3.嘘つきは誰だ

 ――やはり、ある放課後の出来事だという。

 その日の美術室は、美術部の活動で下校時刻近くまで数人の部員が残っていた。部員達は磯淵先生の指導の下、絵画や彫刻などの制作に勤しんでいた。近く開催される、高校美術のコンクールへの応募作品の追い込み作業中だったそうだ。


 事は下校時刻の間近、磯淵先生や部員達が片付けの為に、併設された美術準備室に移動していた時に起こった。

 突如、「キャアー!」という絹を裂くような悲鳴が美術室から聞こえてきたのだ。

 悲鳴を聞きつけた磯淵先生と部員達が美術室へ舞い戻ると、そこには腰を抜かした女生徒の姿があった。部員の一人の友人だそうだ。一緒に帰ろうと誘いに、美術室に立ち寄ったらしい。

 その彼女が言う。


『こ、校長先生のマスクが……動いたんです!』


 彼女の指さす先にあったのは、例の校長のライフマスク。

 しかし、部員達の目には、いつも通りの姿にしか見えず、動く気配はなかったのだという――。


「これが、俺と舞美が聞いてきた新しい目撃談です」

「なるほど……ね」


 放課後の奇術部室。真白先輩は俺と舞美の話を聞き終わると、「ふむふむ」とでも言いたげに二度三度頷いた。


「『動いた』というのは、やはりこちらの動きを追うように首を巡らせた感じなのかしら? 目線だけが追ってきた、とかではなく」

「そうみたいですね。顔全体がこう、向きを変えたみたいに見えたそうです」


 目撃者は一年の女子で、舞美の友達の友達、所謂「また友」というやつだった。なので、かなり細かい話を聞けていたのだ。

 そのお陰で、以前の噂話よりも細かい部分が分かった。

 まず、「校長のライフマスクが動く」と言っても、例のスタンドごと動いている訳ではないらしかった。というのも、マスクの周囲の四角い「余白」の部分は全く動いてなかったそうなのだ。

 つまり、浮き彫りになったマスク部分だけが、グリグリと向きを変えた、ということになる。……より不気味さが増した気がする。


「目線だけが追ってくるということなら、話は早かったのだけれど、違うのね」

「え、どーゆーことですか真白先輩」

「二階堂さんは、レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザを見たことはあるかしら?」

「モナリザ? 教科書とかでなら」

「それはそうね」


 舞美の答えに、思わず顔をほころばせる真白先輩。恐らく、真白先輩も「絵を知っているか」くらいの意味で聞いたのだろうが、舞美は「美術館でモナリザを見たことがあるか」という意味に受け取ったらしい。

 ――ちなみに、日本にもモナリザが来たことがあるらしいが、残念ながら俺達が生まれる前の話だ。


「では、こんな話は知っている? 『モナリザの視線は見る人を追い続ける』って」

「ええっ!? モ、モナリザたんにそんな仕掛けが!?」

「モナリザたんってなんだ、モナリザたんって」


 舞美が突然おかしな敬称(?)を使い出したので、思わずツッコんでしまう。

 それはさておき。そんな話は、俺も初耳だった。


「一部では有名な話らしいわよ。――でもね、これはどうやら

『えっ』


 俺と舞美の声が綺麗にハモる。せっかく豆知識を教えてもらったと思ったのに、まさか「気のせい」だとは。


「あくまでも私の……知人の研究結果なんだけどね。モナリザの写しを、色々な角度から何人かの人に見てもらってね、『モナリザの目線がどこを向いているか』を訊いてみたのよ。そうしたら、『自分の方を向いている』と感じた人は、思ったより少なかったらしいの」

「へぇ。そんな研究をしてる人もいるんですね。それじゃあ、なんで『モナリザが目で追ってくる』なんて話が出たんですかね」

「あくまでも仮説だけど、モナリザの構図が優れていて、見た人にあの独特の視線を深く印象付けるからじゃないか、と言っていたわね」


 ――ちなみに、この「モナリザが見る人を視線で追う」現象は、「モナリザ効果」等と名付けられているらしい。しかも後の世では、この時に真白先輩が語った「気のせい」説を裏付けるような研究結果も出ている。「モナリザ効果」なのに、当のモナリザには「そんな効果は備わっていない」のだとしたら、締まらない話である――。


「とにかく、もし校長先生のライフマスクの視線だけが追ってくるという話なら、『目の錯覚』とか『気のせい』で済ませられたかもしれないの。でも、顔全体の向きが変わるとなると……ふむ」

