章閑話—9 メイドと執事—3
実家へ帰ってきて三日が経った。
父も帰って来て、私の作った食事を一緒に摂る事が出来たし、二人の兄も休みを取って帰って来てくれた。久しぶりに家族で過ごす事が出来て、気持ちも身体もゆったり休む事が出来た様に思う。
二人の兄は、私が言うのもアレだが、妹を溺愛している。もしかしたら、私に見合いの話が一切来ないのは、彼らが裏で何らかの工作をしているからかもしれない。そう疑ってしまう程、私は可愛がられていると思う。
長兄は帰ってくる度に服や装飾品を買ってくるし、次兄も次兄で美味しそうなお菓子や可愛い小物を買ってくる。使う機会が無いと言っても「分かった」と言いつつ、聞き入れて貰えないのだ。二人に特定の女性でもいればもう少し現状は打開されるのかもしれないが、今のところその予定はなさそうだ。
もし、私に結婚したいと思える人が出来たら、まずこの二人の兄を攻略して貰わなければならないのだ。……大変だろうな。
気持ちが固まり、心にも少しばかり猶予が出来たおかげか、気持ちが大分楽になったように思う。
実家ではあまりやる事がない。基本、家にいるメイドがやってくれるからだ。なので、大体の時間を母と過ごした。一緒にお茶をしたり、おしゃべりをしたり、刺繍をしたり。そこに時折兄達も混じって、幼い頃以来家族で過ごしている。
お屋敷にいた時とは違う、穏やかな時間を過ごしながら、その合間のふとした時にカナリアとアズベルト様が浮かんだ。二人は今どうしているだろうか、と。そして何故だかクーラも過ぎる。その事に酷く困惑した。今まではクーラの事を考えて、眉間に皺を寄せる事なんてなかったからだ。
その原因は母達にもあった。ことあるごとに、母は「良い人はいるの?」「どんな人がタイプ?」「歳の差の許容範囲は?」なんて、カナリアみたいな事を聞いてくるのだ。それに対して、まだ早いだの、堅実で社交性の高い奴にしろだの、五歳以上離れたら駄目だの、兄達が注文をつけてくるのだ。
何がおかしいって、そんな話をされる度に頭によぎる人がいる。その理由は分からなかったが、おそらく帰省する直前に言われた『帰ったら伝える』のあの言葉が、ずっと引っかかっているせいだと思った。
本当はもう少し母と、家族と過ごしたかった。
でも、カナリアとアズベルト様が心配で、これ以上耐えられそうにない。不本意だけど、気になる事もある。
七日休んで、その日朝早くにお屋敷へ戻った。
朝早かったにも関わらず、両親も二人の兄も見送りに出てくれた。父は私の身体を気遣ってくれたし、母はいつでも帰ってらっしゃいと送り出してくれた。長兄は何かあったら頼れと言ってくれたし、次兄は泣きそうな顔で寂しいと言いながら渋々送り出してくれた。
家族の温かさが、沈んでいた心を持ち上げ癒してくれた。
心は決まった。私は、もう迷わない。
朝一で別荘へ戻ると、驚いた顔のアズベルト様が出迎えてくださった。「もういいのか」と気遣う姿は以前のようで、屋敷を離れた時の疲れた姿はどこにもない。
決心をお伝えしたら、笑顔で「おかえり」と、そう言ってくださった。涙が出そうだった。
一緒にカナリアを起こしに行くと、アズベルト様の寝室に案内されて、正直驚いた。
ベッドには幸せそうに眠るカナリアの姿があり、彼女を優しく起こす旦那様もなんだか甘い。ここにいても良いものだろうかと戸惑いながら、寝ぼけた顔でこちらを見るなり、胸に飛び込んできたカナリアを受け止めた。
柔らかくて、ふわふわで、天使だった。
ふたりの雰囲気が温かく穏やかなものに変わっていた。
ふたりの心も決まったのだと推察する。
あんなに心を埋め尽くしていた不安が嘘のように晴れた。
私の心も決まっている。
私は、ずっとカナリアの側にいる。
アズベルト様が城の夜会へと出かけた夜、本宅から執事が三人派遣されて来た。何で? というか、やっぱりというか、よりによってクーラがいた。
そして何故だか顔が見れない。自分でも変に意識してしまっているのが分かる。訳が分からなくて戸惑った。
おかしい。こんな事、今まで一度だって無かったのに。
夕食の時間になり、カナリアの提案でメイドも執事も全員同じテーブルで食事を摂った。本来なら主人と同じテーブルに着くなんて事は有り得ないのだが、カナリアに上目遣いでお願いされていた執事達には、断るという選択肢は与えられなかったようだ。二つ返事で席へと着いていた。
なかなか『カナリア使い』が上達している模様だ。
何となく気恥ずかしくて、クーラときちんと話が出来ないまま、カナリアが寝室へ入った。夕食の時は皆んなと楽しそうに言葉を交わしていたが、ベッドに入り灯りを消す頃には何だか元気がなかった様に思う。心配だったからアズベルト様がお戻りになるまでは寝ずに待機していようと考え、隣室へと入った。
そこで目に入ったのは、昼間にカナリアと一緒に作ったお菓子だ。クーラにあげる約束をしたとかで、直接渡せばいいものを私に預けてきたのだ。どうしようかと迷いに迷ったが、主人の頼みを無下には出来ず、渡しに行くため部屋を出た。
