第四章 忍び寄る魔手
1
「クーラにきゅうこ——っ!!」
思っていた三倍の声量がダイニングに響き、カナは慌てたナタリーに口を塞がれた。幸い今は執務室の書類整理に大体の人間が揃っている筈だから、一階にはカナとナタリーの二人だけだ。
因みに今日もクーラは来ていない。最近は本宅の方も忙しいらしく、そちらに時間を取られてしまっているようだ。
驚いて落とすようにソーサーに置いたカップは、派手な音を立てて中身をそこら辺にぶちまけながら欠ける事なく収まっている。
『カナ!! 声が大きい!!』
「ごっ、ごめん……クーラに求婚されたって、それ本当に?」
「……ええ」
本気で睨まれてしまい、驚いた表情を引き締める。居住まいを正すと、テーブルを綺麗にしてくれるナタリーへと謝意を伝えた。
やっぱり!! そうだと思ってたわ!!
ドキドキと昂る気持ちを抑え、表面上は平静を装う。幾つになっても、どこの世界でも、恋バナはワクワクするものだ。
そんなカナの付け焼き刃なポーカーフェイスからは、心の声がダダ漏れでナタリーにはバレバレだったのだが、そこはメイド。主人の矜持をへし折るような真似はしない。
「それで? どうしたの?」
今はナタリーとお茶を楽しんでいる真っ最中だ。ここのところカナの外出が続いたり、ナタリーも所用で忙しかったりと、二人でのお茶の時間が取れないでいた。
それが久しぶりに時間が出来たと思っていたらこのサプライズだ。嬉しくない筈が無い。
もしかしたらアズが夜会で出掛けたあの時かしら? と当たりをつけながら、今日のお菓子のマフィンを頬張った。ナッツと乾燥フルーツの洋酒漬けがたっぷり入っている、ちょっぴり大人の味だ。これがナタリーの淹れてくれるお茶ととても良く合う。
美味しいお茶に美味しいお菓子、至福の一時だった。
「どうもしないわ。前にも言ったけど、私結婚する気ないもの」
「でもクーラの事、好きなんでしょ?」
「……は?」
ナタリーの視線が上がってきて、目が合った瞬間に疑問符が飛んでくる。本当に驚いた顔をしていて、カナは思わず笑ってしまった。
もしかしなくても、自覚が全く無かったみたいだ。
「だって、クーラと話している時のナタリー、女の顔してるわ! どちらもお互いを信頼しきってる感じだし」
「……なに、言って……」
「あら? 違った? てっきり私、二人は想い合ってるものだとばかり思ってたわ」
本当は半分嘘。クーラの気持ちは分かっていたが、ナタリーの方はいまいち良く分かっていなかった。でも、目の前のいつもクールな表情が、みるみる赤く色付いていくのを見ていれば、カナの表情も緩んでしまうと言うものだ。
「違うわよ! 他の執事よりはちょっと仲が良いかもしれないけどっ!!」
「へぇー」
「一緒に行動する機会が多いだけで」
「そうなんだ」
「向こうがいっつも話し掛けてきて」
「ふぅーん」
「色々手伝ってくれる、から……」
「ふふっ」
ナタリーが違和感に気付いたようだ。カナの顔を見たまま固まっている。
「……これって……」
「クーラはナタリーが大好きみたいね!!」
赤かった頬を耳まで染めて、とうとう俯いてしまった。クーラのアプローチがナタリーには全然響いて無かったのかと思うと、何だか可哀想な気もするが、想いが届いた以上今後は何かしら変化があるかもしれない。それが良い方向なら尚嬉しい。
「私は二人が恋人同士になったら、とても嬉しいわ」
「……ダメよ」
頬を染めて恥じらっていたナタリーの表情が、今度は苦しいものへと変わっていく。視線を少しばかり彷徨わせ、唇を真一文字に引き結ぶ。
彼女をそんな風に追い詰めるものは何なのか、それを知りかったカナは「どうして?」と、問い掛けた。
「……私には守らなくてはならない約束があるの」
「約束……」
「もしも……もしもよ? ……クーラと……恋人、同士になったとして、きっと彼を一番にしてあげられないわ。……そんなの……恋人失格でしょう?」
まるで、『大切だからちゃんと幸せになって欲しい』と、そう言っているように聞こえる。
そんな風に悩む時点で、葛藤が生まれている時点で、答えは既に出ているようなものなのに。
「ナタリー」
穏やかな声色で彼女の名を呼ぶ。宝石のようなアメジスト色が、カナを真っ直ぐに見つめてくる。自分でもどうしていいのか分からない、不安に駆られたような、戸惑いを拭えないような、そんな眼差しだった。
「私は、ナタリーには、誰よりも幸せになって欲しいわ」
「え……」
戸惑いに驚きが足されたようなそんな表情に、カナはふわりと微笑んだ。まるで自分の幸せなんて考えた事も無かった、と思わせるような表情だ。
