第14話 ワインレッドのドレス
――その日、会場は大いにざわつくこととなった。
現王妃の誕生日を祝う、王家主催のパーティ。毎年行われるこのパーティは多くの有力貴族が招待される盛大なもので、各人がめいっぱい着飾って臨む屈指の社交場である。
そこに参加できる、ということだけでステータスとなる程の特別な催し。リーシャの父も、娘がハロルドの婚約者となったことで参加が叶った時には、感情を爆発させるような喜びを見せたものだ。
そのような場で主賓以外のイチ参加者が周囲の注目を集めることは、本来であれば非常に難しい。
だというのに「彼女」が現れた瞬間、会場の光すべてが彼女に集約してしまったかのように周囲は色彩を失ってしまった。人々の視線は自然とその中心へと引き寄せられる。
モノクロの世界で、唯一際立って存在している女性――リーシャ・バートンへと。
たかが新興貴族の娘。王家の権威にしがみき、王子の機嫌を損ねないようにびくびくと振る舞うことしかできない人形――その、はずだったのに。あそこに佇む彼女は、本当に
婚約者に振り回されてオドオドと俯くだけだった彼女。しかし、今のリーシャは堂々と背筋を伸ばして、凛と前を向いている。その横で不機嫌さを隠そうともしないハロルドを
その優美な佇まいは、彼女の身に纏うドレスを殊更に美しく引き立てていた。
真紅の薔薇のように高貴で、朝露に濡れた花弁のようにしっとりと輝くワインレッドのすっきりとしたドレス。そのはっきりとした色合いの生地は、ともすれば着ている人間を霞ませてしまう程に強い存在感がある。
一方のドレス自体は至ってシンプルで、煌びやかな宝石やリボンなどは一切ない。リーシャの体型に合わせたスレンダーな形で、同色の繊細なレース刺繍を幾重にも重ねているだけ。
それは今の流行とは対極のスタイルであった。淡い色合いの生地、大きなバッスル、たくさんのリボン、膨らんだスカート――それらが正解とされているこの社交界で、彼女の姿は間違いなく流行から外れている。
それなのに。
「綺麗……」
思わず、といった調子で年配の婦人が呟いた。
かねてから今の流行が自分には
彼女の言葉に同調を示すように、周囲がうんうんと頷く。
暗い色合いの生地はリーシャの透ける程に白い肌を浮き上がらせ、真珠のような光沢のデコルテを飾り立てている。余計な装飾のないドレスは清楚でありながら、大ぶりの宝石のついた装飾品をしっかりと映えさせるものだ。
今までにない色調のドレスは会場の光を受けると静かに反射し、柔らかな光のさざ波が裾へと広がっていく。これでダンスを踊った時には、どれ程美しい光景になることだろう。
「貴女のドレス、とても素敵ね」
会場に響いた声に、辺りはたちまちの内に静まっていった。
人垣が割れ、本来であれば顔を見ることすら叶わない雲の上の人物がリーシャに笑いかける。
「身に余る光栄です、王妃陛下」
深々と腰を折り、リーシャは落ち着き払った様子でスカートの裾を広げてカーテシーをした。ふわりと広がったスカートの揺らめきに、ほぅ、と会場のあちこちから溜め息の洩れる音が聞こえる。
シンプルに見えるスカートはその実、細やかなひだが幾重にも折り込まれており
「生地は我が国のスルキのようだけど、発色が全然違うわ。まるでドレスそのものが光を放っているみたい。何か秘密があるのかしら?」
無邪気な王妃の感想に、「はい」と伏したままリーシャは口を開く。
「こちらは先日、バートン商会が開発したばかりの新しい染料にございます。スルキの生地をより美しく輝かせ、鮮やかに飾り立てる染料……まったく新しいこの色合いは、他国においても我が国特産のスルキの価値をさらに高めていくことでしょう」
「それは素敵な話ね! 色は、他にどんなものがあるのかしら?」
「こちらのワインレッドに似たテイストであれば深緑のビリジアン、ダークブルー、ブラウンなどが。明るい色であればライムイエローや王妃様の瞳のようなエメラルドグリーンもご用意がございます。色のバリエーションに関しては、今後も増えていくものかと」
「エメラルドグリーン!」
弾んだ声をあげて王妃は目を輝かせる。
「気に入ったわ。今度、そのエメラルドグリーンの生地で私のドレスを作って頂戴。今日の貴女と同じデザインで」
「っ! 謹んでお受けいたします、陛下」
思いがけない王妃の言葉に震えそうになる声を何とか抑え、リーシャはもう一度深々と腰を折って辞儀をする。
――王妃からこれだけの言葉を引き出せたのだ。間違いなくこれからの流行は変わってくる。
新規染料による生地も、これから飛ぶように売れることであろう。確かな手応えに、リーシャの気持ちは高揚していく。
今までずっと、「地味な格好で大人しくしていろ」というハロルドの一方的な言いつけに従ってパーティに参加してきた。それがまさか、自分の立ち居振る舞いひとつでここまで物事を動かすことができるようになるなんて。
途中でハロルドは不機嫌さを見せつけるように荒々しい足音で退席してしまったが、もうリーシャはそんなことでは怯まない。却って自由に動けるようになって良かったと、気持ちが楽になったくらいだ。ひっきりなしにリーシャの元を訪れる貴族たちと歓談を続ける。
――その時の彼女は、初めての成功体験に浮かれて気づいていなかったのだ。
周囲の注目を浴びて輝く彼女に向けられている、昏い眼差しを。
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