気づいた時にはもう遅い

田川侑

気づいた時にはもう遅い

 いつもより早く仕事が終わったため、俺は帰りに最近行きつけの喫茶店に来ていた。

 いかにも老舗という感じの外観とウッド調の落ち着く空間を演出した店内に、やたらダンディーな店主の淹れる珈琲が絶品で、店の場所は入り組んだ路地にあるため人目にはつかず、ネットで詮索をかけても全くヒットしないため知る人ぞ知るまさに隠れた名店だ。

 自宅のアパートからも近く来店する客が少ないのもあって、ゆったりと珈琲を嗜めるのもこの店の良さの一つだ。

 少々客足が少ないのは心配だったが、店主曰く「世代交代してから三十年以上は続いているから大丈夫だ」と自信ありげに言っていたので、すぐ店じまいになる心配はなさそうだ。


「コーヒーを一つ。ブラックで」


 カウンター席に座り、早々と注文をする。

 俺の言葉に店主は頷く素振りを見せると、慣れた手つきで作業を始めた。

 出来上がるまでの間、いつもならスマホをいじって静かに時間を潰すのだが、今日はそれが無理かもしれない。


 その原因は二つある。

 俺の後方のテーブル席に座っている三人組の少女達。その少女達が話すなんとも青春真っ盛りな内容の会話が一つ。

 そして、その会話を聞くまいといつも持ち歩いていたイヤホンを忘れてしまったことが一つだ。

 別に会話するなと言っているわけではない。 

 言っているわけではないが、せめてカウンター席まで届く声量で話すのはやめてほしい。

 いくら聞かないようにしていても、カウンターまで届いてしまったら嫌でも耳に入ってきてしまうからだ。


 俺は少女達に視線を移した。

 紺色を基調とし金の刺繍が特徴的なブレザーに膝まで伸びた薄いストライプ模様が入ったスカート。

 会社の通勤時によく目にする制服だ。この店から徒歩十分ほどの距離にある高校の女子生徒達。 


「あんたさ、柳君のこと好きなんでしょ?」

「……」

「黙ってないでなんとかいいなさいよ」


 不機嫌そうな表情でテーブルに頬肘をついているのは背中あたりまで伸びた茶色い髪に耳から時折見える複数のピアスが印象的な少女。

 その茶髪少女が標的にしているのは沈黙を貫いている黒髪ボブヘアーの少女で、その二人の会話を真ん中であたふたと聞いているのは黒髪おさげの丸眼鏡をかけた気弱そうな少女。

 黒髪ボブヘアーの少女は目元まで前髪が伸びているせいか表情までは分からなかったが、元気がないように見えたが、三人の少女の印象はこんなところだ。

 

「今日もずっと黙っているつもり?」

「……」

「あんた! 分かってるの!?」


 痺れを切らした茶髪少女は怒りのままテーブルに両手を激しく叩きつけた。

 叩いた音が店内に響き渡り、怒りの矛先である黒髪少女は依然として沈黙を続けている一方で、眼鏡少女はいきなりの出来事に一瞬肩を震わすと、目のやり場に困ったのか俯いてしまった。

 幸いと言うべきか店内には俺と彼女達しかいないため他の客の迷惑にはならなかったが、ただでさえ静かな空間にどんよりと重く暗い空気が漂ってしまった。

 時が止まったかのように静まり返る店内で、カウンター席の隅っこに置かれている置時計の長針だけが時を進める中、この異様な雰囲気に早くも耐えられそうにない俺は店主に助け舟を出した。

 だが、一瞬目が合っただけで求めていた回答は得られず、代わりに返ってきたのは注文したコーヒーと紙切れが一枚だけ。

 紙切れを開くと、そこには『関わるな』と、一言だけ書かれていた。

 見損なったぞ店主。


「あんた、ちょっと来なさいよ」


 黒髪少女から返事が返ってこないと分かったのか茶髪少女は店の外を顎で指し示すと席を立った。

 黒髪少女も糸が分かったのか跡を追うようにして席を立つと、二人して店の外へ出て行ってしまった。

 テーブル席に一人残った眼鏡少女を視界に入れながら、このまま見て見ぬ振りを決め込むのはさすがにいかがなものかと考える。

 目の前で絶賛黙認中の店主は当てにならないとして、眼鏡少女も未だ俯いたままで動く気配もない。

 赤の他人の俺が口を挟むことではないと思うが、この際そうも言ってられないだろう。

 内心で大きなため息を吐くと、残った珈琲を一気に喉に流し込み、そのままの勢いで店外へと出た。

 

 外に出ると、少女二人は店のすぐ近くにいた。遠慮なく近寄って行く。

 近寄る俺に気づいた二人の視線を一身に受け、一瞬、怖気付きそうになるが、なんとか耐える。

 気づかれない程度に小さく深呼吸をした後、少女二人に、主に茶髪少女に向け一言。


「喧嘩はよくないぞ。仲良くな」

「……」


 返答こそなかったが、茶髪少女の表情を見れば言われずとも分かった。

 俺を見る鋭い目つきが「お前には関係ないだろ」と、そう言われている気がした。

 茶髪少女は不機嫌そうに店内へ早々に戻って行き、黒髪少女は俺の前まで来ると小さくお辞儀をしてから戻って行った。

 お辞儀の際、黒髪少女が微笑んだように見えた。

 良かった。少しは俺のお節介が役に立ったのかもしれない。



 店内に戻ると、少女達はそそくさと帰り支度を済ませ、黒髪少女が会計をしている最中だった。

 元々俺が座っていたカウンター席はレジのすぐ近くにあり、今更座る席を変えるのも面倒に思い、同じ席に座る。

 眼前の飲み干し終えたコーヒーカップを見て、仕切り直しだな、と再び注文をしようとしたその時ーー。


「ねえ、おじさん」


 不意に、レジの方から声がした。

 声のする方へ視線を移すと、黒髪少女がなんとも悪寒を誘うような、そんな不気味さを含んだ笑顔をこちらに向けていた。

 一見笑っているように見えるその笑顔も、冷め切った瞳の奥を見れば、好意的ではないのは明らかだった。

 