「それはそうでしょう? 私、ナタリーが大好きよ。大好きな人には幸せになって欲しいわ」
「……っ——」
「その『約束』は、ナタリーの幸せを犠牲にしないと果たせないものなの? そんなの……悲しいわ」
「……カナ、リア……」
やっぱり……
ナタリーの事だから、カナリアさんとの『約束』を果たそうとしているのでしょうね。
その約束が何かは分からないけど、カナリアさんはそうまでして約束を果たして欲しいだなんて絶対に思わない。
それを、ナタリーに分かって欲しい。
「私はアズと幸せになりたい。アズが大切だから、一緒にいて幸せだなって思ってくれたら嬉しいわ」
嬉しい事や楽しい事は分かち合いたいし、悲しい事は少しでも貰ってあげたい。どんな事も一緒に乗り越えて、支えて寄り添って、そうやって一つずつ歳を重ねていけたら、こんなに幸せな事って無いと思う。
「ナタリーにもクーラにも、私を支えてくれる大切な人達全員に幸せになって欲しい。……そう思うのは、ワガママかしら?」
「……いいえ。……当たり前の事だと思うわ」
必ずしも誰かと居るのが幸せとは限らない。いろんな人がいて、いろんな経験があって、沢山回り道があって、出会ったり別れたりを繰り返して、結局は独りを選ぶ事だってあるかもしれない。いろんな選択肢があっていい。その選択がたとえ良かったのだとしても、ものすごく後悔するものだったとしても、ちゃんと自分で選んで決めたのなら、それで良いと思う。
だから選んで欲しい。選択肢を持って欲しい。
最初から決めつけるのではなく、きっとダメだからと諦めるのではなく。自分の力で、自分の事を、しっかり見つめて考えて欲しい。
もしもそれが最良のものであったなら、一緒に喜んで心の底から「おめでとう」ってお祝いしよう。
逆に最悪のものであったなら、一緒に泣いてドン底まで落ち込もう。それからまた一緒に這い上がってくればいい。そうやって支えて寄り添って乗り越えていくのだって、一つの選択肢だと思うから。
「……もう少し……ちゃんと、考えてみるわ」
「そうね。それが良いと思うわ。良かったらまた聞かせて? 今度は叫ばないように気をつけるわ!!」
そう息巻いて見せれば、ナタリーは困ったように眉尻を下げて笑っていた。
そういえばと時刻を確認すると、そろそろお昼の時間を指し示す頃だ。今日は古い友人に会う約束があったらしく、アズベルトは朝から出掛けている。昼頃までには戻ると言っていた筈だから、そろそろ帰ってくるのではなかろうか。
気付いた途端にそわそわとし始めたカナに、ナタリーがクスクスと笑みを零している。
「……ホント、仲良しね」
そんなに態度に出ていたかと思うと恥ずかしくなってしまう。それでも、外から馬の嗎が聞こえてきたなら、椅子を倒す勢いで立ち上がり、玄関へと駆けてしまっていた。
カナが玄関へ辿り着くと、丁度アズベルトと共に外出していた執事が扉を開いたところだった。
「アズ! おかえりなさい」
側へ寄ったカナがハットを受け取ろうとした時、大きな手と逞しい腕がカナの身体をふわりと抱き締めた。
「ただいま」
アズベルトの低くて心地良い声が直接耳に届くと、カナの心臓がトクリと音を立てる。頬に手が触れ高いところを指で撫でられれば、それが合図とばかりに優しいキスが落ちてきた。
ハッと気が付いた時には、周りの執事やメイド達が微笑ましそうに頬を染めているではないか。
やってしまった……
スキンシップは嫌いでは無い。が、しかし、時と場合による。イチャイチャはしたいが、人前でとは思わない。嫌な訳ではなく単純に恥ずかしいのだ。こんな風に生暖かい目で見られるのが辛いだけだ。
なのに、アズベルトはそんな事はお構い無しらしい。流石に
もちろん周りが身内だから、なのだろうが……そこの温度差は否めないし、埋まっていない。因みにカナは埋めたいと思っているが、アズベルトにその気があるかは定かではない。
誰よりも頬を染めて恥じらうカナに、アズベルトが楽しそうに笑いながら身体を開き外が見えるよう脇へずれると、カナの背中に手を添える。
「今日はカナにお客様があってね」
「え?」
そんな予定があっただろうかと首を捻っていると、新たな馬の蹄の音と共に一台の馬車がつけられた。
アズベルトの馬車と遜色ない立派な馬車の扉が開き、御者の肩を使いながら一人の男性が降りてきた。
「カナリア! ……久しぶりだね」
そう言ってこちらを見つめるその人は、アズベルトに引けを取らない程の超絶金髪イケメンだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます