第3話 もっと自分の気持ちを押し付けろよ、オレに

 月の女神シアの血を継ぐシアの民には時々、「女神の愛し子」と呼ばれる者が現れる。能力についてはまちまちで、ロイシュネリアの場合は未来を視る能力が現れた。この能力は、処女または童貞を失うと消えてしまう。「女神の愛し子」はシアの子孫に生まれるが、愛し子同士から生まれてくるというわけではなく、血の濃さはあまり関係がない。


 ロイシュネリアに先視の力があると気付いたのは、実の父だった。物心つく前にロイシュネリアをシア神殿に売り飛ばしたのである。

 そこでロイシュネリアは、それまで自分で制御できない先視の力を確実に制御する方法を教えられた。

 自らの血を流し込んで赤く染めた水盤を通せば、視たい未来が視える。


 ただしロイシュネリアが視るのは、水盤を覗いた時点で確定している未来だ。たとえば未来を視たいと思う対象をルクレシウスとする。ルクレシウスが現時点で出かける予定がある時に水盤を覗けば「ルクレシウスが出かける未来」を視ることはできるのだが、そのあとで発生したトラブルでルクレシウスが予定を取りやめた場合は、先視が外れる。

 何もかもが視えるわけではない。確かなものでもない。そのためルウォールにいたころは小刻みに先視をさせられ、傷が癒える間もなかった。腕からばい菌が入って高熱を出したことも一度や二度ではない。


 そうなりたくはないから、普段は知識や情報をフル活動して「ルクレシウスがこの時期に出かけるのは視察のため。だとしたら、行く先は……」などと、視た光景から対象の行動を予測して「先視」として進言するようになった。多少の誤差は許してもらえる。大きく外すと先視としての価値が落ちるから、そこは気を付けた。だから情報収集は欠かさなかった。

 ロイシュネリアは人が思うよりも物知りなのだ。


 最初は里のシア神殿で先視をさせられた。

 腕を切るのがいやでいやで、泣いていやがるたびに何か薬のようなものを飲まされたことを覚えている。母がずっと抵抗してくれていた。やめて、わたしの娘を返して。その子の腕を切らないで。痛いことをしないで。そのたびにまわりの大人たちが母をひきずって遠くに連れていく。

 悲しかった。こんな力があるせいで自分は父に売られ母と離れ離れになってしまった。


 そんな日々が続いていたある日のこと。シアの里に先視できる娘がいるという噂を聞きつけて、ロツ族の人々がやってきた。彼らはシアの民の里をことごとく壊してまわり、神殿の中にいたロイシュネリアは家族ともども囚われ、家族のために刃物を握り自分の手首を切った。そこから流れ出る血で染めた水の中に未来を視続けた。


 やがてロツ族はルウォール王国の軍勢に滅ぼされ、その時にロイシュネリアの家族もまた命を失った。そしてロイシュネリアはルウォールに囚われ、命と引き換えに先視の力を差し出した。

 そこでエランジェ王国を滅ぼすための先視をし続けた。


 そしてルウォールの次は、エランジェの王子とその側近二人に囚われることになった。それがクレオメデスとリフェウスだ。

 誰が主でも同じこと。ロイシュネリアにできるのは腕を切って血を流し、赤く染まった水盤で未来を視る。

 ロツ族の族長も、ルウォールの王も、同じだった。ロイシュネリアを利用することしか考えていない。ロイシュネリアの先視の力はいつしか広く知れ渡り、「先視姫」と呼ばれるようになっていた。


