婚約破棄をされたので、運命の人と好きに生きようと思います

佐藤山猫

第1話

 ずっとお慕いしておりました。

 リフレインする想いを心にしまい込んで、アナスタシア・ファーガンソン公爵令嬢はパーティー会場を見回した。

 ここは、キングダム王国アカデミー学園。王国貴族の子女が通う教育機関だ。


 王太子の誕生日を祝うめでたい宴席は、しかし、騒乱の渦中にあった。


 きっかけは、主役の弟──フィリップ第二王子の発言による。衆目の集まる中、彼はそのよく通る声でこう宣った。


「アナスタシア。僕はお前との婚約を破棄する! 貴様の所業はもはや許し難い!」


 青天の霹靂とはこのこと。さっと凪いだ会場は、数拍置いてざっと蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。


 名指しされたアナスタシアは途方に暮れた様子で辺りを見渡した。プラチナブロンドのよく手入れされたロングヘアに澄んだ青い目が特徴的な公爵令嬢である。その澄み切った青い瞳は、普段は凛とした怜悧な印象を与えている。それがいまは潤み垂れ下がり、さも困惑気だ。


「貴様がデボラに行った数々の非道! 貴様を断罪するには充分だ!」


 ヒートアップするフィリップ第二王子の隣にいるのは王子に抱き付かんばかりにしなだれかかったひとりの女子生徒。オレンジブラウンの緩く巻き癖のついた髪を肩まで下ろした、どこか栗鼠を思わせる少女。デボラ・ボルズ男爵令嬢である。プルプルと震えるその姿は、列席者には怯えているように見えた。


 王子の周りにはその派閥に属する貴族の子息たちが数人集ってアナスタシアに蔑みの目を向けている。視線だけで射殺すことだって叶うような鋭いものだった。


「公爵令嬢ともあろう者が! 恥を知れ!」

「デボラ様に謝罪せよ!」


 非難に晒されて、アナスタシアは弁解のひとつもなく、オロオロとあたりを見回すばかりだった。それはあたかも、状況をうまく理解できていないかのようであった。


「ど、どうしてわたくしが……? 非道など、全く身に覚えがありませんわ!」


 アナスタシアの言葉に、王子は却って激高した。


「なんだと……!? 貴様、この期に及んでしらばっくれるつもりか!!」


 王子の側近たちも昂奮して野次を飛ばす。中でも一人、知性派を気取っている男が、コホンとわざとらしく咳払いをした。アナスタシアに胡乱な目が向けられる。


「非道のひとつひとつを、一々説明しなくてはいけないのですか?」


 アナスタシアに対する皮肉。しかし、会場にいる多くの人間は、この非常識な行いにいかなる理由が潜んでいるのかを知りたがっていた。なにせ、彼らは迷惑行為に巻き込まれた──いうなれば被害者たちである。どんな理由で理不尽に苛まれているのか、知りたいのが道理だろう。

 空気を察し、側近は王子の袖を引いた。王子はチッと舌打ちをすると「説明してやろう」と大仰に言った。


「まず、学園に入学したところからだ。お前とデボラは入学式の折に出会っているな。ちょうどデボラが広い学園の構内で迷子になっていた時、お前が声をかけた」

「はい。殿下もお隣にいらっしゃいました」


 アナスタシアに殿下と呼ばれたフィリップ王子はさも不快そうに端正な顔を歪めた。


「そうだ。その時に俺はデボラを『おもしれー女』と知った訳だが……お前はそうは思わなかったらしいな」


 生来、ビスクドールのように美しく冷たい印象を与える少女である。アナスタシアは表情をスンとも変えずにフィリップ王子の言葉を聞いていた。


「ボルズ男爵家は現当主の功績から始まった貴族家だ。貴族の生活とは無縁の生活を送ってきたデボラにとって、学園の環境はさながら異世界も同然であっただろう。貴族の振舞いを知らぬ面もあったかも知れん。それにしてもだ!」


 フィリップ王子は怒りに任せて自分の腿を叩いた。小気味よい音が会場に響き渡った。


「アナスタシア。お前が貴族としての振舞いをデボラに指導しているのを見たものがいる。お前、えらくひどい態度でデボラに接していたというではないか!」


 そうだよなデボラ、と王子は傍らに寄りかかる愛らしい令嬢に同意を求めた。デボラは震えながら頷いたように見えた。そんなデボラを見つめるフィリップ王子の目はとても慈しみに満ちていた。


「次だ。デボラはお前が主催する茶会に加わった」

「学園では当たり前のことですわ」


 茶会。

 学園においては、上級貴族の主催する非公式の懇談会のことを指す。端的に言えば人脈および派閥作りだ。上級貴族の令息令嬢はそれぞれ自分より下級の同性の生徒に声をかけ、下級貴族の学生は誘いを吟味し、角が立たぬように誘いに応じたり断ったりをする。こうして、将来に渡って家ぐるみの派閥は形成される。

 とはいえ、ある程度の歴史ある貴族家の場合、家同士でずぶずぶに関係性が定まっているので、茶会のメンバーは非流動的だ。デボラのように、貴族のしがらみがない貴族が入ることで、はじめて流動性が生まれる。


