7
カナは今、アズベルトとナタリーと共に馬車に揺られながら、緊張に身を固くしていた。
今日は彼の友人でもあり、王室付魔導師と言う肩書を持つゲネシスから招待を受け、登城するところなのだ。
自分の隣で表情どころか身体まで固くしているカナに、アズベルトがフワリと笑う。
「そんなに固くならなくても大丈夫だ。気軽なお茶会とでも思っていてくれ」
「え、ええ。大丈夫。分かったわ」
「この間の話の続きがしたいだけだと言っていたから、マナーや作法なんかも気にしないでいい」
「そうなのね。……有り難いわ」
先日、朝早くに別荘を訪れたゲネシスが、二人との雑談の中でカナの世界の話に非常に興味を持っていた。電気や家電についての話は特に詳しく聞きたがっていたのだが、その日も忙しかったようで、遠出しなければならないからと泣きそうな顔で呼びに来た弟子に連れられ、渋々帰って行った。直ぐに機会を作るからと言われて、晩餐会の終わったこのタイミングとなったのだ。
「話すのは構わないけど、私、原理とかわかる訳じゃないのよ? お役に立てるか不安だわ」
「その辺は問題ないよ。そのまま再現出来るかと言われたら、それは無理な話だろう。何分研究職だからね、まぁ探究心を満たしてやって欲しい」
「……努力するわ」
不安な気持ちを抱えたまま、城壁を潜り城の正面で止まった馬車から外へ出た。
一度、別荘近くの塔から眺めた事はあったが、近くで見るとまた迫力が違う。歴史を感じさせる重厚感も、見ているだけで緊張してしまう程の圧迫感も、白で統一された外壁の見事なまでの美しさも、この国の象徴として厳然とそこにあった。
「ここが、アズの職場だったのね……すごい……」
目の前の光景に圧倒されていたら、ナタリーから注意を受けた。口が開きっぱなしになっていたらしい。ナタリーからは嗜められ、アズベルトからは笑われ、恥ずかしさに頬を赤く染めながら、差し出された彼の手を取って西棟へと向かった。
城壁に沿ってしばらく進むと、魔術師達が管理している薬草園に差し掛かる。ここの薬草は西棟によって厳重に管理されており、入り口には出入りを感知する魔術が施されている。このシステムのおかげで、無断で出入りはもちろんのこと、持ち出しも出来ないようになっている。カナはそれがまるで監視システムの様だと思った。
「うわぁ……素敵ね……」
薬草園へ足を踏み入れると、そこはまさに圧巻の一言だ。敷地面積はそれほど広くはない筈なのに、いろんな種類の薬草やハーブ、見たことのない植物が所狭しと植えられていた。そこまで詳しい訳ではなかったが、ミントやカモミール、バジルやタイムなど知ってるものもあって、カナは興奮気味に通路を歩いていく。その後ろ姿を微笑ましく見つめるナタリーにアズベルトが声を掛けた。
「うちの庭にハーブ園でも作ろうか?」
「カナリア様は料理もなさいますから、それはとてもお喜びになりますね」
「土いじりもやりだしそうだな……」
「……間違いないかと……」
足を踏み入れた西棟は、別荘では目にする事のない道具で溢れていた。恐らくガラスで出来ているであろう様々な形の器具がいくつも置かれ、見るからに高そうな装丁の分厚い本はそこかしこに積まれている。作業台の上には山積みになった植物や、小分けにされた薬草、何かわからない物体や木片、鉱物なんかもあった。空間を占めている臭いも何だか病院に来ているような、その場にいるだけでそわそわしてしまいそうな、そんな錯覚に陥ってしまいそうだ。アズベルトやナタリーにとってはあまり長居したいとは思わない空間だ。カナも普段ならそうなのだが、今日に限っては何だか学校の化学実験室に入ったかのような不思議な懐かしさに、緊張も相まって興奮気味に辺りをキョロキョロと見回している。
「何だかワクワクする場所だわ!」
