第8話

◇side:商人


 聖女アイツの星みたいに煌めく目を見た途端、俺の中にあった『人』が化物おれを害した。

 腹から青い血が噴き出る。

 持っていた短剣を手放しながら、地面に膝を着いた。

 うつ伏せの体勢で倒れる直前、ちょっと離れた所にいる聖女の面が視界を掠める。

 彼女アイツは目を大きく見開いたまま、固まっていた。

 

(たしか、アイツと出会ったのは、……いつ、だっけ?)


 初めて聖女アイツと出会ったのは、……確かアイツが聖女になる前だったと思う。

 あの頃の俺は自分の娘を失ったばかりで荒れに荒れていた。






◆商人side


「お前が聖女になりたい理由、当ててやろうか?」


 流行病に冒されているダチの娘を診ている少女に声を掛ける。

 聖女見習いである少女は俺に背を向けたまま、本とダチの娘を交互に見ていた。


「王族に嫁ぎたいからだろ?」


 俺は診療所の出入り口の扉に寄りかかりながら、酒瓶に入った酒を喉に流し込んだ。


「お前が人を救おうとしてんのも、聖女になって、王族の嫁になって、毎日いいもん食うためだろ? 俺ら下々の事なんてゴミとしか思ってないだろ?」


「此処から出て行ってください。病が移るかもしれませんから」


 俺の嫌味を屁でも思っていないような態度で、少女は本のページを巡る。

 その態度が気に食わなかった俺は酒瓶を床に投げつけた。


「聖女のフリしてんじゃねぇよ」


 酒瓶だった破片が床の上に散らばる。

 初めての酒に歓喜しているのか、床は俺が零した酒をグビグビ飲んでいた。


「聖女見習いでも、治癒魔術使えるんだろ? 何でソイツに使わねぇんだよ」


 本を見ているだけで治療を行なっていない少女を睨みつける。

 頑張っている感を出しているだけの少女は、俺の言葉に耳を傾ける事なく、鞄から新たな本を取り出した。


「助けようとしているフリなんだろ? 俺達みてぇな貴族じゃないヤツに治癒魔術かけたくねぇんだろ? 貧乏人治療した所で、金貰えねえもんな。貰えたとしても、端金。だから、俺の娘も助けてくれなかっだんだろ?」


 半月前、流行病で亡くなった娘の顔を思い浮かべる。

 娘がヤバイ状態だってのに、聖女はこの村に来てくれなかった。

 商人というアドバンテージをフルに活用して、聖女に『娘を助けてくれ』という手紙を送りつけた。

 でも、聖女はやって来なかった。

 聖女どころか治癒魔術を使える聖女見習いさえも。

 見捨てられたと思った。

 もし俺が貴族だったら、娘は助かっていただろう。

 この世は不公正だ。

 生まれ落ちた場所が違うだけで、命の価値に差が生じてしまう。

 もし俺が貴族だったら。

 もしあの子が貴族の子として生まれていたら。


「なあ、なんか答え……」


「治癒魔術を使用したら、逆に症状は悪化しますよ」


 声を発しつつ、少女は身体の正面を俺に見せつける。

 初めて少女の顔を見た。

 彼女の左目には一文字の傷がついていた。

 それを見て、俺は目を大きく見開いてしまう。

 よく見ると、彼女の右手の甲には酷い火傷跡がついていた。

 こんな身体では、たとえ聖女になったとしても、貴族の嫁になんかなれないだろう。

 貴族の大半はプライドが高い上、他の人の目を気にする。

 こんな傷だらけの女を嫁にする奇特な貴族(ヤツ)はいない。


「この子が冒されている病は、多分、イースト病だと思います。イースト病患者に自然治癒速度を向上させる治癒魔術を使用してしまうと、病も活性化されてしまうんです」


 俺の目を真っ直ぐ見つめながら、傷だらけの少女は淡々と自分のやるべき事を全うする。

 彼女の顔には脂汗が滲んでいた。

 時間がないのだろう。

 少女の焦燥が骨の髄まで染み渡る。

 ダチの娘の状態があまり良くない事に気づかされた。


「この本に書かれた薬草とキノコ、何処にあるのかご存知ですか? この本の情報が正しければ、この薬草とキノコはこの辺りで生息している筈です」


 俺に植物図鑑を差し出しながら、真っ直ぐな眼で俺の目を見据える。

 玉の輿を狙っている女の眼じゃなかった。

 ……俺みてえなバカでも分かる。

 こいつは……


「力を貸して下さい。貴方の力を借りれば、この子の命は救えるかもしれないんです」


 筋金入りのバカだ、と。






◆商人side


「ごめんなさい。古いしきたりの所為で、聖女は王都から離れられないんです」


 傷だらけの少女──エレナの尽力により、ダチの娘は助かった。

 俺の娘の墓に花を添えながら、エレナという名の聖女見習いは謝罪の言葉を口にする。


「聖女が王都から離れてしまったら、魔王の封印を維持できなくなってしまう。だから、現聖女は貴方の娘を助けられなかったのです」


 どうやら俺の手紙は聖女に届いていたらしい。

 だが、ルールの所為で俺の娘を救いに行けなかったみたいだ。


「……で、お前が聖女の代わりに来た、と」


「……本当にごめんなさい。もう少し私が早く来ていれば、貴方の娘を……」


「一番悪いのは俺だ。最初から娘を王都に連れて行っとけば、娘は死なずに済んだ」


 聖女が王都から離れられないという事実を知らなかった。

 もしそれを知っていたら、俺は娘を連れて王都に向かっていただろう。

 聖女或いはエレナに娘を診せていたら、俺の娘は助かっていたかもしれない


「いや、動かしたら動かしたらで娘さんの症状は悪化していたかもしれません。娘さんがどういう病にかかっていたのか分かりませんが、……貴方の判断は間違っていません」


 俯きながら、聖女見習いである少女は親指を隠すように拳を握り締める。

 彼女の姿を見て、なぜか亡くなった娘の顔を思い出した。


「……お前、何歳だ?」


「十二、……ですけど」


「……そう、か」


 亡くなった娘と同じ歳だ。

 目の前にいる彼女と違って、俺の娘はこんなにしっかりしていなかった。

 多分、目の前にいる少女は『しっかりしなければならない』状況下に置かれているのだろう。

 彼女と同年代の娘がいたから分かる。 

 聖女見習いである彼女が背負っているものの重さを。

 傷だらけの少女の瞳をじっと見つめる。

 彼女の眼はとても力強く、十二の娘が放っていい眼光じゃなかった。

 

「……悪かったな、当たり散らかして」

 

 謝罪の言葉を口にしながら、空を仰ぐ。

 茜色に染まる空には、無数の固形化された極光(オーロラ)が浮いていた。

 いつも通りの空だ。


「まあ、お詫びって言ったらなんだが、遠慮なく我儘言えよ聖女さん」


 酔いが覚める。

 娘が死んだという現実が重くのしかかった。


「いや、私、聖女じゃないんですが……」


「あ、あと、敬語禁止。敬語使われると背中がむず痒くなるんだ」


 娘は戻って来ない。

 娘を助けられなかったという現実は変わらない。

 ……けど、目の前の少女なら。


「……分かったよ、オッサン」


「敬語禁止って言ったが、敬意を払うなとは言ってねぇぞ、聖女さん」


「だから、私は聖女じゃないし」


 息を大きく吸い込みながら、天を仰ぎ続ける。

 …………娘にしてやれなかった事を彼女にしてやろう。

 唯の商人でしかない俺がどこまでやれるか分からないけど。

 それが俺ができる唯一の──

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