「茶会の場で、お前はデボラに対し苛烈な人格批判を行っていた。そうだな?」

「誤解です。そんなこと、一切しておりませんわ」

「デボラがそう言っている」


 アナスタシアは初めてデボラの方を見た。アナスタシアの怜悧な青い目に見つめられ、栗鼠のような純朴気な令嬢は居心地悪げに俯いた。


「茶会のメンバーに尋ねてみてください。きっと誤解だと言うはずです」

「ふん。お前と並んでデボラに陰口を叩いていた連中の言う事など、誰が信じるものか」


 アナスタシアの弁解を王子は一蹴した。


「そもそも、デボラは茶会お前の派閥の連中からも同級生からもいじめられていた。無視や嫌味、すれ違いざまにクスクス嘲笑したり、ひとつひとつは言葉にすると些末なこと。しかしそれを繰り返されたデボラが、いったいどれほど傷ついたのかお前には分からんだろう!?」


 この時ばかりはアナスタシアも、わずかに申し訳なさそうに顔を曇らせてみせていた。「今更殊勝にしよって」とフィリップ王子は眉を吊り上げた。


「お前も他の讒言に乗じて、デボラを散々詰っていたというではないか!」


 王子の憤激に、アナスタシアはゆるゆると首を振るばかりだった。まるで自分は悪くないとでも言わんばかりの態度に、フィリップ王子はますます怒り狂った。


「私がデボラ様をざまに言うなどと……」


 アナスタシアの弁解は小さく、空気が抜けるようにすぼんでいった。


「なんだ、何か言いたいことがあるのか!?」


 非道を証立てることができた。

 勝ち誇ったような表情のフィリップに、アナスタシアは躊躇いがちに主張した。


「デボラ様がフィリップ殿下と親しくなされていたのは問題ですわ」

「どこがだ」


 フィリップは目を三角にして怒りを露にした。


「婚約者がいらっしゃる殿方と親しくしていらっしゃったのが、女性として極めてふしだらです」

「いっ、言うに事欠いてふしだらなどと……」

「それから、それを一人ならず何人もの殿方に擦り寄り、好感を得ようなどと、自らを売り込む以外の何物でもありませんわ。倫理観に問題があると言わざるを得ません」


 アナスタシアの指摘に、何人かの王子の側近がバツ悪げに視線を逸らした。いずれも婚約者がいる令息たちだった。


「申し訳ないのですが、デボラ様と私とでは家格にも差がございます。デボラ様が親しくなされている方々は、いずれもデボラ様より遥かに高い家格ではありませんか」

「「「……………………」」」


 身分の差をわきまえろ、と指摘するアナスタシアに、誰も返す言葉を持たなかった。

 建前上、学園にいる間は一生徒として平等な身分となっている。しかしそれはあくまで建前で、実態とは異なっていた。


「私は、他のご令嬢の方々のことも思って申し上げているのです。不当な主張でしょうか?」


 アナスタシアの言い分を、王子は黙って聞いていたかと思うと、


「はっはっはっ──」


 突然高笑いをした。そして、


「貴様、この場で斬り捨てられたいのか!?」


 フィリップ王子は腰に差していたサーベルを抜いた。

 シャンデリアの明かりに照らされて刃先がキッと閃いた。「きゃあっっっ」と悲鳴が挙がる。アナスタシアの顔が凍った。白磁の肌から血の気が引いていく。

 王子の側近たちもさすがに想定外で、「殿下、それはまずいっ!」「落ち着いてください!」などと狼狽えている。

 顔を真っ赤にして鼻息荒く、フィリップ王子がアナスタシアに躍りかからんとするところ──。


「殿下!」

「ご、御免!」


 人込みを掻き分けて飛び込んできた衛兵たちに取り押さえられる。抑え込まれたフィリップ王子は衛兵の身体の下でもがいていた。「アナスタシア・ファーガンソン! 貴様だけは許さん……! 死ねっっっっっ!!」


