4.とあるボーイ・ミーツ・ガール
「『アトランティス』の記事にあったように、父は昭和三十五年に『千里眼』の少女と対決することになったの」
「黒崎所縁、ですね」
「ええ。当時は、ようやく戦争の傷跡から立ち直って経済も上向いたものの、世界情勢に不安が多かったらしくてね。その手の霊能力者や、今で言うカルト宗教みたいなものが、ちらほらと姿を現していたようね。黒崎所縁も、その一人だったの」
昭和三十五年というと、ちょうど戦後十五年ほどだ。確か、世界ではベトナム戦争が続いていて、ソ連が勢力を拡大して……みたいな情勢だったか。
どうにもよく思い出せない。もっと近現代史を勉強しておこう。
「父は当時、まだ十六歳。藤本君達と同い年ね。祖父の教育方針が緩すぎてね、中学生の時にさる高名な奇術師に弟子入りして、そのまま高校には行かずプロになったの」
「えっ。いくらなんでも、お祖父さん怒らなかったんですか?」
「それがね。父は文字通りの天才で、営業も上手かったの。お金持ちやテレビ局、果ては米軍にまですぐにファンを作ってしまって、あっと言う間に売れっ子になったらしいわ。とんでもないギャラを貰っていたようだから、祖父も何も言えなかったみたい」
「ヒェー! アタシ達と同い年とは思えない!」
舞美に同感だった。たった十六歳で、親をも納得させるような凄腕の奇術師になった訳だ。
いつぞや小袋谷が言っていたことは、本当だったらしい。
「黒崎所縁との対決も、ファンだった学者や記者から頼まれたそうよ。父の得意の奇術が『透視マジック』だったせいもあるのだろうけど」
「ああ、なるほど」
透視マジックというのは、伏せられたままのトランプの図柄や、観客に書いてもらった文字を目にせずに当てるという、例のヤツだ。もちろん、タネも仕掛けもある。
そういったトリックに精通した奇術師に、霊能力者のインチキを暴かせようというのは、悪くないアイディアであるように思える。
「父も血気盛んなお年頃だったから、乗り気だったそうよ。それで、『千里眼』のトリックについて独自の調査までして、対決に臨んだ――でも、会場である旅館に着いた時、思わぬことが起こったの」
「お、思わぬこと? なんか、物騒なオハナシに……?」
舞美が大げさに反応して見せる。
先輩はそれに気分を害するでもなく、むしろ微笑みを浮かべながら、話を続けた。
「対決前夜のことよ。翌日の対決に備えて、父があてがわれた部屋で入念な準備をしていた時、部屋の扉がノックされたの。消え入りそうな程に控えめなノックが、何度も」
「ま、マサカ……心霊現象!?」
「ふふっ、それも面白いかもだけど、父はこう考えたそうよ。『もしや、黒崎所縁の陣営が夜討ちでも仕掛けて来たか』と」
「よ、夜討ちって。時代劇じゃあるまいし」
「あら、藤本君。昭和三十年代なんて、今とは比べ物にならないくらい物騒なのよ――ともかく、父は愛用のステッキを構えながら、そっと扉を開けたの。すると、そこには」
先輩がそこで一旦言葉を切る。
気付けば、俺も舞美もすっかり先輩の話に聞き入っていた。どちらともなく、ごくりと唾を呑み込む。
「そこには、絶世の美少女がいたのよ」
『び、美少女!?』
思わず、俺と舞美の声が奇麗にハモる。
「年の頃は十三歳くらい。抜けるように白い肌と、夜の闇のように艶やかな黒髪。大きく黒目がちな瞳の、それはそれは美しい娘がいたの。父も最初は『妖ものか』って身構えたくらい、綺麗だったそうよ。その娘が、旅館の浴衣姿で立っていたの」
「ええと……お父さんのファン、とかではない、ですよね?」
「ええ。そもそも対決の場所は非公開だったし、旅館だって口が堅かった。父がその部屋に泊っているのを知っていたのは、関係者だけだったの」
「アトランティス」の記事によれば、この対決はとある新聞社と大学が共同で主催したものだったらしい。
つまり、関係者というのは新聞社の人間と大学の人間、そして当事者である真白善一郎と黒崎所縁だけ、ということになる。
その中で、十三歳ほどの女の子である可能性があるのは――。
「流石は藤本君。その顔は察しがついたみたいね」
「はい。主催者である新聞社や大学の人達は大人でしょうから。そうすると、関係者の中で『十三歳の少女』なんて、一人しかいませんよね」
「そう。黒崎所縁の付き人もいたけど、その人達は大人の男女だった。つまり、その美少女こそが黒崎所縁だったのよ。全盲というふれこみも嘘だったらしく、一人でやってきたそうよ」
「ほえ~! 対戦相手が前夜に部屋に? も、もしかして……色仕掛け、とか?」
舞美が顔を赤らめながら、しなを作る。くねくねくねくねとした動きは、残念ながら色気からは程遠い面白さだった。
「ふふっ、当たらずも遠からず、かもね」
「え、マジで?」
「黒崎所縁はね、父にあるお願いをしに来たの。彼女にとっては切実なお願いをね」