放っておいたら部屋の隅から隅まで見て回ってしまいそうで、アズベルトはそうなる前にとカナを早々に昇降機へ案内した。ゲネシスの研究室のある最上階まで移動するための装置なのだが、それを見た途端にカナの瞳が輝き出した。「何これ、エレベーターみたいだわ!」と、嬉しそうに話すカナは、昇降機が動いている間は怖いからとアズベルトにピッタリくっついていたが、ゆっくりと浮上していくその乗り心地に終始興奮気味だった。
そして極め付けは研究室に入る時の扉だ。取手が無く、弟子の人間が扉近くの突起物に手を翳すと自動で開くのだ。勿論魔力によって動くのだが、室内で待っていたゲネシスと対面する頃には、すっかりお気に入りの玩具をもらった子供の様に瞳を輝かせていた。
「魔術ってすごいのね! ここに来てオートロック式の自動ドアが見れるなんて思いもしなかったわ」
ゲネシスは現代魔術の粋を集めた技術の数々をあたかも見知っているかのような発言に驚き、同時に楽しんでもらえている様で何よりだと笑みを深めるのだった。
少人数で囲むのに丁度いい丸テーブルには、以前アズベルトが訪れた時と同じように椅子が三脚置かれている。促されてカナとアズベルトが座り、ゲネシスがお茶の用意をしようとしたところで、ナタリーがその役をかって出た。ゲネシスが魔力を使ってお湯を沸かすのをカナとナタリーが目を丸くして眺めている。ナタリーがティーポットにセットした茶葉を蒸らしている間に、アズベルトがゲネシスへ胡乱な眼差しを向けた。
「まさかジルまで来ないだろうな」
「彼なら今日は会合に出席している筈だ。都合がつかなかった事をとても残念がっていたよ」
お茶と持参したお茶菓子を配り終えたナタリーに、小声でジルとは誰かを尋ねる。この国の皇子で二人の学友だと知らされたカナは、都合がつかなくて良かったと、心の底から安堵した。
一息ついたところで、早速ゲネシスは本題に入った。カナは、原理やなんかはわからないと前置きした上で、電気や家電の話に加え、発電所や浄水場、工場や百貨店、物流のシステム等、様々な話しをした。西棟に来てから見た監視システムやエレベーター、自動ドアなどについてもカナの世界では普及していて、馴染みのあるものだと伝えた時には三人とも驚いていた。
アズベルトもカナの話には興味を持っていたが、工場や百貨店、物流の件にはさらに興味を抱いたようだ。カナが一通り話し終わった後も、ゲネシスと二人討論を続けている。話の内容が政務に移ったところで、カナは二人に許可を貰いナタリーと共に薬草園を見学する事にした。
ゲネシスの研究室の扉を開けてくれた弟子の青年に案内され、先程歩いた通路をゆっくり見て回る。カナの常識では罷り通らない栽培技術や方法が取られているようで、日本では科学技術が溢れていたのと同じ様に、ここでは魔術が日常に溢れているのだと実感した。
薬草を育む為の魔石を見せてもらっていると、突然後ろから若い女性に声を掛けられた。お付きの人間を侍らせ、派手な身なりでこちらにやって来たどこかの貴族令嬢が、弟子の静止を無視して薬草園へ入ってくる。周りの魔術師たちが忙しなく動き出したことから、警報装置が作動したらしい。あらあらと思いながら、カナは目の前までやってきて不遜な態度でこちらを
「ここは許可が無いと入れない場所ですよ?」
「あなたでしょう? アズ様のお荷物婚約者って」
開口一番に悪意をぶつけてくる令嬢を見据える。口元を引き結び、何か言葉を飲み込んだように見えたのだろう。令嬢はフンっと鼻を鳴らし、センスで隠す口元を大いに歪めて悦に入っている。
「あなた、病弱なんですってね」
「カナリア・オラシオンと申します。以後お見知り置きを」