 およそ高貴な人間には相応しくない言葉を呪詛のように吐きながら、フィリップ第二王子は暴れていた。


「アナスタシア様、こちらへっ。早くっ」


 ファーガンソン家の侍従に伴われ、アナスタシアはパーティーの会場から逃げるように退出した。

 第三の主役とも言うべき、デボラ・ボルズ男爵令嬢も既に会場から去っていた。






 学園の寮室の荷物を大急ぎでまとめ、公爵家の屋敷に戻ってきたアナスタシアを、父親であるファーガンソン公爵は難しい顔で迎え入れた。


「まずは、無事でよかった。怪我はなさそうだな」

「はい。お父様。ご心配をおかけし、申し訳ございません」


 頭を下げるアナスタシア。うむ、と公爵は腕を組んだ。


「第二王子の一件は聞いている。大変な騒ぎを起こしてくれたものだ。良くて臣籍降下、悪くて処刑だろう」


 為政者としての冷徹な表情の中に、怒りと軽蔑が入り混じっている。それを聞くアナスタシアも身じろぎひとつしない。ある意味よく似た親子だった。


「で、お前の今後だが……」


 ファーガンソン公爵はそこで言葉を切った。この公爵にしては珍しく歯切れの悪い様子にも、アナスタシアは黙って続きを促す姿勢だ。


「学園の社交場という公の場で婚約破棄騒ぎだ。いくらお前に百の正当性があろうとも、醜聞が立ったことに違いはない。次の縁談は難しいだろう」

「はい」

「お前の処遇を決めるまでには多少時間はあるが……。アナスタシア」

「はい。私はしばらく、俗世間から離れたところで、ゆっくり過ごしたいと思っております」

「そうか。では公爵家の別荘か、あるいは修道院か……」


 ファーガンソン公爵はさらに表情を険しくした。

 ファーガンソン公爵家には娘も息子も多数いて、跡継ぎにも縁談にもそうは困らない。また、公爵領にはファーガンソン公爵の弟一家が住んでいて、領地を安定して切り盛りしている。アナスタシアが公爵領に身を寄せたところで、向こうには迷惑な話となるだろう。アナスタシアにとっても居心地悪い空間になるかもしれない。

 家長として、政治家として、そして父親として、ファーガンソンは必死に頭の中で計算をし、そしてアナスタシアに命じた。


「修道院だ。世間の喧騒を忘れ、ゆっくりしていなさい」

「……はい。かしこまりましたわ」


 アナスタシアは慎み深く頭を下げた。


 修道院。

 小さなこの王国において、貴族の子女が入る修道院といえばヒーム修道院たった一つだけ。

 公爵だろうと男爵だろうと、貴族位の無い状態で修道女として神に仕えるのだ。

 馬車が揺れる。小高い丘の上に修道院は立っていた。


 荷物を下ろし、世話になった公爵家の侍従たちに深く礼を述べて、アナスタシアは修道院の門を叩いた。


「お待ちしておりました」


 きぃと扉が開いて、中から修道服を着た女が現れる。

 女と言っても少女然としていて、おそらくアナスタシアと同じくらいだ。うつむき気味で表情は窺い知れないが、纏っている雰囲気は幼い。オレンジブラウンの巻き髪がフードからはみ出していた。

 アナスタシアは一礼カーテシーをして出迎えの少女に微笑んだ。


「お久しぶりですね、デボラ様」

「デボラ様はおやめください。いまのわたしはただのデボラです。アナスタシア様」

「では、私のこともアナスタシアと呼んでくださらないと」


 クスッと笑い合って、少女は修道服のフードを外し、顔を上げた。栗鼠を思わせるかわいらしい少女──デボラ・ボルズ元男爵令嬢その人だった。


「アナスタシア」

「アナスタシアでもダメね。アナと呼んで」

「それでは、アナ」


 デボラが延べた手を自然に取って、アナスタシアは修道院の中に入った。


「先に荷物を運び込んじゃいましょうか。部屋はこっちですよ」

「ありがとう。シスター様は」

「お部屋でお休みです。もう良いお歳ですからね。

 ここだけの話、貴族の令嬢が修道院に入るのも何十年ぶりの話だそうで。しかも二人いっぺんにでしょう。手が回らないらしいんですよ」

「調べた通りだったわね」


 アナスタシアとデボラ。

 学園ではじめて出会った二人は、いつしか互いに惹かれ、想い合っていた。

 しかし、性別の壁があり、身分の差があり、邪魔な男があった。


「一緒に暮らすには、どうしたら良いかしら」

「…………身分を捨て、婚約者を捨て、かつ女同士が一緒に暮らしていて違和感の無い場所に行く」


 学園の教会。

 庭師が丁寧に整えた教会の前庭を二人きりで散歩デートしながら、思案し合ったものだ。

 そして、思いついたのもその場所だった。


 第二王子ノータリンを唆し、婚約を破談にして、二人して貴族の界隈から脱落すれば良い。


 計画は周到に進んだ。


「やっと一緒にいられるのね」

「長かったですね。もう離しませんよ」

「それは私の台詞よ。あなたが他の男に擦り寄るたびに、本当に心の底から不愉快に感じていたのよ」

「わたしだって、あんな男達キモいやつらと同じ空気を吸うだけでも苦痛でした。媚び売って本当に馬鹿ばっかり……」


 喋りながらデボラはテキパキと部屋まで荷物を運び入れ、荷解きを済ませる。アナスタシアも見よう見まねで手伝う。


「デボラの部屋はどこなの?」

「あ、隣です」


 デボラは壁の方を指した。


「すばらしいわね」


 アナスタシアは手を叩いて喜んだ。

 公爵家の部屋はおろか、学園の寮室にも劣る殺風景な部屋。しかしアナスタシアにとっては天国にすら匹敵する部屋となった。なにせ最愛の人がすぐ届く距離にいるのだ。怜悧で無表情。そう謳われたアナスタシアの目元がかつてないほど緩んでいる。


「これからよろしくね、デボラ」

「はい。こちらこそよろしくお願いしますね、アナ」


 恋する少女たちは残酷なほど美しく微笑みあった。

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婚約破棄をされたので、運命の人と好きに生きようと思います 佐藤山猫 @Yamaneko_Sato

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