旧校舎のフーディーニ

澤田慎梧

第一話「死体の写った写真」

1.お父さんの卒業アルバム

 年末の大掃除の真っ最中のことだ。物置を掃除していたら、お父さんの高校時代の卒業アルバムを発掘してしまった。

 僕はそれを、「掃除の途中に見付けた漫画をついつい読んでしまう、例の現象」にも背中を押され、よせばいいのに開いてしまった。

 それが全ての始まりだった。


「うわ、お父さん若い!」


 お父さんの写真は、すぐに見付かった。若いけど、今と顔立ちはほとんど変わっていない。

 学ランに身を包み、ぎこちない笑顔を浮かべてこちらを見ていた。


「そうだ。お母さんもこの中にいるのかな?」


 二人が同じ高校に通っていたというおぼろげな記憶を頼りに、ページをめくる。

 すると、ページとページの間から、何かがハラリと舞い落ちた。「何かのメモかな?」と目を落とし――僕は言葉を失った。


 それは写真だった。それもただの写真ではない。「死体の写った写真」だった。

 写真の中で、セーラー服姿の女の子が、胸にナイフを突き立てられて、死んでいた。

 壁にもたれかかるようにして倒れている、その女の子。両足は投げ出され、上履きは片方が脱げて転がっている。

 目を閉じ、俯きがちになっているので、一見すると寝ているようにも見える。けれども、その胸の中心からは、無骨なナイフが生えているのだ。


 白いセーラー服はその一部が赤黒く染まり、出血の多さを物語っている。

 ハンティングナイフと言っただろうか? 大振りのナイフは、その刃が半ばまで、彼女の胸に差し込まれていた。

 誰がどう見ても死んでいる――間違いなく、誰かに殺された死体だった。


 そんな物騒なものが、お父さんの卒業アルバムに挟まれていた。

 それが意味するところは、子供の僕にだって分かる。お父さんは、この死体になんらかの形で関わっていたのだ。


(ど、どうしよう?)


 考えてみて欲しい。もし自分の父親が、何らかの犯罪に関わっていた証拠を見付けてしまった時の気持ちを。

 貴方ならどうするだろう? 警察に通報する? それとなく訊いてみる? それとも、知らんぷりをする?

 ――僕が選んだのは、二番目だった。


   ***


 お父さんは、鼻歌を歌いながらお風呂場の掃除に勤しんでいた。

 その背中に、意を決して話しかける。


「あの……お父さん」

「ん? どうした、物置の片づけは終わったのか」

「あの……これ……」


 おずおずと、死体の写った写真を差し出す。

 僕の手はいつしか、小刻みに震えていた。


「写真……? ほう、これはこれは」


 お父さんは写真を受け取ると、それをしげしげと眺めながら、ぶつぶつと何やら呟き始めた。

 ――僕の背筋には、いつしか大量の冷たい汗が流れていた。


「どこで見付けたんだ」

「お父さんの卒業アルバムに挟まってた」

「へぇ、そんなところに仕舞ってたか。我ながら、意味が分からんな――ああ、いや。多分、母さんの仕業だな。全く、困った奴だ」


 頭をぼりぼりと掻きながら、お父さんが苦笑いを浮かべる。

 不思議と慌てた様子はない。それどころか、どこか嬉しそうにも感じられる。


「ええと、お父さん。その写真って」

「ああ、これか? これはな……どこから話したものか」


 お父さんは、ちょっとだけ困ったような表情を浮かべると、また写真に目を落とした。

 その顔には、いつしか嬉しそうな表情が浮かんでいた。まるで、失くした宝物を見付けた子供の様な。


「ちょっと長い話になるが、聞くか?」


 お父さんの言葉に、反射的にコクコクと頷く。

 ――そして、お父さんの長い長い昔話が始まった。

 僕が生まれるよりずっと前に起こった、お父さん達の騒がしい日常と、非日常の物語が。


   ***


 ――平成五年。西暦で言うと一九九三年。俺こと藤本貴教は、高校生になっていた。

 この頃はまだ、携帯電話もデジタルカメラも普及していない。テレビだって液晶ではなくブラウン管で、インターネットすら一般家庭には殆ど普及していない。

 だからこれは、そんな時代の話になる。


 神奈川県立比企谷ひきがやつ高等学校。偏差値は学区内では中の上。鎌倉駅から徒歩十分という好立地で人気の高校。それが俺の進学先だった。

 古い寺が点在する緑豊かな丘の中に、ひっそりと佇む古い学校だ。生徒数は六百人ほど。一応、県下では「中規模校」ということになっているらしい。


 この比企谷高校は、俗に「比企高ひきこう」とか「ガヤツ」とか呼ばれている。地元では「浮世離れした学校で、生徒も変人が多い」等と言われているそうだ。在校生としては甚だ不名誉に感じるけれども、それも仕方のないことだった。

