二度目の

「本当に申し訳ありませんでした……てっきりおにいが結菜ちゃんを無理矢理──」


「うん。皆まで言わなくてもよろしい。許すから」


 俺が顔面を蹴られたあと、必死に今の状況を澄香に説明した。その結果、結菜が泣いてた理由に納得してくれた。

 俺が許すと、土下座をしていた澄香が頭を上げた。俺と結菜が座っている前に、澄香が正座をしている状況だ。


「一瞬、何が起こったのか分からなかったわ」


 お陰様でまだ右の頬がジンジンと痛む。陸上部の蹴りはすさまじい。


「でも勘違いしちゃうよね〜。クリスマスに男の子の家で泣いてるんだから」


 さっきまで泣いていたので目元は赤いが、結菜の瞳からはもう涙は流れていない。澄香の蹴りに驚いて涙が引いてしまったらしい。


「ほんとだよ。おにいの部屋に入ったら結菜ちゃんが泣いてるんだもん。二人で抱き合ってるし」


「よしよしって慰めてもらってました〜」


「そう考えるとおにいにはすごく悪いことしたな……何も悪いことしてないのに」


「まあいいって。澄香から蹴りを入れられる経験なんてこの先無さそうだし。貴重な経験をしたってことにしておくよ」


 澄香に蹴られたのなんて、生まれて初めての経験だもんな。妹に蹴られるってあんな気持ちになるんだなぁ……。


「でも結菜ちゃんが引越しちゃうのは知らなかったな。おにい、そんな話一回もしてくれないし」


「うっ……そ、それは……まだ話さなくてもいいかと思ってな……」


 嘘だ。結菜が引っ越してしまうと口にすると、それが本当に現実になってしまう気がしたから言えなかったんだ。


「話して欲しかったよ〜。アタシも結菜ちゃんとは仲良しだし、ゲームセンターとかお祭りで色々なもの貰ったから」


「私たち仲良しだよね〜」


「うん! 仲良し!」


 結菜と澄香は嬉しそうに視線を交わしている。

 そっか。そうだよな。俺と結菜が仲良いように、澄香も彼女と仲がいいんだ。それに澄香の言っていた通り、結菜に色々なものを買ってもらっていたらしいからな。結菜には世話になったのだろう。


「そうだな……澄香にもきちんと話しておくべきだった」


「そうだよー。おかげで今すごく驚いてるもん」


「悪かった」


 俺が頭を下げると、澄香は「別に怒ってないよ」と言ってくれた。俺が顔を上げると、どうしてか結菜に頭を撫でられてしまった。


「結菜ちゃん。本当に引っ越しちゃうの?」


「うん。引っ越すよ〜。来年の二月だけどね」


「来年の二月ってもうすぐじゃん。今日はクリスマスだよ? あと二ヶ月くらいしかないよ」


「そうだねぇ。あっという間だ」


「うぅ……結菜ちゃんが居なくなるの嫌だよ……」


 澄香も結菜が居なくなるのは悲しいと思っているのか、彼女の目が少しだけ潤んだ。


「あはは〜。もう。兄妹して泣き虫だな〜。まあ私も泣いたけどね」


 結菜はそう言うと、澄香のことをそっと抱きしめた。すると澄香の瞳から涙が流れ出す。「ひっ、ひっ」と声をしゃくり上げる澄香の頭を、結菜がポンポンと撫でている。


「澄香ちゃんもごめんね。いきなり居なくなっちゃって。もっと澄香ちゃんのお姉さんで居たかったなぁ」


 結菜のその一言が琴線に触れたのか、澄香はついに「うわーん」と声を上げて泣き始めてしまった。


「あらら、お兄ちゃんに似て大きな赤ちゃんだなぁ」


 結菜はどこか嬉しそうに、澄香の頭を撫でてやっている。


「どこがお兄ちゃんに似てなんだよ」


 俺がそう口にすると、結菜は愉快そうにケタケタと笑った。

 どうやら結菜の涙は完全に治まったらしい。あとは我が妹が泣き止むのを待つだけだな。


「うわああああん。結菜ちゃんが居なくなっちゃうよおおおお」


 中学生なのに大泣きをする澄香を前に、俺と結菜は互いに顔を合わせて微笑んだ。


 ☆


 澄香は十分ほど泣き続けたあと、ようやく涙が引いたようだ。

 それから澄香は思い出したかのように、友達とのクリスマスパーティーへと出掛けてしまった。澄香は忘れた財布を取りに、一旦家に帰って来たらしい。


「いやあ。とんだクリスマスパーティーになっちゃったね」


 家でテレビゲームを楽しんだのち、クリスマスパーティーはお開きとなった。

 その後、俺と結菜は二人でラーメンを食べに行った。そのあと店を出ると自然と帰る流れになり、今は結菜を駅まで送っているところだ。


「なんだかしんみりしちゃったな」


「ごめんねぇ。私が泣くの我慢出来なかったから」


「あー、いや。結菜のせいとかじゃないんだ。でもどうしても、こうやって二人で居られるのはあとちょっとなんだなって思っちゃうよな」


「うん。そうだね〜」


 結菜は静かに頷いた。それをきっかけに、俺たちの間には沈黙が訪れる。

 いつもならば気にならない沈黙も、今だけは居心地が悪かった。


「結菜」「ねえ琉貴」


 二人の声が重なる。それがなんだか照れくさくて、耳が熱くなった。


「あ、えっと……琉貴からどうぞ……」


「いやいや、結菜からどうぞ」


「そんなこと言わないでさ、琉貴からいいよ」


「俺はいいよ。ただ呼んだだけだし」


「むぅ……なにそれ〜」


「結菜はなんの用だったんだよ」


「私も呼んだだけだけど」


 お互いに名前を呼んだだけだった。それだけのことなのに、胸の内側がカーッと熱を帯びる。

 照れくさくて鼻をかこうとすると、結菜が突然ポカポカと肩を叩いて来た。


「もう! なんか恥ずかしい!」


「恥ずかしいからって俺を殴るなよ」


「だって恥ずかしいんだもん」


「分かるけどさ」


 フグのように頬をパンパンに膨らませて、結菜はこちらを軽く睨む。結菜のこの表情も好きなんだよなあと思いながら、俺は彼女の頭を優しく撫でてやる。そして二人で吹き出すようにして笑い出す。


「なにこれ〜。おかしい〜」


「ほんとだよ。泣きすぎてテンションおかしくなってるんじゃないか?」


「私が悪いって言うの〜?」


「ははは。お互いさまだな」


 街灯だけが辺りを照らし出す夜道に、俺と結菜の笑い声が響く。駅から少し離れた場所だからか、辺りには俺たちしか人の姿がないようだ。

 完全に二人きりの空間で、互いの目が合う。


「ねえ琉貴。ちゅーしよっか」


 突然結菜がそんなことを口にした。

 いつもの俺だったら動揺していただろうけど、なんとなくそういう雰囲気だったのは肌で感じていた。


「ああ。しようか」


 だから俺はすんなりと、彼女の要求を受け入れることが出来た。

 一応周囲を確認してから、結菜の肩を掴む。俺は少しだけ腰を屈め、結菜の唇に吸い寄せられるようにして……二度目のキスをした。


 この時間が永遠と続けばいいのに。きっとそう考えたのは、俺だけじゃないだろう。

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