「翌日に対戦する相手に、お願いですか? なんですか、もしかして『勝負に負けてください』とでも、言いに来たんですか」
「……その逆よ」
『逆!?』
再び、俺と舞美の声が見事にハモる。逆ということは、もしや。
「黒崎所縁は、『自分を完膚なきまでに負かしてほしい』と頼みに来たの」
「はぁ、彼女はなんでまた、そんなことを?」
「それにはね、深い事情が、あったらしいの――」
そうして先輩は、黒崎所縁の半生を語り始めた。
彼女の本名は「黒崎由華」という。年齢は十三歳で、孤児だった。
事故で両親を失った彼女は、三歳にして親類の家に引き取られたのだが、ここの夫婦が最悪の人間だった。興行師崩れの、詐欺師夫婦だったのだ。
黒崎由華は幼い頃から美しい少女で、更に不思議と人を信じさせる魅力があったそうだ。
そこに目を付けた夫妻は、彼女に詐欺の片棒を担がせ始めた。まだ幼い彼女には、夫妻に抗う力もなく、心ならずも詐欺の手伝いをしてきたのだという。
「黒崎所縁は、『これ以上、詐欺の片棒を担ぎたくない』と訴えたそうよ。父にインチキであると証明してもらえれば、『千里眼』を続けられなくなると」
「なるほど……あれ? でも、自分をインチキだと証明したいのなら、わざわざお父さんに頼まなくても、対決の時に間違えればいいだけですよね?」
「あ、そう言えば!」
俺の疑問に、舞美も賛同の声を上げる。
そうなのだ。ただ単に負けたいだけなら、対決の時にトリックを弄さず、普通に負ければいいのだ。にも拘らず、何故に黒崎所縁は、真白先輩のお父さんを訪ねたのだろうか。
「うん、当然気になるわよね? それには理由が、二つほどあったの。一つは、周囲の大人に協力してもらって、自分を保護してもらう為。インチキだって証明してもらっても、親類夫婦のもとを離れられなければ、同じことの繰り返しでしょう?」
「確かに。じゃあ、もう一つは何なんですか?」
「……うん。もう一つの方が、問題なのよね。これは、私と兄が霊能力者のインチキを暴いている理由にも直結するのだけれど」
『えっ』
突如として核心に近付き、俺と舞美が同時に驚きの声を上げる。
まさか、こんなところで本題に繋がるとは。
「父が言うにはね、黒崎所縁――ううん、黒崎由華は本物の超能力者だったらしいの」
『……ええっ!?』
先輩の意外過ぎる言葉に、俺と舞美は本日何度目かの見事なハモリを披露してしまった。
「そんな、本当なんですか? それ」
「今となっては真相は分からないけれどね。少なくとも、黒崎由華の親類夫婦はそう信じていたらしいわ。だから、わざと負けてしまっては、夫婦にもバレてしまうって。あくまでも、父の仕掛けが難しすぎて透視が失敗した、という風に見せないといけないってことね」
なるほど、それならば話は分かる。千里眼自体が本物だったかどうかは置いとくとしても、黒崎由華の後ろにいる親類夫婦はそれが本物であると信じて、詐欺に利用していた。
もしわざと負けてしまえば、二人には簡単に分かってしまうということか。
「黒崎所縁には男女のマネージャーついていたらしいのだけれど、それがその親類夫婦だったのね。当然、この対決にも付いてきていた。その晩は、大酒を飲んで酔いつぶれていたらしいけどね。だから、黒崎由華は父に助けを求めることが出来た」
「その夫婦も、由華さんが裏切るとは思ってなかったんでしょうね」
「子供だからと好き勝手に使う連中だからね。そして、その油断が仇となった」
その後の顛末は、「アトランティス」の記事に書かれた通りだった。三本勝負で黒崎所縁は全敗し、インチキだと証明された。
だが、先輩によればその裏で隠された「別の勝負」が行われていたのだという。
「父は勝負が終わった後に、黒崎由華の親類夫婦にそっと近付いて、こう囁いたそうよ。『残念ながら、彼女の「千里眼」よりも私の「超能力」の方が上だったようですね』と。彼らは父のブラフをあっさり信じ込んで、泡を食って逃げ出したそうよ」
「あはは、いいお灸になったみたいですね。……でも、彼らは黒崎由華さんの保護者だった訳ですよね? 彼らが逃げちゃって、黒崎さんはどうなったんですか」
「うん、それは大丈夫。関係者が手を尽くしてね、うちの祖父が引き取ることになったの」
「へぇ、お祖父さんが。それじゃあ、もしかして先輩も黒崎さんと面識があるんですか?」
その後の消息が全く不明だった黒崎所縁。
けれども、真白先輩のお祖父さんに引き取られたのなら、それほど悲惨な人生にはなってないのだろう。そういった安心感から、何気ない疑問を口にしたのだが――真白先輩から返ってきた答えは、この日一番の驚きだった。
「面識も何にも、私のお母さんだし」
『え、えええええええええええっ!?』
俺と舞美の、この日一番の絶叫のハーモニーが真白家に響いた。
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