ヌメヌメ花嫁の愛されスローライフ -両生類新妻奮闘日誌-

椒央スミカ

第一章 夫婦の誓約

サンショウウオが棲む沼の守護女神、わけあって農家へ嫁入り。

第01話 イノシシ丸飲み、それが彼との出会いの瞬間──。

 ──わたしは人魚にんぎょ


 上半身が美女、下半身が魚っていう、海に棲んでるアレ……。

 ……ではなくって。

 わたしが棲んでるのは、山奥の、淡水の、沼の底。

 木々が生い茂り、空もほとんど見えないほど薄暗い山奥の沼。

 人間っぽいのは、五本の指があるだけ。

 仰向けになったとき、胸元から両手の辺りが人間の赤ちゃんっぽいから、人魚って呼ばれてるんだって。

 そんなわたしは……サンショウウオ──。


 ──の、親玉、大将、守り神、みたいなもの。

 あっ、メス……女性だから、女王、女帝、女神……かな?

 清水が岩肌を伝ってゆるゆると流れてくる、澄んだ水と柔らかな土のこの沼で、眷属(※1)の繁栄を見守りながら、人知れずひっそり暮らしてる。

 ひっそりと言っても……頭から尻尾まで二十メートル超えてるから、けっこう目立つんだけれど……アハハハ……。

 こんな山奥の沼に人間なんて来ないから、人知れずで間違いはない、うん。


 ……もう雑草と落石に埋もれて見えなくなっちゃった、人間が刻んだ登山道。

 わたしは沼の底から、そこを行き交う人々を見るのが好きだった。

 旅人、商売人、登山者、ハイキングの家族……。

 人間って、いろんな生きかた、いろんな姿してるから、見ててちっとも飽きない。

 たまに、わたしの噂を聞いて探しに来た人間もいたけれど、そんなときは意地悪して、土の底に潜って隠れてた。

 イケメンだったら、ちらっ……と姿見せてあげても、よかったんだけどね~。

 わたしのお眼鏡にかなう人、いなかったな~。

 せっかく人間の姿にへんする練習もしたのに、無駄に終わりそう。

 だってこの沼……ひいてはわたし、もうすぐ消えそうなんだもん……ね。


 ──ザザザザッ……ガサガサガサガサッ!


 ああ来た、その元凶……。

 イノシシ……。

 藪の中走って、こっち向かってる。

 音からして……二頭。

 あいつらがこの辺りの許容量キャパ超えて増えて、あちこちほじくり返したせいで、沼へ流れ込んでくる清水が途絶えがちに……。

 その沼も、奴らにあちこちほじくり返されて、年々狭くなってく。

 そして眷属が、ときどき捕食される──。

 食べたり食べられたりは、生き物の宿命だからしかたないけれど。

 だからと言って親玉……こほん、女神としては、みすみすこの沼を枯らさせない。

 そもそもこの沼が消えれば、わたしも消える。

 この沼の眷属の生命力が、わたしという守護神を存在させているのだから。

 だから────。


 ──ざばあっ…………バクンッ!


「フゴッ! ブゴッ! ブヒッ……ブヒイイッ!」


 ──うっ!

 この沼を枯らそうとするものはらうっ!

 この大きな口で、一気に丸飲み!

 自慢の頑丈な胃袋で……すぐに消化!


 ──ごくんっ!


 ン……いまのイノシシ、かなりの飲みごたえ。

 八十キログラム超えの食感……。

 まだこんな大物が、うろちょろしてるんだ。

 それとも峠の向こうから、やってきたかな?

 山間に広い道が新たにできて、峠を越える人間がいなくなって、それまで人間を警戒して繁みに隠れてたイノシシが、暴れ放題増え放題。

 この沼が荒らされてるの、人間にも責任がないとは言えない……。


 ……って。

 そう言えば、繁みの中にあった気配は二頭。

 もう一頭はどこに…………。

 ……………………。

 …………えっ?

 そこで尻もちついてるのって……人間?

 それも、若い男性っ?

 なかなかの……まあまあの、イケメンっ!?

 イノシシ消化中の……わたしを見てるっ!?


「ひっ……。サ、サンショウ……ウオ……?」


 やだっ!

 わたし……八十キロ超えのイノシシ丸飲みするところ、イケてるお兄さんに見られちゃった──!?



(※1)眷属けんぞく。一族、種族のこと。

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