「アズ……待って、……心の、準備が——」


 二階へ向かう大階段の途中で、口から飛び出そうな心臓に耐えられなくなったカナがアズベルトの手を引いた。

 誰もいない階段の中央で強引に腰を抱き寄せられると、いきなり唇が奪われる。


「!!」


 連続で踊ったダンスで疲れを感じていた事と緊張が相まって呼吸が上手く出来なかったカナは、強引に重なった唇が離れた時には軽く息切れしてしまっていた。


「ごめんカナ、俺はもう一秒も待てない」

「ひあぁっ!」


 アズベルトが軽々と抱き上げてくるのを、いつものように可愛げの無い悲鳴を上げながらその勢いのまま首へとしがみついた。いつになったら可愛らしく振る舞えるのかと半分現実逃避しながら、いつになく余裕の無いアズベルトに更に心拍数が上がっていく。

 くっついた身体から暴れている心臓の鼓動が直に伝わっているような気がして、余計に恥ずかしくなった。



 横抱きにされたままアズベルトが向かう先は、夫婦の寝室だ。

 部屋の前で下ろされると、扉を開けてくれた彼に促されて中へ入った。

 別荘で使っていた寝室よりもずっと広く、整えられた大きなベッド脇のナイトスタンドに灯るランプが今は唯一の灯りだ。

 静寂の中で自分の鼓動だけがはっきり聞こえるようで、カナは直ぐ後ろにいる筈のアズベルトを振り返った。

 僅かに軋む音と共に閉じていく扉の前で、今までとは全く違う熱を孕んだ琥珀色がランプの光を写している。


「カナ」 


 穏やかな、だけども激情を隠さず、乞うように名を呼ぶ彼を見つめた。自分しか映さないその眼差しから目を逸せない。


「カナが欲しい」


 もう既に壊れそうな程鳴っている左胸を押さえた。昂っているせいか浅くなる呼吸を意識的に深く吸い込んだ。深く息を吐き出し、やっと声を絞り出す。


「わたし、も——」


 その瞬間抱き寄せられ、噛み付くような吐息すら奪うような深い口付けに驚いた。同時に今までどれだけ彼が優しく気を使ってくれていたのかを思い知る。息をするのも、ふらつくのも許さないとばかりに、彼の胸へと閉じ込められてしまう。

 うなじに入り込んだ彼の手が、髪を止めている飾りやピンをその場に落としていく。はらりと落ちた髪が広く開いた背中にかかる。

 アズベルトの手が背をなぞり、ワンショルダーの肩の部分を落としていく。腰部に隠された金具もいつの間にか外され、カナの身体を覆っていたドレスがするりと滑って足元に落ちた。


「キレイだよ……カナ」

「あんまり……見ないで……」


 羞恥から頬を染めて露わになった胸元を隠すように自身の肩を抱くカナを抱き上げベッドへ降ろすと、アズベルトが後ろからカナの身体を抱き締めた。大きくて熱い手が肩から脇腹へ、そして腹部へと滑っていく。


「……っ、…———」


 滑っていく手を追うように、今度は唇が当てられる。思わず熱っぽい吐息が零れ、既に火照った身体が更に熱を帯びていった。

 常とは違い全く遠慮のない熱い手があらゆる箇所へと伸びていく。大きな手が身体をなぞる度に、優しく大胆に触れる度に、そこから新たに熱が生まれていく。

 カナのうなじや背中にキスを落としながら、アズベルトはコルセットの紐をするりと解いた。白く滑らかな肌を堪能するように触れながら、編み上げられた紐を緩めていく。彼の吐息が首筋にかかる度、唇が肌へ触れる度、ランプの灯りに艶かしく輝くカナの白い身体が小さく震える。


 恥じらう彼女をベッドに沈めながら、アズベルトはジャケットを放り胸元のクラヴァットを引き抜いた。

 既に二つ三つボタンの開いている胸元から覗く色っぽい鎖骨にチラチラと視線を奪われながら、カナはアズベルトのシャツのボタンに手を伸ばした。


「わたしが……」


 外そうと試みるも、緊張で震える手で小さなボタンを捕まえる事が出来ずにもたついてしまう。


「早く……」


 そんなカナを急かすように、楽しげに口元を歪めるアズベルトがわざと耳元で囁いてくる。

 カナは頬を染めながら一生懸命外そうと苦戦しているのに、当の本人は至極楽しそうにしている。しまいには頬にキスをしたり、脇腹を撫であげてきたりと、懸命に衣装と格闘するカナが可愛くて仕方ない様子だった。

