詐欺師の結婚
呵々セイ
第1話:詐欺師の出会い
「ダウナァ~、麦茶~」
「もう、たまには自分でやってくださいよ、アングラさん。」
「可愛い彼女の我が儘くらい聞いておくれよ。」
ソファで寝転び雑誌を読む女性から、私は麦茶を催促される。そんな私の名前はダウナー。新米の女詐欺師だ。もちろん本名ではない。裏社会のコードネームというやつだ。
「はいどうぞ。」
「済まないねぇ。‥‥うん、暑い時期はこれに限るね。」
「年より臭いこと言わないでください。」
寝ころびながら、黒ゴスを着た金髪の女性はマグカップを受け取る。そんな彼女の名前はアングラ。私に詐欺を教えた師匠であり、恋人のような存在だ。
アングラさんと出会ったのは5年前。司法試験に落ちて自棄になり、酔っぱらって路地裏に迷い込んだ時に邂逅した。随分と懐かしく感じるな。
あの時は、私たちが結婚するなんて思ってもみなかった。
「なーにが弁護士だ! なーにが法曹だ! 馬鹿にして!」
軸足ふらりと千鳥足。踊れ酔いどれよーいどん。思考がぐるぐる終わらない。涙がゲロゲロ止まらない。
また落ちた。
何度目だ。
子供のころは弁護士になって、弱い人を助けたいと漠然と思っていた。
分かってるさ。志だけじゃ夢には届かない。翼があっても、途中で溶けることを知らないのだ。
もういやだ。もう疲れた、夢を追いかけるのは。
自分への酔いから覚め、酒に酔って歩いていたら、いつのまにか変な路地裏に入り込んでいた。
「‥‥あれぇ?」
夜の闇の中、路地の壁に一人の人が座り込んでいた。私は好奇心で近寄る。
黒い薔薇を思わせる女性が、そこにはいた。月明かりに照らされたその女性はとんでもない美貌の持ち主だが、その表情は苦悶にゆがみ、その息は荒い。
そしてその薔薇は、鮮やかな赤色で着色されていた。そして足元にはやけに銃身の長いハンドガンらしきものが‥‥
「‥‥うそ。何、これ? もしかして、血?」
水の代わりに冷や汗が私の服を濡らし、酔いがたちまち吹き飛んだ。
なんてこった! 人を呼んだ方が、いや、でも手当をしないとこの人が‥‥
「やぁ、お嬢さん。よければ‥こっちに来てくれないかな?」
「ひぃやっ⁉」
し、喋った。しかも血塗られた手で手招きしている。
『関わってはいけない。』
理性が警笛を最大レベルで鳴らす。だが、私の足はまるで吸い寄せられるように女性の方へ向かってしまった。
「だ、大丈夫ですか?」
「ダメだねぇ。助けてくれないかい?」
「‥何をすれば。」
「簡単さ。」
女性はおもむろに黒ゴスに手を突っ込み、あるものを取り出した。これは?
「撃たれてしまってね。これで‥っ 傷口をふさいでくれると、嬉しい‥のだが。」
「待って待って待って。」
映画とかで見たことある! ホッチキスみたいなやつだ。針でバチン! と傷をふさぐアレだ。
「ムリ、ムリですよ!」
思わず後ずさる。まだ間に合う。回れ右をして、全力で走れば日常に戻れるのだ。
「頼む。」
だが逃げられなかった。黒い女性は私の服の裾を強く、そして縋るようにつかんで離さない。
「僕はまだ死にたくない。やらなきゃいけないことがあるんだ。だからっ!」
言葉が途切れ、女性は苦しそうにわき腹を抑える。時間がない。私の決断次第で、この人は死ぬだろう。私は‥私は!
「‥か、貸してください! やります、私!」
ホッチキスを震える手で受けとった。ここで彼女を見捨てるのは、きっと私にも深い傷になる。
それに、不思議と彼女のことが哀れに思えたのだ。
「‥! ありがとう。じゃあ‥頼むよ。」
女性は体を横にして、患部を見せる。この状態じゃ針が打ちにくい。
「服、破いて良いですか?」
「好きにしてくれ。」
「では‥‥」
ごくりとつばを飲み込む。同性とはいえ、女の人の服を脱がせるのは後ろめたさがある。しかもとびきりの美人だから、背徳感も上乗せだ。
力任せに服を引き裂き、肌を露出させる。透き通るような白い肌。ゆっくりだが血は着実に流れ出ている。あまり時間はないらしい。
「‥いきます。」
「やってくれ。」
腹をくくり、私は息を止めて
バチン!
「‥ああっ!」
「ごごごごめんなさい!」
苦悶の声が押し殺せず、吐息とともに漏れる。あまりに痛そうで、私は反射的に謝ってしまう。
「はぁ、はぁ‥‥大丈夫。続けて?」
「は、はいぃ。」
針をを打ち込むところを目視し、ホッチキスを添えて息を止める。そして
バチン! バチン!
「ぐぅっ!」
痛々しい参上から目をそらすようにしながら、2発打ちこんだ。
「‥‥ふぅ。これで。」
幸い銃撃された箇所は少なかったらしく、3発だけで済んだ。女性は患部に目をやり、どこからか取り出した錠剤を口に放り込む。
「しばらくは持つ。何とかなったよ。よくやってくれたね。」
「へ、へへぇ‥」
お、終わった。
あまりのプレッシャーから解放された私は、線がきれたように地面にへたり込んでしまった。
「おや? 大丈夫かい?」
黒薔薇はしゃがみ込み、私の身体を抱きしめる。まるで雨に濡れた子犬を、ふわふわのタオルで包み込むように。
「あ、ありがとう‥ございます。」
「ふふっ。なんで君がお礼を言うんだい? それに涙も。泣かないで、そして、ありがとう。」
他人の血液にまみれるなんて、本来は不快なはずだ。
だが、その温もりがとても優しくて、失敗続きで荒んでいた私の心を研ぎほぐすには十分すぎた。
心の底から、私は彼女に魅入られてしまったのだろう。
これが私とアングラさんの出会いだった。
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