階下へ降りようかというところで、ばったりクーラと遭遇した。向こうも用があるように見受けられたが、一向に話を切り出す様子がなかったので、先に用事を済ます事にする。可愛らしく飾りつけられた小箱を渡した。
「これ、カナリアから」
「まっ、まさか……カナリア様手作りの……?」
「ええ。クッキーよ。ありがとうって伝えてって……」
希少なカカオまで使って格子状の模様が入っていたり、ハートや星形に抜いたりして、一生懸命作っていたものだ。
よっぽど嬉しかったのか、受け取った途端にクーラは歓喜に震えていたようだった。そんな姿が不覚にも可愛らしく見えてしまい、くすりと笑みが零れてしまった。幸い、彼には気付かれていなかったようで、慌てて口元を引き締める。
「で? 貴方の用事は……」
途端に彼が表情を引き締め真剣な顔をするものだから、思わず見つめてしまった。仕事中はきっちりと撫で付け、後ろに流している赤茶色の髪と同じ色の瞳が、まるで全てを見透かすかのようにこちらへ向けられ、それに耐えられず視線を外してしまった。
「ナタリー、何か——」
クーラが何かを言い掛けた時、近くで扉が閉まる音がした。静かな中にやけに響いて聞こえたそれに、肩がビクリと跳ねる。悪い事など何もしていないが、反射的にキョロキョロと周りを確認してしまう。
「ちょっと来て」
「え? ちょ……」
手首を掴まれ、抵抗する間もなく、一緒に大階段を降りた。回り込むとキッチンへ続く廊下側、大階段の真下に小部屋があり、そこへ押し込まれた。ただでさえ狭い上に物置になっている場所だ。子供が隠れるにはうってつけだろうが、大人が二人で入るには少々狭すぎた。
普段よりもずっと近しい距離感に、先程驚いた拍子にドキドキと鳴っている鼓動がより大きく聞こえる。
「何でこんなとこ——」
「ナタリー、何かあったか?」
「え……」
いきなり核心を突かれてしまい、僅かに動揺した。目が泳いでしまったのは、多分ばっちり見られた筈だ。
「いや、あの時泣いてたみたいだったし、何か元気も無かったし……。それに、こんなに長い間カナリア様のお側を離れた事なんて無かったろ」
「それはだから、カナリアが元気になってきたから——」
「俺の方を見て言えよ」
「……っ!!」
クーラに両肩を掴まれる。あの時と同じ、彼の手は驚く程に熱い。
「俺には言えない事なのか? 俺はそんなに頼りないか?」
「ちが……違う、の……そうじゃ、なくて……」
言えない……言えないんだよ……
カナリアが死にました。今居るカナリアは『かな』という異世界の人間です。
なんて、そんな事……言えると思う?
「俺じゃ、ナタリーの力にはなってやれないのか?」
「……そういう問題じゃなくて……ごめん……どう、言ったら良いか、分からない」
肩を掴まれた手に力が入った。手のひらの熱が、服の上からでも伝わってくる。
本当は全部言ってしまいたい。……ずっと苦しかったから。……一人で抱えるのが辛かったから。
だけど……ごめんね。……出来ないんだ。
私にはカナリアが全てだから。
誰よりも、何よりも、一番はカナリアだから。
彼女に危害が及ぶ可能性は、全て潰しておかなければならない。例え身内を欺く事になっても……。
貴方を、傷付ける事になったとしても……。
「ありがとう、心配してくれて。……それだけで十分よ」
「ナタリー……」
「もう大丈夫。もう迷わないって決めたの。だからもう心配掛けないから——」
引き寄せられたのか、彼が近づいて来たのか分からない。気が付いたら彼の胸の中にいた。
「!!」
「良いんだよ! 心配は、俺が勝手にするんだから!!」
背中に回された腕がきつく締まっていく。早鐘を打つ鼓動をはっきりと感じた。自分のものなのか、クーラのものなのか、そんなのはもう分からなかった。顔が信じられないくらい熱くて、彼の手のひらから伝わる熱が全身を巡っているかのようだった。
「俺じゃ頼りないかもしれないけど……何かあるならちゃんと言えよ! こんな風にいきなりいなくなったりしたら、許さないからな!」
「クーラ……」
「ナタリーの一番がカナリア様だって知ってる。だから一番じゃなくていい、二番でも十番でもいいから……俺の事も、見て欲しい」
「!!」
「ナタリーが好きだ。……ずっと好きだ。俺が、君に求婚する」
激しい鼓動と締め付ける腕のせいで、息が詰まって苦しかった。それでも、息が出来なくて苦しくても、何故かここから出たくないと、彼の側から離れたくないと、そう思ってしまった。そんな自分に一番驚いた。
……そんな事、許される筈もないのに……。
「返事は待つ。何日でも何ヵ月でも何年でも。……だから、ちゃんと考えて欲しい」
……バカね……
「……ありがとう、クーラ……その気持ちだけ、貰っておくわ」
「ナタリー!」
自分の考えを断ち切るように、彼から身体を離すと、揺れる瞳を真っ直ぐに見つめた。目の奥がやけに熱くて痛かった。
「だけど、ごめんなさい。クーラの求婚には応えられない。……貴方に私は相応しくないわ」
それだけ告げて部屋を出た。
大階段を登り、控え室へと戻る。
その間ずっと涙が溢れて止まらなかった。
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