「夏菜子! 助けて!」と叫ぶ彼女は、やがてぐったりとして動かなくなった。


 ゴブリンたちがあたしに目を向ける。次はあたしの番だ。

 逃げなきゃ……。でも、恐怖で足がすくんで動けない。

 

 そのままだったら、あたしもゴブリンに辱められて死んでいたと思う。

 でも、そうはならなかった。


「大丈夫か!?」


 制服姿の男の子が大きな警棒でゴブリンを殴り、あたしを助けてくれたからだ。彼はあたしよりも少し年上。高校生ぐらいだけど、とてもかっこよくて大人びていた。


 彼はあたしの手をつかむと、「行こう」と言って、あたしたちは一緒に走って逃げた。

 そして、警察の守る安全なエリアまで連れて行ってくれた。


「あの……本当にありがとうございました。なんとお礼を言ったら良いか……」


 彼は優しく微笑み、そして首を横に振った。


「いや、当然のことをしただけだ。それに……友達を助けられなくて、ごめん」


 責任感の強い人だなと思う。この人のせいじゃないのに。

 あたしは自分が生き延びるのに必死で、友達のことをすっかり忘れていた自分が恥ずかしくなる。


 死んでしまった友達の遺体を、あたしは置いてきてしまった。


「ごめん穂波……」


 あたしは友達の名前をつぶやく。そして、死にそうになった恐怖がどっと押し寄せてきて、あたしはわんわんと泣き出してしまった。

 困惑する彼は、そっと優しくあたしの髪を撫でてくれる。反射的に、あたしは彼にしがみついた。


 泣き疲れて、あたしは眠ってしまったのだと思う。気づくと、警察官の若い女性があたしを保護していた。


 助けてくれた男の子は、どこにもいない。


「あ、あの。あたしを助けてくれた男の子は……?」


 彼は警察にあたしの保護を頼むと、いなくなってしまったのだと思う。

 名前、知りたかったのに……。もう二度と会えないかと思って、あたしは自分の愚かさを呪った。

 

 その後、首都は名古屋に移転し、正式名称は「第一新名古屋市」に改称。あたしも両親とともに新都へと引っ越した。


 新しい学校にあたしは馴染めなかったし、東京から逃げてきた人間たちは差別されることも多かった。 


 そんなとき、あるダンジョン配信者グループをあたしは動画投稿サイトで見た。「聖杯の翼」。日本最強の冒険者パーティの一つだった。

 メンバーは全員、大学生か高校生だった。攻撃役の新島春人、盾役の北宮葵、黒魔道士の橋川愛華、そして白魔道士の清野進一。


「えっ……」


 間違いない。この清野進一という人が、あたしをあのとき助けてくれた人だ! あたしは夢中で動画を見た。


 彼らはどんなモンスターに遭遇しても、負けることはなかった。ダンジョンの下層どころか、深層までも攻略。

 四人の息はぴったりで、リーダーの進一さんの指示はいつも的確だった。


 進一さんは、あたしにとってのヒーローになった。毎日のようにあたしは進一さんのダンジョン配信を見て、それがあたしのつまらない生活の中で唯一の救いだったと思う。


<進一さん! 頑張って!>


<すごい! 進一さん!>


<あたし、進一さんに憧れているんです>


 あたしはそんなコメントをいつも送っていた。


 いつか彼らみたいな冒険者にあたしもなりたい。今度は友達を死なせたりはしない。あたしも進一さんみたいに仲間と戦える強い冒険者になるんだ……!

 そして、いつか進一さんと再び会いたい。会って、あのときのお礼をして……。


 好きだと伝えたら、迷惑かな……?

 一度しか会ったことがないのに、あたしは進一さんのことが忘れられなくて、好きになってしまっていた。 


 いわゆるガチ恋勢だったのだ。

 だって、毎日のようにダンジョンでの活躍を見ちゃって、かっこいいところもたくさん知って……好きにならない方がおかしいと思う。こんなこと、周りに言うと、ドン引きされたかもしれないけれど、当時のあたしは進一さんのことばかり考えていた。


 ううん、それは今もそう。


 数年後、メンバーの橋川愛華さんがダンジョンで殺されたことで、「聖杯の翼」は解散した。そのときのあたしの絶望は、推しのアイドルグループが解散したよりも、もっと深刻だったと思う。


 進一さんはあたしの理想で、憧れだった。なのに、もう姿を見ることもできないの?