 比企高の校舎は、とても奥まった場所に建っている。そのせいで、「初心者」は中々辿り着くことが出来ないくらいだ。


 まず、駅から鎌倉のメインストリートである若宮大路わかみやおおじに向かい、道を渡る。そのまま街の雑踏を抜けて裏路地に入る。細い道が複雑に入り組んだそこを進んでいくと、やがてお寺の山門みたいに立派な木製の校門が見えてくる。

 校門を潜り、更に両側を雑木林に挟まれた緩やかな斜面を百メートルほど進む。すると、急に視界が開け、ようやく校舎が姿を現す。


 校舎は三方を自然の森に囲まれていて、周囲には鬱蒼とした木々だけしかない。校舎の三階以上に上がって、ようやく鎌倉の街が見渡せるようになる始末だ。

 一年生の教室は四階にあるので、入学当初はそこそこ開放的な景色の中で学校生活を楽しむことが出来る。けれども、二年生は三階、三年生になると二階に教室が移ってしまうので、段々と景色が見えなくなっていく。まるで世界から、徐々に切り離されていくかのように。

 そんな環境で過ごすからか、卒業する頃には何処に出しても恥ずかしくない「浮世離れした比企高生」と化している――らしい。あくまでも、先輩からの受け売りだけれども。


 さて、そうは言っても俺はまだ一年生。比企高色に染まるどころか、自分の色を見失いがちな思春期真っ盛りだ。せっかくそこそこの高校へ入れたのだから、真面目に勉学にでも打ち込んで、良い大学の推薦でも貰おうか? なんて小賢しいことを考える年頃だ。

 そんな訳で、俺は点数を稼ぐ為に、今までやったこともないクラス委員などに立候補してしまっていた。――後になって考えれば、これが正に、運命の分かれ目だった。


「藤本~。後でちょっと、体育教官室に来てくれ」


 ある日の放課後のこと。担任の「陸サーファー」こと納田先生が、そんな捨て台詞を残して教室を出ていった。何の用かと訊き返す暇もない、鮮やかな退場だった。

 放課後に遊ぶ約束をしていたクラスメイト達も、「ご愁傷様」等と俺に声をかけながら、そそくさと下校の途についてしまう。納田先生の用事とやらが終わるまで、待っていてくれる気はゼロらしい。

 仕方なく、手早く荷物をまとめると、俺は体育教官室へと向かった。


 体育教官室は、体育館の片隅にある。読んで字の如く、体育教師が常駐している部屋だ。

 担任の納田と他三名の体育教師は、普段は職員室ではなく、その部屋にいる。

 比企高の体育館は、一階から延びる渡り廊下で校舎と繋がれている。渡り廊下には屋根がなく、雨の日はびしょびしょに濡れながら体育館へ向かうことになる。とんだ欠陥構造だと思う。

 幸いにして、この日の天気は晴れだった。


「失礼します」


 渡り廊下に面した「体育教官室」と書かれたアルミ製のドアをノックしてから、静かに開ける。

 中に広がっているのは、四畳半ほどの狭い空間。そこに、むくつけき体育教師四人が――いなかった。いるのは、納田先生一人だけ。どうやら他の先生は、既に部活の指導へ向かっているらしい。


「おう、来たな藤本。まあ座れよ」


 納田先生が、部屋の隅にあったパイプ椅子を俺に勧めてくる。どうやら、長い話になるらしい。

 観念して座ると、納田先生が何やら神妙な顔をしながら顔を近づけてきた。……息が臭いしジャージからも濃厚な汗臭さが漂ってきた。

 早くも帰りたくなった。


「実はな、藤本。これは、ここだけの話にしておいてもらいたいんだが……クラス内で盗難事件が起こった」

「盗難事件? それは穏やかじゃないですね。誰が何を盗まれたんですか」

「高岡の体操服だ」

「げっ」


 納田先生の言葉に、思わず言葉を失う。

 高岡さんはクラスの女子で、同じクラス委員だ。確か、吹奏楽部に入っている。担当楽器はフルート。ちょっと気の強そうな美人で、男子からはそこそこ人気がある。友達は男女問わず多い。

