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フォーミリオでの結婚式を無事に終え、三日に渡って続いたパーティーを成功のうちに終わらせると、今度はオラシオンでのパレードが待っていた。
特注のバルーシュに乗るのは、現領主であるカナリアの両親と新たな領主となるアズベルト、その妻となったカナリアの四人である。
このパレード、今夜からのパーティー、その後の引き継ぎ式を終えるといよいよ二つの領地が統合され、アズベルトが新領主として領地経営を担う事になる。
パレードの目的としては『新しい領主の御披露目』と銘打ってはいるが、沿道の領民の目的はほぼカナリアのウエディングドレス姿を見る事だった。
農業が主な産業の為土地は広大だが、フォーミリオに比べると人口はそれ程でもないオラシオンでは、ずいぶん前からカナリアの結婚の事は知られていた。式が何度も延期になっている事も、その原因もだ。
土地柄なのか領主と領民の距離が近しい事も相まって、一人娘で天使のように愛らしいカナリアは、例に漏れずここでもしっかり天使だった。
この日を楽しみに待ち望んでいたのは両親だけでは無かったのである。
オラシオンの街中に差し掛かった馬車の上から、改めて沿道を見渡す。小さな子供まで手に花や花びらの詰まった籠を下げ、懸命に馬車へと振り撒いてくれている。
見知った顔も多いのだろう。アズベルトが嬉しそうに手を振っているのを見て、カナはここでも胸がいっぱいになっていた。
カナリアがどれほど皆に愛されてきたかが良くわかる光景だ。
改めてその重責と情愛を受け、隣に寄り添うアズベルトを見上げた。その視線に気が付いた彼が、幸せそうに目元を緩めてカナを見下ろしてくる。
「——、———」
喧騒でカナの声が届かなかったのか、アズベルトが「もう一度」とばかりに顔を寄せてくる。
その耳元に唇を寄せようとして止めた。代わりに彼の顎に手を添える。そのままこちらに引き寄せ、頬の高いところに唇を押し付けた。
沿道の歓声が大きくなる。
自分がつけたリップの
もう驚きはしない。そうなる事が分かっててやったのだ。
甘い疼きに僅かに肩を震わせ目を閉じる。直ぐ様カナの望んだものが与えられ、今度は悦びに胸が震えた。
一際大きく上がった歓声を意識の遠いところで聞きながら、カナはアズベルトの首元に自身の手を添えた。
涙で目元を潤ませる両親の心情が、全く正反対のものだったと聞かされたのは、随分後になってからだった。
「ドレスが十着も必要って、本当だったのね……」
八着目に身を包みながら、カナは改めて貴族社会の過酷さを噛み締めていた。
今日から三日間、今度はオラシオンの領主邸で晩餐会が開かれる。フォーミリオでは昼間も続いたそれは、ここでは夜だけなのでまだ気が楽だ。
実のところ、何かあった時用の予備も含めての枚数だろうと思っていたのだ。実際にしっかり全部着るとは思って無かったし、なんなら予備は他に十着用意されていた。もちろんそれに合う装飾品やなんかも全てだ。
「これでもかなり絞られた方なのよ? アズベルト様に感謝するのね」
髪の毛を纏めてくれているナタリーと鏡越しに目が合う。今日の姿はメイドのそれだ。
ナタリーの婚姻の件もカナリアの両親には伝えられた。
もちろん本人達のそれぞれの家にも手紙が届けられている筈だ。本格的な話し合いはカナとアズベルトの婚姻の儀が終わり落ち着いてからとなるだろう。
カナリアの両親は、娘も同然だったナタリーの嬉しい知らせに大変喜んでいた。
てっきり今夜の夜会でもクーラと一緒にドレスで参加するのだと思っていたのに、古巣ではカナリアの側にというナタリーの意向を両親が汲んでくれた形となった。
夜会とは名ばかりの牧歌的な雰囲気のパーティーは、ダンスに慣れないせいで緊張を隠せないカナには酷く居心地の良いものだった。アットホームな空気感が心地良いせいか、楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
何度目かのダンスの後、飲み物を取って座っていたカナは、自身の身体がさっきまでとは比べ物にならない程熱い事に異変を覚えた。
具合が悪くて熱が上がったのとは違い、気分は悪くないのに身体も頭も何だかふわふわしている。どうしたのかしらと思いながら、少し後から戻ってきたアズベルトに声をかけた。
「アズ……私、何だか熱くって……ふわふわするの」
「え?」
椅子に座りかけた状態でカナを見たアズベルトは、確かに頬が上気している彼女の異変を感じた。
「カナ、もしかしてお酒飲まなかった?」
「……どうかしら? よくわからないわ」
色んなグラスを取ったから、そのどれかがアルコールだったと言われればそうかもしれない。ただ今までお酒を口にした事が無かったし、かなの時も得意では無かった為にお酒を嗜む機会はほとんどなかった。だからそうなのかと言われても確信はない。
ただ分かるのは、明らかに身体に異変が起こっているという事だけだった。
アズベルトはそんなカナの姿を目の当たりにして固まっている。
飲ませるつもりは全く無かったのに、どこかでグラスを間違えてしまったのかもしれない。すっかり回復している今のカナなら、間違って含んだ程度であれば体調への影響は無いとは思うが、念の為もう休ませた方がいいだろう。
何より今のカナは目に毒だった。
蕩けた瞳に上気した頬、熱い息を吐く唇はいつもとは別人のように艶かしい。体温が上がっているであろう肌はうっすらとピンク色に染まり、全体的に見ても色気がダダ漏れている状態だった。とにかくこんな姿を他の男の目に晒す事など絶対に出来ない。
直ぐに彼女を抱き上げると、両親に断りを入れ、用意された寝室へと向かった。
クスクスと楽し気に喉を鳴らし、いつものように首へと腕を回す彼女の身体はやはり熱い。大分飲んでしまったかと思い返すも、カナが受け取ったグラスを空にしたところを見ていない。ならば誰かのと間違えて口をつけた程度だろうと当たりをつける。
アズベルトの首筋に顔を埋めるカナが、熱い吐息を吐き出す。その息が首筋を掠めると、アズベルトはそのくすぐったさに身体を震わせた。同時に押し込めていた感情が熱を持って沸き起こってくる。
これは危険だと独りごちながら、アズベルトは開けられた寝室の扉を潜った。
ベッドに座らされ、サイドテーブルに用意してあった水を貰う。
グラスに半分程注いでくれた水を飲み干し、もう少しと言いながらグラスを返した。同じように注がれたグラスを今度はアズベルトが口にする。そして直ぐにカナへと口付けた。僅かに喉を鳴らし冷たい水を嚥下する。
全然足りなくて更に要求すると、同じように口付けられ、飲み込んだ途端にそれが深くなった。無意識に彼の首に縋るように腕を絡ませ、身体を預ける。ベッドに横たえられたカナの身体は、アズベルトの重みで更に沈んだ。
「カナ、もうお酒は駄目だよ……」
どうして? と問いかけるカナには応えないまま、アズベルトがジャケットを放った。カナのせいで呼び起こされてしまった熱は、もう既にアルコールと共に全身を巡っている。飲んでも酔う事など無かったが、この日初めてアズベルトは『酔う』という感覚を知った。
いつもよりもずっと熱いカナの身体に触れキスを落としながら、アズベルトは「たまになら……」というある種の欲望と必死に戦っていた。
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