スカートを摘んで礼をするカナへ、上から下まで値踏みするように無遠慮な視線が向けられる。歳はカナリアよりも上だろうか。髪型もドレスも全体的に盛られていて、派手な印象を受ける。身体に自信があるのかオフショルダーで大胆に肌を見せた作りで、はち切れそうな胸がよく強調されたドレスだ。何をどれだけ食べればこんな風に育つのか、確かに肉感的な彼女からすればカナリアの体型は病弱でお子様だろう。これに関して反論の余地はない。
「ベッドがお友達なんですってね? そんな身体でお忙しいアズ様の妻なんて務まるの? 頼りない痩身で跡取りなんて産めるのかしら?」
「……」
「本当に彼の事を想うのなら、さっさと身を引くべきではなくて?」
正論だ。まさに彼女の言った通り、きっとアズベルトに想いを寄せる令嬢なら誰もがそう考えたことだろう。自分が一番良くわかっているのだ。が、それにしてもだ。
「余計なお世話ですわ」
「……は?」
笑みを浮かべる令嬢の顔が引き攣っているが、そんな事はお構いなしにナタリーへと小声で問いかける。
「どちら様かしら? アズの血縁の方?」
「いいえ。こちらはラフィカ・ビエント令嬢です。ビエント辺境伯家のご息女でいらっしゃいます。フォーミリオ侯爵家との血縁は一切ございません」
「そう、ありがとう」
にっこりと微笑んだカナが、表情筋を引き攣らせている令嬢へ改めて向き直る。
「失礼いたしました。なにぶん皆様へのお目見えが済んでおりませんもので、どうぞご容赦ください。初めてお会いしたにも関わらず、ご心配のお言葉、痛み入ります。……ですが、それは私とアズの問題。他人にとやかく言われる様な事ではございません」
「……っ!!」
「そろそろ戻らなければなりませんので、こちらで失礼致します」
最初にしたのと同じ様に礼の姿勢を取り、ナタリーと共に西棟へ引き返そうと令嬢に背を向ける。反論されて呆然としていた彼女が怒りで顔を赤らめカナを呼び止めようと声を上げた時だ。
「今日の庭は……随分と小鳥の囀りが賑やかだね」
アズベルトともゲネシスとも違う、低く穏やかなそれでいて圧を感じさせる声が耳に入った。
その場にいた全員が振り返った先、薬草園の入り口からこちらへ向かって歩いてくる一人の青年が、まっすぐカナを見つめている。
この国の国旗と同じ茜色の正装に、金糸で縁取られた黒のサッシュを掛けたその人は、礼の姿勢をとっている令嬢の横を通りすぎると、カナの前で立ち止まる。呆然とその姿を眺めていたカナだったが、気がつくと周りの人全員が頭を下げているのに気がつき、慌ててスカートの端を持ち上げた。
「楽にして。……君がカナリア嬢?」
「は、はい。カナリア・オラシオンと申します」
あー嫌な予感と思ったが、その予感は的中していた。
威圧感の半端ない青年は、令嬢に視線を向けないまま控えていた騎士に彼女を拘束させた。薬草園は無断での立ち入りを禁じている。国王が住まう城の一角に造られたその場所では、毒の材料ともなり得る薬草を栽培している。それらが悪用されないよう、西棟の魔術師たちによって管理させているのだ。その禁を犯したものは例え貴族だろうと処罰の対象となる。先程までの威勢がすっかり失せ、青い顔で連行されていく令嬢を横目で見送りながら、カナは目の前で何故か嬉しそうに緩く瞳をしならせる青年を見上げた。
「ジル・ルーディアナ・エルゼクト。アズの友人だ。ジルと呼んで欲しい」
まさかの皇子の登場に、カナは今すぐ別荘へ帰りたいと思った。せめてアズベルトの元へ。
そんなカナの心情を知ってか知らずか、くすくすと楽しそうに喉を鳴らすジルがカナへと右手を差し出してくる。盛大に溜め息を吐き出したいのをグッと堪え、カナはその手をとった。
「時間はまだあるだろう? 庭を案内させてくれないか」
「えぇ、ジル様。光栄ですわ」
断れる筈もなく、カナは何故か皇子にエスコートされ、地雷しかない王城の庭へと足を踏み入れたのだった。
「余計な世話だったかな?」
