『うわぁ……あなたのおめめ、宝石みたいね……』


 そう言ってふわふわの小さな手でレオドルドの両頬を包み込み、直近で瞳を覗き込んでくる少女に身動きが取れなかった。

 自分だけを映したキラキラのその瞳が、可愛らしくて、無垢で、澄んでいて、真っ直ぐで……。


 それがカナリアとの出会いだった。




 騎士養成科の友人だったアズベルトの自主訓練に付き合ううちに、自分が経済学科を選択した事を後悔するようになった。

 家が商家だからという理由で、自分にほぼ選択肢が無い中での学院への入学だったが、特にやりたい事も目指す事も無かったレオドルドにはどうでも良い事だった。

 異民族で妖艶な母に惹かれた父の妾として家に入ってから、母はずっと孤独だった。

 そんな彼女の血を色濃く受け継いだレオドルドもまた、正妻と長子からの当たりは非常に強かった。

 見た目だけに留まらず、声も、体躯も、挙げ句の果てには人心掌握の才まで持って生まれてしまったばかりに、自分にはそのつもりは全く無くとも周りが勝手に騒いで期待を押し付ける。

 寄ってくる人間は皆下心のあるものか、自分を良いように利用しようとするもの。もしくはその容姿目当てのクズばかり。

 そんな人間に四六時中囲まれていれば、学院に入る頃には捻くれもするだろう。

 とにかく家から離れて自由に過ごせるなら、学院だろうが他国だろうがどこでも良かった。



 そう思って入った学院での生活は、思ったよりも退屈だった。

 年齢層が変わっただけで、自分を取り巻くものは変わらなかったのだ。

 まぁ、露骨に利用しようと考える者が減っただけ、平和だったかもしれない。

 入学して五年、このまま何にも変わらないまま、歳を取るだけか。

 そう思っていた頃、何となく取った専攻授業で、初めてアズベルトに出会ったのだ。


 第一印象は堅物。制服もきっちり着こなし、所作も馬鹿みたいに丁寧。

 一目で良いところの坊やだと分かった。

 勝手に座れば良いものを、わざわざ隣に座っても良いかと尋ねるような律儀な男。

 正直、自分とは真逆の人間で、こんな場所でも無い限り関わる事の無い人間だと思った。


 授業中何かにつけてチラチラと見てくるのが気になって尋ねたら、『君は男性だよな?』と聞いてくる。

 確かに見た目で女に間違われる事はよくある事で、さして気にも留めずに『そうだけど?』と返した。

 するといきなり謝罪され困惑していると、彼も困ったような顔をしている。

 言うべきかを迷っていたのか、煮え切らない態度に先を促すと


『女性だと思っていたのだが、声を聞いて男性だと分かった。……態度も含めて、不快だっただろうと思っての謝罪だ』


 等と、何とも真っ直ぐな瞳で面と向かって謝ってきたのだ。

 こんなやつもいるのかと、正直驚いた。

 自分の周りにいる人間など、自分の都合優先の横柄なやつばかりだ。

 こっちが不快だったかなんて気にも留めないだろうし、気付きもしないだろう。自分もそれが当たり前だったし、特段気にもしていなかった。気にするだけ無駄だったとも言える。