 最後の一つを外し終えると、その手が捕まりベッドへと縫い付けられ、待ち侘びたとばかりに濃厚な口付けが与えられた。

 離れた時には彼の上半身が晒され、鍛え抜かれた武人のそれに目を奪われてしまう。いつもしっかりとカナを抱き留めてくれるその身体には、ランプの灯りでも分かる古い傷痕がいくつもあった。 


 蕩けた瞳でアズベルトを見上げるカナが、艶めく唇を薄く開いて息をする姿に、アズベルトの最後の理性が焼き切れた。今あるのはカナが欲しいという欲情と自分自身でも持て余す程の熱だけだ。 

 

「愛してるよ……カナ。この日をどれだけ待ち望んだ事か」

「私も……」


 彼の手が頬に触れ高いところを掠めるように撫でていく。

 鼻先が触れ、カナが彼の頬へと手を伸ばす。アズベルトの体温と重みを全身で受け止めた。


「私も……貴方が欲しくてたまらないの……」


 甘く濃厚なキスに溺れる。

 息も忘れてしまう位、彼だけを求めた。


 絡んだ指も、合わさった唇も、重なり合った肌も、いつもよりもずっとずっと熱くカナの身体に刻まれる。

 口付けが全身に降り注ぎ、その全てを受け止めた。

 何度されても欲しかった。全然足りない。


 アズベルトが欲しい……全部……


 激しい欲望を抑えられず、しがみつくように彼の背中へと腕を回した。

 その夜はアズベルトもまた、カナを抱く腕を解くことは無かった。







 鳥のさえずりが聞こえた気がして、カナはふと目を開けた。

 いつの間に眠ってしまったのか……記憶が曖昧だった。

 身体は信じられない位に怠かったが、心は酷く満たされている。

 いつもと同じ幸せな朝を、いつもとは違う彼の胸の中で噛み締める。素肌で触れあう温もりに気恥ずかしさを感じながら、アズベルトの胸に擦り寄った。

 規則正しく届く吐息をおでこで感じながら、彼の逞しい胸板にそっと触れてみる。固く引き締まったその胸にいつも閉じ込められているのだと思うと、羞恥だけでなく愛しさも込み上げてくる。薄くはなっていたが、傷痕の残るそこへそっと唇を押し付けた。

 寝ている隙にこんな事をするだなんて、まるで自分が悪さをしているような背徳感を感じる。しかし、昨日の今日で自分の中の欲望が消えるどころかますます大きく強くなっている事に、自分自身で驚いた。彼から与えられた熱が、まだ自分の中で燻っているような気さえしてくる。

 そっと彼を伺うも、まだ眠っているようだ。

 起こさないようゆっくり身体を起こすと、今度は鎖骨にキスをした。昨日同じ事を何度もされた事を思い出し、一人悶える。

 眠ったままの横顔を眺め、熱くなった頬をそのままに彼の唇を見つめる。

 何度自分に触れたかわからないそこを目掛けて、カナはゆっくり顔を近づけた。

 唇の端っこだったけれど、初めてカナは自分からアズベルトにキスをした。

 すぐに離れるつもりだったのに、うなじに大きな手が添えられると、更にキスが深くなる。


「もう……やっぱり起きてたのね」


 ニヤリと笑みを深くするその人を、瞳に自分が映る程間近で見つめた。


「寝込みを襲うなんて、いつからそんな悪い子になったんだ?」


 頬に手が添えられ、高いところを掠めてくる。アズベルトが動くより前にカナが動いた。

 唇が合わさり、互いの身体に腕が絡んだ。ようやく離れた時には上下が逆転していた。

 見下ろす琥珀色には、既に熱が灯っている。たちまち部屋の糖度が増していく。


「アズのせいよ……」


 そう言って身体が絡み合えば、もうしばらく寝室の扉は閉ざされたままだった。

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