キミが淹れたコーヒー

山本正純

キミが淹れたコーヒー

 猛暑が記録された日曜日、夏らしい入道雲が青空に浮かぶ。

 クーラーが付いているにも関わらず、マンションの一室はとてつもなく暑い。冷たいモノを欲する黒髪の若い男性が、額から汗を流しながら、右奥にある冷蔵庫を開けようと手を伸ばす。


 すると、突然、インターフォンが鳴り響き、男性は手を止めた。そのまま玄関へ向かい、ドアを開けると、その先には黒髪ロングの女性が茶色い小さなエコバックを抱えて佇んでいた。


「おお、洋一郎。元気?」

 明るい表情で挨拶をしてきた隣人に対して洋一郎は溜息を吐き出す。

「ちひろ、俺に何か用か?」

「今日オープンしたコーヒーショップで、いい豆が手に入ったから一緒に飲んでみようと思ってね。一昨年の誕生日に買った焙煎機、捨ててないわよね?」

 グイグイと距離を詰めていく彼女の前で、洋一郎は苦笑いを浮かべた。

「ああ、一昨年、誕生日プレゼントだって言って勝手に置いていったアレな。もちろんあるぜ」

「ふーん。まだ捨ててなかったんだ。興味ないモノは捨てたがるクセに!」とちひろがイタズラな笑みを浮かべる。

 その頬は赤く染まっていた。


「ふふっふぅ♪」

 キッチンから聞こえてくる楽しそうな声。そして、広がるコーヒーの香り。

 それらを五感で感じ取った洋一郎は、リビングのソファーに座り、スマホのパズルゲームで遊んでいた。

「楽しそうだね♪」と笑顔のちひろが洋一郎の元に歩み寄る。その両手には一個ずつのお揃いマグカップが握られていた。

「ああ、五十コンボだぜ……って、お前、俺の分も淹れたのかよ!」

 驚く洋一郎の前にある机の上にマグカップを置いたちひろが優しく微笑む。

「そうだよ。どうせなら一緒に飲んでみたくてね。いつものように、サトウ多めに入れてみた」

「あっ、ありがとうな」と口にした洋一郎は視線を机の上にあるマグカップに向ける。その茶色い陶器からは、白い湯気が伸びていた。


「えっと、ちひろ、これ……どう見てもホットコーヒーだよな?」

「そうだね。ホットコーヒーだね。因みに、本日のコーヒー豆は本日オープンのコーヒーショップ鈴蘭でご購入いただけます!」

「いや、唐突な宣伝やめろ。っていうか、こういう暑い日はアイスコーヒーだろ!」

 思わず席から立ち上がり抗議する洋一郎を、ちひろは相手にしない。

「ふふふ、こういう暑い日だからこそ、ホットなのだよ。ほら、こういう日ってサウナに行きたくなるでしょ? こういう日って激辛タンタンメン食べたくなるでしょ? そうやって汗を掻くのが正しい夏の過ごし方なのだよ」

「理解できん。こういう暑い日は冷たいアイスクリームが食べたくなるだろ?」


 そんな洋一郎の意見に耳を貸したちひろは思い出したように両手を叩く。

 

「ああ、そういえばそっち派だったね。まあ、そう言うと思って、あのお店でコーヒー味のアイスクリームも買ってみた。私のコーヒーを飲んだ後で食べるがいい!」

「いや、それを先に言いなさいよ!」と口にした洋一郎は、ソファーに座りなおし、机の上に置かれたマグカップに手を伸ばした。その間に、ちひろも洋一郎が座るソファーの隣に腰を落とす。

 そして、それを持ち上げ、一口だけ黒い液体を含む。

「うーん。いつものよりおいしいな。流石……」

 顔を右に向けた洋一郎は、ジッとちひろの顔を見つめた。

「流石、なんだって?」とからかうように笑うちひろの隣で、洋一郎は慌てた表情になった。

「……コーヒーショップ鈴蘭のコーヒー豆だ!」

 その答えに、ちひろは目を点にした。


 ふたりだけの時間は、ゆっくりと過ぎていく。






問一、作中に登場した以下のカタカナを漢字に変換せよ。


①イタズラ

②サトウ

③タンタンメン

  

問二、広がるコーヒーの香り。この文章に使われている表現技法を記せ。


問三、暑い日に食べたいものは冷たいモノか熱いモノか。あなたの意見を二百文字以内で記せ。







 


「はい。そこまで!」


 教卓の前に立った男性教師の号令と共に、生徒たちが次々にシャープペンシルを机の上に置く。

 三十人の席があるにも関わらず、この教室には六人の生徒しか集まっていない。横一列に並んだ生徒たちの解答用紙を男性教師は回収していった。そんな追試試験会場の左端の席に座っていた男らしい筋肉質な体つきの男子高校生、小酒井タカシは、大きく伸びをしてから、帰宅の準備を進めた。


「ああ、赤点だけは回避したい!」と強く願うタカシが俯きながら昇降口を訪れる。そんな彼に一人の少女が声を明るくかけた。

「やっほ。タカシくん♪」

 その声に反応したタカシが顔を上げる。下駄箱に背中を向けて待っていたのは、紺色のセーター服に身を包む黒いショートカットのクラスメイト、河野ヒロミだった。


 クラスで一番かわいい女の子がなぜか待っていた。この事実にタカシは驚きを隠せない。


「えっと、ヒロミさん。おっ、オレに何の用……だ?」


 緊張して目を合わそうとしないクラスメイトに対して、ヒロミは右手を差し出しながらグイグイと距離を詰めてく。茶色い目を輝かせながら。


「はい。現在文の追試験の問題用紙、ちょうだい!」


 予想外な要求にタカシは目を点にした。


「えっと、ヒロミさん。意味が分からないんだが……」

「ほら、現代文の国分一二三先生の試験問題って、毎回書き下ろし短編小説から出題されるでしょ? 先輩によると、追試験は全く別の作品らしい。だから、待っていたのだよ。ウチのクラスで現代文が追試験になったの、タカシくんだけだからさ」

「そんなことで待ってたのかよ! このまま一緒に通学路歩くのかと思った」

 ボソっと本音を漏らしたタカシの顔をヒロミが不思議そうな表情で見つめる。

「何か言ったみたいだけど、まあいいや。現在文の追試験の問題用紙、ちょうだい!」

「大体、俺のこと待たなくてもさ。文化祭で試験問題として書き下ろした短編小説を短編集として販売するんだろ? それを待ちなさいよ」

「いやよ。追試験を受けた人しか読めない幻の作品を、短編集発売前に読めるチャンスを見逃すなんて、できるわけないでしょ! たとえ、問題用紙にラクガキがされてたとしても、私は気にしないわ。作品さえ読めればそれでいいのだよ!」

「ああ、分かった。分かったよ」

溜息を吐き出し、頭を掻いたタカシが、カバンから問題用紙を取り出し、ヒロミに渡す。それを受け取ったヒロミは楽しそうな表情で、問題用紙に記された短編小説を読み進めた。


「ふむふむ。今回はラブコメみたいだね。こういう作品も書けるんだ。国分一二三先生、さいこう」


 笑顔で追試験の問題用紙を自分のカバンの中に仕舞ったヒロミが、近くにいるタカシに向け、優しく微笑む。


「タカシくん。ありがとね。じゃあ、また明日!」

 右手を左右に振ったヒロミがタカシから離れていく。そんな彼女の後に続き、タカシも靴を履き校門に向かい歩き出した。

 そこから見上げた空は、短編小説と同じく夏らしい入道雲が浮かんでいた。


 


 

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キミが淹れたコーヒー 山本正純 @nazuna39

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