 しかし、アズベルトには違ったのだ。

 悪いと思った事に対し『悪かった』と言えるその素直さが眩しくて新鮮で……多分、嬉しかったのだ。

 授業中だったにも関わらず大笑いしてしまい、アズベルト共々怒られた。


 それからよく顔を合わせるようになった。

 アズベルトの訓練に付き合ううちに、騎士の道も面白いかもと思うようになった。

 集団生活が不向きな性格なのは分かっていたが、アズベルトがいるなら悪くないと、本気で思える程には一緒にいて退屈しなかった。

 長期の休みになると、アズベルトの家で過ごす事もあった。

 歳の離れた妹じゃないけど妹がいるとは聞いていて、天使でお姫様なのだといつも言っていたが、会う機会は無いままだった。


 卒業まで後一年と迫った頃、アズベルトの妹が原因不明の高熱で倒れたと聞いた。

 その頃のアズベルトは目に見えて気落ちしていて、見ているこちらが心配してしまう程だった。

 そんな時、回復したお姫様がベッドから出られずご機嫌斜めで顔を見に行くから、一緒に行かないかと声を掛けられ、初めてオラシオンへ行った。


『アズにいさま』と嬉しそうに顔を綻ばせるカナリアは、アズベルトが常から言っている天使そのものだった。

 彼に紹介されてベッドの側に膝をつき自己紹介すると、彼女のふわふわの手が両頬を包み、星のようなキラキラの瞳が視界いっぱいに映り込んだのだ。

 小さな子供の扱いなど知らないし、他人に触れられるなど不快以外に無かったのだが、身体が拒否反応を示す事は無かった。

 純真無垢で何の汚れも無い眼差しが初めてで戸惑うと共に、汚れ切った心が洗われていくような、不思議な気持ちになったのを記憶している。

 カナリアが向けてくれる笑顔は、いつも嘘や偽りの無い、真っ直ぐで眩しいもので、荒み切った心が救われる思いがした。



 その三年後に、カナリアの病気はもう治らないものだと聞かされた。


 騎士の道を模索していた自分が、商人としてのし上がろうと決意したきっかけとも言える。

 この国では、カナリアの病は治せない。治療法すらない。

 だったら他国で医者でも薬でも魔術でも、何でも探してやる。

 必ずのし上がる。その決意と共にこの国を出た。


 それから五年。

 社交界を諦めたカナリアの誕生日パーティーを盛大にやりたいと言うアズベルトからの招待を受け、一時的に帰国した。

 初めて一人前のレディとなって目の前に現れた優艶なカナリアは、筆舌に尽くし難い麗姿であった。

 彼女の手を取り、甲に口付けながら、何故ここに自分以外の男がいるのかと怒りを覚えた程だ。

 彼女の事を何も知らない奴らが、たった一度着飾った姿を見て鼻の下を伸ばしているのが、無性に腹立たしく汚らわしく思えた。


 カナリアは誰にも渡さない


 あと三年。

 カナリアが嫁入り出来る歳になったら迎えに来る。

 カナリアの望む物なら何でも手に入れられる男になって、必ず迎えに来よう。

 その為なら何でもした。

 何でもだ。

 アズベルトやカナリアに言えないような事も。

 二人が知ったら幻滅するかもしれない。

 特にお堅いアズベルトには、二度と友とは言ってもらえないかもしれない。

 それでも後悔はしていない。

 カナリアを守る為なら何だってしてやる。




 そしてようやく、ようやく彼女を迎えに行く為の準備が整った。

 後は今抱えている取引を成功させれば、この国でもある程度の地位を確立出来る。

 あともう少し……



 そう思っていたのに……——



「結婚式……だって……?」



 アズベルトから告げられた内容に、危うく手にしていたカップを落としそうになった。


 誰と……誰が……?

 冗談だろう?


 まさか、兄妹の関係なのかと思っていた二人が、婚姻関係にあると言う。

 しかももう二週間後の話だと。

 平然を装うのにこんなに苦労し動揺したことは、今までに一度だって無かった。

 手が震えそうになるのを必死に堪えた。

 発狂してしまいそうになるのを懸命に飲み込んだ。


 渡さない。

 カナリアは、誰にも、渡さない。

 彼女は私の全てだ。

 私を救ってくれた唯一のひとなのだ。

 例えたった一人の、大切な友人だったとしても、カナリアだけは渡せない。


 商談はダメになるが、そんな事はもはやどうでもいい。

 一刻も早く彼女を手に入れなければ。

 もう直ぐ、ずっと一緒に居られる。

 カナリアとの思い出が詰まったこの場所から。

 私とカナリアの新しい生活が始まるのだ。




 部屋の鍵を開け、中に入る。

 窓際に、こちらに背を向け祈るような格好のカナリアの姿があった。

 声を掛けると酷く怯えたような表情を見せている。揺れる灰銀の瞳も美しい。


「……レオ……どうして……」


 困惑に声を震わせるカナリアが私を映している。

 私だけを。

 その事実がまた、私にはこの上ない喜びなのだ。

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