 成績も抜群で、入学式の時には、新入生代表として挨拶もしていた。入試でトップの成績だったから、らしい。

 その彼女の体操服が盗まれた。犯人は当然、男子だろう。俺には理解出来ない趣味だが、そういう奴はクラスに一人や二人はいるものだ。


「高岡も酷くショックを受けていてな」

「それはそうでしょうね。俺だって引きますよ」

「だが、少し腑に落ちない事件なんだ」

「というと?」

「うん、実はな。盗難事件とは言ったが、体操服は高岡のもとに戻って来ているんだ」

「へぇ。犯人が返してくれたんですか?」


 ということは、犯人も既に分かっているのだろうか。どうにも話が見えなかった。


「いや、そうではなくて――」


 教師のくせに話下手なのか、納田先生の説明はどうにも要領を得なかった。

 仕方なく、辛抱強く聞いて、頭の中で自分なりに話をまとめてみる。どうやら、こんな感じの事件らしい。


 昨日のこと。体育の授業の前に、高岡さんが自分の体操服がカバンの中から消えていることに気付いた。高岡さんはすぐに、納田先生に相談した。

 納田先生はすぐに他の先生と情報共有し、協力を仰いだ。その結果、俺達のクラスが体育の授業へ行っている間に、全員の荷物をこっそりチェックすることになったらしい。授業を休んだ高岡さんと、手の空いていた教師数名で。

 ――プライバシーも何もあったものじゃない。俺は視線で納田先生に抗議したが、悪びれもしない。これだから教師って生き物は信用出来ない。


 しかし、そんな生徒のプライバシーを暴くような手段を使ったにも拘らず、高岡さんの体操服は出てこなかった。

 先生の中には、全生徒の持ち物チェックをするべきだ、と主張する先生もいたらしい。けれども、それは校長先生の却下で実行されることはなかったそうだ。大事になるのを恐れたらしい。

 結局、その日は犯人を見付けることは出来なかった。もし犯人が体操服を家に持ち帰っていれば、見付けることは実質上不可能だ。高岡さんはそれを聞いて、号泣したらしい。


 そして日付が変わって、今日。傷心の高岡さんが気丈にも登校し教室に入ると、机の上に丁寧に折り畳まれた体操服が鎮座していたのだそうだ。

 体操服は綺麗に洗ってあって、傷や汚れなどはなかったらしい――。


「随分とおかしな事件ですね。犯人は一体、何がやりたかったんだろう」

「そりゃあお前、ナニだろうさ。一晩たっぷり使って、満足したんじゃないのか」

「……納田先生。それ、高岡さん本人の前で言ってないでしょうね」

「なんでだ?」


 デリカシーの欠片もない納田先生の言葉に、思わずイラっとする。

 まだこいつの生徒になって一ヶ月ほどだが、その無神経さには既に度々イライラさせられていた。


「それで、先生。俺にこんな話をして、何をやらせたいんですか」

「お、話が早くて助かるな。実はな、藤本にはこの事件の犯人を探してもらいたいんだ」

「……はぁ?」

「高岡はまだ大層気味悪がっててな。かといって、学校の中のことだ。警察に届け出る訳にもいかん。校長からは大事にするなとも言われてるしな。そこでお前だ」

「いや、なんで俺なんですか」

「だってお前、クラス委員だろ? クラスメイトの為だ。頑張れ!」


 やけに日焼けした顔にわざとらしい笑みを浮かべながら、納田先生が俺の肩をバンバンと叩いてくる。

 人が殺意を覚えるのは、恐らくこんな時だろう。


「それ、クラス委員の仕事じゃないですよね」

「じゃあ、あれだ。同じクラス委員の高岡が泣いてるんだ。男だろぉ? 可愛い女子の為なら、頑張ってやれよぉ」


 そんなこんなで、俺は有耶無耶の内に犯人捜しをすることになってしまった。

 どうしてこうなった。

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