「なんで、邪魔したの?」

「え?」


 黒髪少女からの思いも寄らない質問に、思わず間の抜けた声が出てしまった。

 返答できずに困惑していると、黒髪少女が先に口を開く。


「分からないならいいの」


 黒髪少女は再び不気味に微笑むと、会計を済ませ出入り口で待っていた少女達とともに店を出て行ってしまった。       

 俺は何の返答もできないまま少女の背中を見送ることしかできなかった。

  


 少女達が店を出て、どのくらい経っただろうか。

 三杯目に注文した珈琲はすっかり冷め切っており、店の時計を見ると針が午後七時を指し示すところだった。

 あれから黒髪少女が言っていた言葉の意味について思考を巡らせてみたが、答えに辿り着くことは無かった。

 結局、少々の言葉の意味は何一つ解らなかった。

 コーヒーカップに視線を戻し、新たに注文する気にもなれなかった俺は冷め切った珈琲を一気に飲み干した後、会計を済ませ店を出た。

 

 店の外へ出ると、つい数時間前まで明るかった空もすっかり暗くなり、冬の訪れが近いせいか、それとも単に陽が落ちたからか、頬を掠める風がほんの少しだけ冷たく感じた。


(そういえば……)


 会計中、お詫びのつもりか店主から飴玉を一つ渡された。

 正直いらなかったし、断ろうと思ったのだが、申し訳なさそうにしている店主の顔を見たらそんな気にもなれず仕方なく受け取った。

 帰り道、店主から貰った飴玉を取り出そうと、右ポケットに手を入れると、触れた手の感触に違和感を感じた。

 確か、右ポケットの中には店主から渡された紙切れと飴玉が一つずつ入ってるはずだ。

 なのに、今触れている感触は三つ。

 

 なら、もう一つは?


 すぐさま取り出してみる。

 中から四角く綺麗に折られた紙切れが一枚出てきた。


(何だこれ)


 全く見覚えのない紙切れ。

 そんなものがポケットから出てくる。

 唐突に不安感が込み上げてくるのを感じた。

 折られた紙切れを開いていくと、そこにはこう書かれていた。


『逃げろ』


 その文字を見た瞬間、嫌な予感が全身を駆け巡った。

 理由は分からない。

 ただ、この文字の通りこの場から一刻も早く移動しないといけない、そんな気がした。

 すぐさまこの場から移動しようとしたその時、背中に強い衝撃が走った。


「ッーー!?」


 背後からの不意打ちに俺はまともに受け身を取ることも叶わず、勢いそのままに前方へ倒れた。 

 反射的に顔だけは守ろうとしたのか奇跡的に両手から落ちたおかげでコンクリートと接吻するという大事故にはならなかったが、無傷というわけにもいかなかった。

 擦りむいた肘や膝の痛みに耐えながらゆっくり立ち上がろうと、膝に手をかけたその時、背中に違和感を感じた。


ーー熱い。

 

 衝撃のあった背中あたりが火傷でもしたかのように熱く感じる。それも背中全体ではなく一部分だけが感じるのだ。

 原因を確かめるべく俺は背中に手を回し、生温かい液体のようなものに触れた。


「え……?」


 恐る恐る、液体が付着した手を視界に入れた。

 見た瞬間心臓の鼓動が強くなった。

 血だった。自分の血がべっとりと手に付いている。


「な、んだ、これ……」

 

 頭の中が真っ白になった。完全に混乱していた。なぜ自分の血がこんなに手に付いているのか。

 徐々に呼吸が荒くなっていき、息をするのも段々と苦しくなっていく。

 焼けるように熱かった背中の熱も今は消え失せ、刺されたような鋭い痛みに変わる。

 余りの痛みに我慢できず、その場に蹲った。

 必死に痛みに耐えながら考える。

 刺された? どうして? なんで俺が?

 同じことをぐるぐると頭の中で考えているうちに、気がつけば痛みも消え去り、今度は震えるほどの悪寒が身体全体を襲う。


「う、ぅ……」


 ものすごく寒い。

 全身の感覚が無くなってきてるように感じる。

 視界が霞むんで見える。

 どうしてこんな事になった。

 なんで、なんで、なんで、なんで。

 なんでこんなことに……。


 薄れゆく意識の中、頭上あたりに誰かの気配を感じた。

 そいつは俺の顔を覗き込むようにしゃがみ込むと、楽しげに言った。


「あれ? まだ死んでないんだ」


 不気味な笑みを浮かべた少女。

 つい先ほど喫茶店で会った黒髪少女。

 彼女を見た瞬間、俺は目を見開いた。

 思い出したのだ。全てを。


 喫茶店に立ち寄ることも、珍しくイヤホンを忘れたことも、少女達の喧嘩を止めたことも、〝黒髪少女に背中を刺されたことも〟

 もう何度も見たではないか、この光景を。

 何度も味わったではないか、この痛みを。


「残念だね。またループしてきてね」


 なぜ記憶が無くなっていたのかは分からない、だがもう今更考えても全てが手遅れだった。

 黒髪少女の満足そうな笑みを最後に、俺の意識はそこで途切れた。

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気づいた時にはもう遅い 田川侑 @tagawa_yu

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