 そう思うと、居ても立っても居られなくなった。女子高生のあたしは冒険者としての活動を始めた。


 そうすれば、またどこかで進一さんと会えるかもしれないから。配信は辞めても冒険者は続けていても、おかしくない。

 

 そうしたら、数年後に本当に会うことができた! ダンジョンでばったり見かけて、でもすぐに話しかける勇気はなかった。


 進一さんは、清野から橋川に名字が変わっていたみたいだ。その名前で色々調べて、進一さんの勤めているダンジョン探索法人を突き止める。そして、女子大生になっていたあたしはその法人への就職を決めた。ストーカーじゃないよね……?

 しかも、運がいいことに、進一さんと同じ部署の隣の席!


 これって運命なんじゃないかな……! 進一さんと一緒に仕事ができて、いろいろ教えてもらって、あたしは毎日が幸せだった。先輩はあたしのことを忘れていたみたいで残念だけど、一度しか会ったことがないんだから、仕方ない。


 もう少ししたら、告白しよう。自分で言うのも変だけれど、あたし、可愛いし。先輩もあたしのことを悪くは思っていなさそうだった。勝算はあると思っていた。


 でも、告白はできなくなった。


 仲間の愛華さんの死で、先輩はとても心が傷ついていた。

 昔、進一さんは愛華さんと婚約者だったらしい。そして「今は誰とも付き合うつもりはない」と言っているのも聞いてしまった。

 トラウマのせいで、冒険者としてソロでしか戦うことができないし、そのせいでランクもDランクまで下がっていた。


 ショックだけれど、先輩が傷ついているなら、あたしは先輩の力になりたい。彼を癒やしてあげたい。

 かつてあたしは先輩に助けられた。今度はあたしが先輩を助ける番だ。ゆっくりと外堀を埋めていって、あたしの愛を先輩に受け入れてもらおう。


 進一さんが女子高生を教えるのを断ったと聞いたときも、あたしは「もったいなーい!」なんて言いつつも、内心ではほっとしていた。

 男の人って、JKとか大好きだし。進一さんを取られたくなかったのだ。


 けれど、業務命令で進一さんは実菜ちゃんたちの師匠となってしまった。あたしは慌てて、アシスタントに手を上げた。


 どう見ても、この実菜って子、先輩のことが好きだし……。ずっと年下でも、恋敵は恋敵だ。

 見張っていないと……。


 そんなことを考えていたら、ダンジョンで迷惑系配信者の徳田と遭遇して、あたしたちは危機に陥った。


 先輩が一人で彼らと戦うと聞いたとき、あたしはとても怖かった。先輩が怪我したら、先輩が死んでしまったらと思うと、本当に怖かったんだ。

 

 あたしは一緒に徳田たちと戦いたかった。それが無理でも、あたしを守るために、先輩が無理することなんてない。


 先輩を守るためなら、あたしの身体ぐらい、徳田に差し出してもいいと思った。先輩が死んでしまうことに比べたら、あたしの処女なんてどうでもいい。

 実際、もし先輩がいなかったら、あたしも実菜ちゃんも、徳田の毒牙にかかっていたと思う。


 でも、先輩は徳田たちを瞬殺してしまった。


「すごい……!」


 やっぱり、先輩は本当に強い。「聖杯の翼」にいた頃よりもはるかに強くなっている。いったい、この人はどこまで強くなるんだろう……?


 職場に戻ってきた後、あたしはインターネット掲示板を開く。サボっているのではなくて、これも仕事の一環。


――インターネット掲示板・24ちゃんねる

【謎の冒険者・橋川についてpart.897】


911:名無しの愉悦

徳田ざまぁwwwww


912:名無しの愉悦

橋川いいぞもっとやれ!


913:名無しの愉悦

聖杯の翼復活か?


914:名無しの愉悦

>>913

そういや他のメンバーどうしているんだろうな


914:名無しの愉悦

次は深層で配信してくれよ


915:名無しの愉悦

実菜ちゃんも夏菜子ちゃんも可愛くて羨ましいぞ橋川



 あたしはパソコンを閉じる。

 先輩、大人気だ。みんなが先輩の活躍に期待している。

 

 掲示板にはあたしの名前もあった。いまのあたしは先輩と同じ世界にいる。あの憧れの進一さんと同じチャンネルで配信している!


 夢みたいだ……。


 あたしは進一さんのことが好き。

 それはずっと変わらない。この先も後輩として、で、できるなら、恋人として、先輩のそばにいたいと思う。


 隣の席にいる先輩の横顔を、あたしはじっと見つめる。自然と頬が熱くなるのを感じる。

 先輩があたしの視線に気づいたのか、こちらを振り向く。


「どうした?」


「いえ、何でもありません♪ ただ、やっぱり、先輩はあたしのヒーローだなって思ったんです」


 あたしはそうつぶやいて、ふふっと笑った。

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