 ロイシュネリアが視るのはいつも凄惨な風景ばかり。

 誰かが死ぬ。殺される。焼かれる。踏みつぶされる。奪われる。

 聞こえる悲鳴、嗚咽、嘆き、弔いの歌……。

 こんな風景は見たくない。

 でも、視ないという選択肢はない。みんな、戦争の行く末をロイシュネリアに先視させた。

 大きなものを視るためには、たくさんの血がいる。何度も刃を腕に突き立てた。


 ロイシュネリアを使う人間の役に立ってやれば、生活は保障される。逆に役に立たなければすぐに切り捨てられる。

 能力の出し惜しみはしない。

 私は生き抜いてやる。殺された家族のぶんも、先視に見た戦火に倒れる人たちのぶんも、私は生き抜く。

 自由なんていらない。しつこく生きて、生きて、生き抜いてやるのだ。私の力を欲しいと思う人がいる限り、私は殺されることはない。もちろん、私を邪魔に思っている人がいることも知っている。だからこそ、生きてやる。

 みんなに利用されてやっているのだ。この力があるせいで、いやな思いをいっぱいしているのだ。だからこの力で生き抜いてやる……!

 家族を奪われて自由を奪われて、さらに命まで奪われるなんて我慢ならない!

 そうは思うものの、囚われの日々と、強要される先視、そして先視のたびに見なければならない凄惨な景色は、ロイシュネリアの心を蝕んでいった。


 けれど、ルクレシウスは違った。


『あなたが先視の姫か。ひどい傷だ。まずは傷を治すことが先だね』


 ロイシュネリアの血のにじんだ腕を見て、ルクレシウスは痛ましい顔つきになった。


『無理に未来なんて視なくてもいい。どうせロクな未来は見えない。あなたが嫌な気分になるだけだ』

『でもあなたが誰かに奪われると僕が困るんだ。だから、一緒に来てくれる?』


 ルクレシウスは、シアの民とも、ロツ族とも、ルウォールとも違った。ロイシュネリアを閉じ込めるどころか、ロイシュネリアになんとも楽しげに未来の話をしてくれた。それは血と欲望にまみれた未来ではなく、国に住む人々がどうしたらもっと豊かに、幸せに暮らせるかという未来。

 この人は、自分の欲望よりも優先したい夢があるというの?

 その夢がかなえば、私はこれ以上、自由も、未来も、奪われなくて済むの?

 それなら……、と。


 ロイシュネリアは自ら刃物を持ち、刃先で肌を切り裂いた。

 自分から先視の力を差し出してもいいと思ったのは初めてだ。


 ルクレシウスはロイシュネリアに先視を頼むことはなかった。すべてロイシュネリアが自分でしたこと。だから実は、ルクレシウスのための先視は数えるほどしか行っていない。傷が癒える間もなく腕を切らされていたルウォールとは大違いだ。

 ロイシュネリアの視た不安定な未来から正確に対象の考えを読み取って戦術を立ててくれたのは、リフェウスだ。そしてそれを実行したのはクレオメデス。


 ロイシュネリアが自分から切り裂いた肌を手当してくれたのは、いつも、リフェウスだった。

 リフェウスという男は、非常に合理的だ。

 使えるものはなんでも使うし、使えないものは容赦なく切り捨てる。それが女子どもであっても。

 リフェウスが任されているのは、ルクレシウスを敵視する王弟にして叔父であるエルシスの排除、そしてエランジェを蹂躙するルウォールの駆逐、この二つを同時に成し得ること。そのためには綺麗ごとをほざいている余裕なんてない。この男は頭がいい。そして忠誠心に篤く責任感も強い。


 だから自分を道具として扱うのも道理だし、主人によって態度を変えないロイシュネリアを警戒するのも当然。

 そう思っていた矢先。


『おまえは我慢しすぎだ。もっとわがままに振る舞ってもいい。痛いなら痛いと言え。やりたくないなら、やりたくないと言え』


 不意に、リフェウスからそんな言葉をかけられた。


『オレは立場上、おまえに先視を求める。だがオレに従う必要はないんだ。もっと自分の気持ちを押し付けろよ、オレに』


 ――それって私の力が必要ないということ? 自分の方が優れているって言いたいの?


『そうではない。……おまえの腕に傷が増えていくのを、見たくないだけだ』


 そう言ってリフェウスは包帯を巻いたロイシュネリアの手を撫でてくれた。


『だからネリ、ちゃんといやだと言え』

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