「やっぱり、本物の心霊現象ってことになりますかね?」

「それは予断よ、藤本君。この手の事象はね、『絶対にタネも仕掛けもある』という心構えでいないと、あっさり騙されるわよ」

「うっ、すみません……」


 先輩にピシャリと叱られてしまった。どうやら不用意な発言だったらしい。

 そう言えば、真白先輩のお兄さんは心霊現象を騙る連中を成敗して回っているような人だった。先輩もお兄さんと同じく、心霊現象に対しては厳しい目で見ているらしい。

 ――と。


「でもでも、真白先輩! 目撃者の子にはマスクが動いて見えて、美術部の人達には見えなかったって、心霊現象以外に説明がつかない気がしま~す!」


 よせばいいのに、舞美が火に油を注ぎ始めた。これは真白先輩に叱られるぞ、と思ったのだが、先輩の反応は意外なものだった。


「二階堂さん、その着眼点はナイスよ。片方に見えて、もう片方に見えない。ここにトリックを暴くヒントが隠されているはずよ」

「わ~い、やったー! 褒められた~」


 ……なんで俺の時は叱られて、舞美は褒められているのだろうか。不公平だ。


「さて、見える人と見えない人がいる。その原因は何か? 最も考えられる可能性は何だと思う? 藤本君」

「え、俺ですか。ええと……視力? とか」

「そうね。一部のトリックアートには、あえてピントをずらすことで全く異なる絵が浮かんでくるものがあったりもするわね。可能性としては有りね。――二階堂さんは?」

「え~と……やっぱり目の錯覚、とか? 美術部の人は毎日見慣れてるモノだけど、そうじゃない人にはなんか、こう、変に見えちゃう、とか?」

「なるほど。慣れによって見え方が変わる、というのも全くあり得ない話ではないわね」


 驚いたことに、真白先輩は舞美による「言葉にもなっていない」説にも、一定の価値があると判断した。


「そんな曖昧な思い付きでもいいんですか?」

「うん。断固否定するのは心霊現象だけでいいのよ。それ以外の可能性は無暗に排除すべきではないの。どんな突飛なアイディアでもいいから、思い付いたら口にしてみて。トリックというのは、人間の死角を突く技術よ。どんなところにヒントがあるか、分からないの」

「分かりました。じゃあ、こういうのはどうでしょう――」


 そこからしばらく、俺と舞美による珍説披露の時間が続いた。残念ながら「これ」というアイディアこそでなかったが、なんだか皆でワイワイと「ああでもない、こうでもない」と語り合うのは、単純に楽しかった。


「――さて、二人のアイディアはこんなところかな? どれも中々に面白かったわよ」

「でも先輩。答えに近付けた気がしないんですが……」

「今はそうでも、後になって役に立つ場合もあるから。奇術の基本は、コツコツと長い時間と手間をかけて、よ」

「そういう、ものですか」

「そういうものよ」


 なんだか、以前にも似たようなやりとりをした覚えがある。

 確か、占い研究会の件で小袋谷にすっかり騙されて、逃げ帰って来た時のことだ。あの時はえらい恥をかいたっけ。

 ――いや、待てよ。


「あの、先輩。ちょっと思い付いたんですけど」

「何かしら藤本君」

「その……馬鹿馬鹿しい考えかもしれないんですけど。目撃者が嘘を吐いている可能性ってのは、無いでしょうか。人を疑うことになっちゃいますけど、何か美術部に恨みがあって、彼らの不利益になるような噂を流した、とか」

「……なるほどね。確かに、その線は面白いアイディアだわ。でも藤本君。そうすると、二階堂さんお友達のお友達を疑うことになってしまうけど」

「あ、そうか」


 目撃者の一人は、舞美の「また友」なのだ。そのことをすっかり忘れていた。

 ――チラリと舞美の方を見るが、気にした様子はない。こいつがおおらかな奴で良かった。


「美術部に恨みを持つ人間がそんなにチラホラいたら、たまったものではないしね。それに、心霊現象を目撃したなんて吹聴したら、むしろその人自身の評判の方が落ちるかもしれないわ」

「そう、ですよね。すみません」

「――でもね、藤本君。その逆だったら、どうかしら?」

「逆? 何が逆なんですか」

「もちろん、嘘を吐いている人が、よ。見えていないのに見えてるって嘘を吐いているんじゃなくて、って嘘を吐いているとしたら?」

「え、それってつまり。嘘を吐いているのは……」


 いつしか真白先輩は、とても愉快そうな表情を浮かべていた。

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