手入れの行き届いた素晴らしい庭をゆっくりと散策しながら、ジルが不意に口を開いた。
今は護衛もいなければナタリーも居ない。彼女はジルからアズベルトへの「奥さん借りるね」という伝言を預かり、西棟へと送られてしまったのだ。こんな事になるならアズベルトの側で大人しくしているのだったな、と大いに後悔しながら、カナはジルを見上げて眉尻を下げた。
「いえ。正直助かりました」
正論を悪意と共にぶつけられ、頭に血が上ってしまった。もっと他に言い回しがあっただろうし、あれくらいの嫌がらせなど流せるくらいでないとこの世界では上手く立ち回る事など出来ないだろう。分かっていたのに結局あのザマだ。しかもそれをよりによって皇子様に見られていたとは。今更ながらに恥ずかしい。
「気にする必要はない。君の言った通りだしね」
「……ですが事実です」
ジルが足を止めた事で、カナもその場に立ち止まる。こちらに向けられたルビーの様に美しい瞳を見上げ、その先を促されている様な気がしたカナは、その視線を近くに咲く花へと投げた。
「私が彼の妻になるには不十分だというのは、本当の事ですから……思わず反論してしまいましたが、悔しいですね」
「それでも君達のは正当な手順を踏んだ王家公認の婚姻だよ。私が承諾書にサインしたからね」
「えっ? そうなのですか?」
驚きに目を見開いてジルを見つめるカナに、彼はイタズラっぽい笑みを浮かべた。
「アズは昔から君にぞっこんだったよ」
「まぁ……」
悪事をバラす子供の様に笑うジルに、カナも思わず笑ってしまう。
「それに身体だって良くなっているだろう? だったらこれからじゃないか」
まるで事情を知っているかのような言い草にハッとした。じっと見つめるも、柔らかく微笑むその表情からは何も読み取る事が出来ない。そんなカナに、ジルはくすくすと喉を鳴らした。
「君は素直な人だね。何を考えているのか、どう思っているのか、表情から筒抜けだよ」
「高貴な方とお話しする事に慣れていなくて……不快だったなら申し訳ありません」
皇子相手に疑いの眼差しを向けるなど、不敬に当たるだろうかと思ったが、ジルはふわりと微笑みカナを見下ろしている。
「いや、むしろそのままが良い。……アズは本当に苦労してきたから……だから側にいてくれるのが君なら、安心だ」
「ジル様……」
「アズを、頼むよ」
「……はい」
「カナ!!」
遠くで呼ぶ声が聞こえ、時間だなと呟くジルと共にアズベルトの方へ向かった。
二人を探していたアズベルトとゲネシスと合流すると、ジルは皇子とは思えない気安さで二人と言葉を交わし、別れ際に「話せて良かった」と、カナの手の甲に掠める様なキスを落として戻って行った。
「カナ、大丈夫だったか? 目を離してすまなかった」
「大丈夫よ。殿下も助けてくださったし」
聞けばビエント令嬢は、先日の晩餐会でもアズベルトに絡んで来たのだという。その時に軽くあしらったのが気に入らなかったのかもしれない。
「辺境伯には正式に抗議文を送るから」
そこまでしなくてもと嗜めるカナだったが、珍しくナタリーがアズベルトに激しく同意した為に、抗議文は決定事項になりそうだ。
「疲れたろ?」
「……えぇ。流石に……」
応えるや否や、カナの身体がふわりと浮いた。例に洩れず少女らしからぬ声を上げ、彼の首へとしがみつく。抗議の眼差しを向けるも、アズベルトはどこ吹く風だ。
「ジルとは何を?」
「お城の庭を案内していただいたの」
「それだけ?」
「アズを頼むって言われたわ」
「何て答えた?」
「はいって。……皇子様に頼まれてしまったらお断り出来ないわ」
「皇子様じゃなくても断らないで欲しいな」
「……勿論よ」
そんな事、する訳ない。
何を言われようと、どう思われようと、
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