アズベルトはカナを腕に抱いたまま、ゆっくりと階段を降りて行く。彼女は小さな嗚咽を漏らしながらカタカタと震え、首にしがみついている。恐ろしい思いをさせてしまった後悔ばかりが押し寄せ、胸が押し潰されてしまいそうだった。

 同時に、最後は視線が交わる事の無かった友人の震える背が過り、やり切れない思いに打ち拉ぐ。


 どこで間違えてしまったのか。何がいけなかったのか。どうしていたら良かったのか。

 今更心を痛めた所で取り返しはもうつかない。

 大切な人を巻き込んでしまった事、大切な友人を失ってしまった事、その事実がただただ痛かった。


「カナ、すまなかった。……私が判断を誤ったばかりに……」


 肩口に顔を埋めたカナの頭がフルフルと動いたのが分かり、アズベルトは彼女を抱き締める腕を強くした。



 建物から出ると、本宅から招集された自警団が既に到着しており、屋敷の裏手にいた馬車を取り囲み、御者の数名を拘束していた。

 アズベルトの姿を認めた一人の騎士が「アズベルト様!」と駆け寄って来る。


「奥様がご無事でなによりでございました」

「状況は」

「屋敷の裏手に待機していた男が三名。他に逃げた者がいないか付近を捜索中です」

「分かった。屋敷の一階に二人転がっている。後は……二階に一人。私が確認したのは三人だが、他にも居ないか徹底的に調べろ」

「はっ!!」

「ハイド、後を頼む」

「かしこまりました」


 必要な指示を出し、その場を自警団の隊長に任せると、アズベルトは用意された馬車へと乗り込んだ。



 車内ではアズベルトの膝の上に乗せられ、ずっと肩を抱かれていた。以前一緒に馬車で出掛けた際にも膝に乗せられた事があったが、その時は恥ずかしくて仕方がなかった。

 しかし今は肩を抱く逞しい腕が、握ってくれる大きな手が、頭と身体を預ける硬い胸板が、どうしようもなく恋しくて離れ難いと思った。アズベルトの胸の中にいるだけで、何があっても大丈夫だと思えるような安心感に包まれ、昂っていた感情が徐々に落ち着きを取り戻していく。先程までの不安や恐怖が、彼の体温や匂いを感じ、声を聞く事によって嘘のように晴れていった。



「ナタリーは無事?」

 

 ようやく落ち着いてきた所で、ずっと気になっていた事を尋ねる。


「怪我をしたようだが無事だ。今はクーラに側についてもらっているよ」

「怪我!? ……そんな……ナタリー……」


 負傷したと聞いて、カナの心が握り潰されるかのように苦しくなった。自分を助ける為に抗ったのだろうか。はたまた襲われた時に抵抗したのだろうか。力無く横たわったタナリーの姿が鮮明に思い出され、カナの身体から血の気が引いていく。

 一気に顔色を悪くしたカナの頬に、アズベルトの温かく大きな手が触れてくる。


「程度ははっきりとは分からないが、クーラがついてる。彼が側にいるなら、適切な処置はされている筈だ。心配いらない」

「……ええ」


 不安気に表情を歪めるカナのこめかみに、アズベルトがキスをした。顔を上げ彼を見上げる。

 眉尻は下がっていたが、いつもの穏やかで優しい微笑みがそこにはあった。


「カナのせいでは無い。……君が無事で……本当に良かった……」


 彼の顔が近付いてくるのを迎えるように首に腕を回し口付ける。たちまち逞しい腕が背に回され、カナがそこに居るのを確かめるかのように、大きな手が背中や肩を撫でてくる。

 その手がレオドルドに強く掴まれた場所に触れ、カナの肩がビクリと揺れた。

 それに目敏く気付いたアズベルトが痛むのかと心配そうに尋ねてくる。視線は左の手首にも注がれている。強く握られた箇所が赤く変色していた。


「痛くはないわ。熱を持っている感じはするけれど……大丈夫だから、そんな顔しないで」


 心配そうに目尻を下げるアズベルトの両頬に触れた。助けに来てくれた事への感謝を込めて精一杯微笑んで見せる。


「きっと迎えに来てくれるって信じてたわ。ありがとう、アズ」


 その手に彼の大きな手が重なった。穏やかに緩んだ琥珀色を見つめた。


「ゲネシスの魔道具が導いてくれて、直ぐに居場所が分かったんだ。……彼には感謝しても仕切れないな」

 

 左手首に嵌められた腕輪を見る。発動したせいなのか、前ほどの輝きは失せてしまっているように見えた。


「やっぱり、そうだったのね……次にお会いしたら、お礼を言わなくては……」

「そうだな」


 再び視線が交わると、まるで引き寄せられるかのように唇が重なった。

 アズベルトの頬に当てがった手を首の後ろに回せば、彼の手がうなじへと滑っていく。その手に助けられて、先程よりも口付けが深くなる。

 甘く漏れる吐息すら飲み込まれ、カナの心臓が飛び出して来てしまうのではと不安になる程、うるさく激しく動き回っている。

 アズベルトの温かくて大きな手がカナの身体をなぞるたび、官能を呼び覚ますように舌が蠢くたび、恐怖と不安で冷え切っていた身体が熱をもっていく。


 馬車に揺られている間中ずっと、アズベルトの腕が解かれる事は無かった。

 同じように、カナの存在を確かめるかのように落とされたキスの雨も降り止む事が無かった。

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