第4話 私のことなんてなんとも思っていない

 リフェウスはロイシュネリアのことを道具として見ていると思っていた。でも違った。ちゃんと、ロイシュネリアのことを考えてくれていた。ロイシュネリアにいやだという選択肢を与えてくれた。

 その時から、ロイシュネリアの心はリフェウスに囚われている。


 だがリフェウスの心がどこにあるのかは知らない。

 先視をしようと思ったこともない。

 だって、怖いから。

 彼が幸せそうな家庭を築いている様子なんて、見たくないから。


 そこに自分がいないことくらいは、わかっている。

 なぜなら、ロイシュネリアは女神の愛し子だからだ。

 この力は、処女でないと保てない。そういう力なのだ。だから結婚できない。女神の愛し子はそうそう生まれてくるものではない。特にロイシュネリアほど強い先視の力は、現時点では世界にただ一人だろう。

 だから自分は死ぬまで愛を知らず、腕を切り続ける。それが自分の人生なのだと思っていた。


 ――でも、そうじゃなかったのね。


 ルクレシウスはロイシュネリアに結婚を命じた。

 自分の力が脅威だというのはわかる。

 今まで先視の力のおかげで生き残れてきたのは事実。でもこの力が自分を幸せにしてくれているかというと、疑問が残る。

 先視の力への未練はない。

 でも失ったあとのことを思うと、不安になる。


 ――とりあえず、クレオ様とリフェウス様のお相手が私ではないということくらい、確かめておかないと。


 心の中にクレオメデスを思い浮かべる。

 水盤の中にふわりと浮かんできたのは、クレオメデス……と、ルクレシウス。ルクレシウスは今よりも背が高くなり、貫禄がついている。だからこれは未来の景色に違いない。ルクレシウスは美しく着飾った女性の手を取っている。浅黒い肌、波打つ黒髪……あれは、ノドスの姫?

 ルクレシウスと女性が仲よさそうに寄り添う。彼女のおなかは少しだけふくらんでいるように見える。そんな二人を、目を細めて見ているクレオメデスは、今とあまり変わらないようだが……


 ――思った通りね。


 あまりに予想通りの未来におかしくなった。

 クレオメデスはこの先も変わらず主君のそばにいる。

 次は、リフェウスだ。


 視たくない気持ちが強いが、彼のそばに自分の未来がないことを確かめなければ、諦めがつかない。前向きに婚活するためにも、視ておく必要がある。

 ロイシュネリアは心の中にリフェウスを思い浮かべた。銀色の髪の毛の、氷の刃のような男。ロイシュネリアの傷をいつも手当してくれた男。

 水盤に浮かんできたのは、ノドスの姫だった。さっきと同じ服装、ちょっとふくらんだおなか。


 ――あら? おかしいわね。ノドスの姫はルクレシウス様の奥方のはず。


 ノドスの姫が誰かを見つけて手を振る。その先にいるのは……


 ――リフェウス様?


 今は短い髪の毛がぐっと長くなり、背中でひとつに束ねている。相変わらず見とれるほど美しい顔だが、目付きは鋭い。その隣に、誰かいる……誰だろう……女性がいるのはわかる……リフェウスが彼女を抱き寄せる……信じられない、リフェウスが彼女に対して微笑んでいる。皮肉っぽく歪めた顔なら見たことがあるが、あんなふうに優しげに微笑むところは見たことがない。二人がとても親しい間柄であることが見て取れる……誰なの……?

 もっとよく見ようと水盤に顔を近づけた刹那、水盤が音を立てて割れた。


「……っつぅ……っ!」


 飛んできた破片が肩に当たり、思わずよろける。飛び散った血交じりの水が、白い法衣を濡らす。


 ――どういうことなの……。


 ロイシュネリアは傷口を反対の手でふさぎながら、砕けた水盤の残骸を見下ろした。

 先視の水盤が割れる理由はひとつしかない。

 先視の対象が自分と同じ「神々の愛し子」である時だ。

「神々の愛し子」同士だと、お互いの力が通用しない。

 ロイシュネリアは愛し子の先視ができないのだ。

 だからロイシュネリアは自分の未来も先視できない。


 ――私、ということはあり得ないわ。だってリフェウス様は私のことなんてなんとも思っていないもの。


 そんなのは態度でわかる。

 リフェウスは自分のことを信用していない。ルウォールのために先視をしてきた過去があるからしかたがない。どんなに言葉を尽くしても態度で示しても、もう一度ルウォールに囚われてエランジェのために殉死でもしなければ信用してもらえないだろう。


 ――ということは、私以外の「神々の愛し子」がリフェウス様の妻になるということ……?


 あり得なくはない。ロイシュネリアのようにシアの血を持つと自覚している者以外にも、シアの血を継ぐ者はいる。自分がシアの末裔だと知らない者だって、たくさんいる。女神の力は血の濃さで発現するわけではない。

 ロイシュネリアはよろよろと数歩下がると、ペタンとその場に座り込んだ。


 ――そうなんだ……。


 リフェウスは、自分以外の「神々の愛し子」を妻に迎える。……らしい。


 ――でも、今のところは、よ。未来は決まっていない。


 邪魔をすればその未来は違ってくるかもしれない。と思ったところで、我に返った。

 そうだ、クレオメデスとリフェウスを先視したのは、自分がこの二人の妻にはならないということを確かめたかったからだ。クレオメデスに結婚の兆しはなくて、リフェウスは妻に自分ではない神々の愛し子を迎える。

 それを知りたかったのだ。

 自分はこの二人の妻にはならない。


 ――これで安心して婚活できるというものだわ。


 先視をしたのは、リフェウスの幸せの邪魔をするためではない。


 ――クレオ様は、将軍だから、軍人にお知り合いが多いわよね。


 どんな人を紹介してもらおう?


 ――リフェウス様はどんなお知り合いが多いのかしら。あの方、あまり愛想がよくないから友達も少なそうよね。紹介できるような知り合いなんているのかしら?


 だめだ、リフェウスの友達「らしい」人たちが思い浮かばない。それなのに、クレオメデスに張り合おうとしていた。そう思うとおかしくなってくる。


 ――結婚するなら、優しい人がいいわ。それから、私の腕の傷にびっくりしない人ね。それから……そうね……子どもを大切にしてくれる人かな。私の父親は私が金になるといって突き出したものね。


 結婚について考えてみるが、どうにも自分のこととして考えることができない。


 ――そういえば、私が処女を失えば先視できなくなると知って、襲われたことがあったわね……。


「神々の愛児」が処女や童貞を失うと力もなくしてしまうことは、よく知られている話である。

 あの時、助けに来てくれたのはリフェウスだった。

 恐怖のあまり強がることもできないロイシュネリアを抱きしめて、「もう大丈夫だ」とずっと言ってくれていた。

 あの時、どれだけ嬉しかったか。安心したか。


 なぜリフェウスのことばかり考えてしまうのだろう。確かに接触が多かったのはリフェウスだが、クレオメデスとも、ルクレシウスとも、それなりに関わっていた。一緒に死線を潜り抜けてきた。それに、リフェウスとは何かと言い合いをしている。信用できない上に、かわいげのない女だと思われているのは間違いないのに。だから、リフェウスの妻が自分ではないことは当たり前なのに。


 頭に浮かぶのは、先視で見たリフェウスの横にいた女性……顔は見えなかったけれど、かわりに優しげに微笑むリフェウスは見えた。どれだけリフェウスにとって彼女が特別か、それだけでわかるというものだ。


 リフェウスは最愛の人と結婚する。

 その事実がどうしても受け入れられず、ロイシュネリアはしばらくその場に座り込み続けた。


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